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太占の法と盟神探湯の違いって何ですか?詳しく説明お願いします。

A 回答 (2件)

ちなみに、湯起請の後には火起請(鉄火起請)というのが流行ったらしい。


信長公記にも信長が火起請をやったという逸話が書かれているようだけど、まぁウソ(やってない)でしょう。
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日本大百科全書(ニッポニカ)


太占(ふとまに)

古代に行われた卜占(ぼくせん)の一種。
その方法は牡鹿(おじか)の肩骨を波波迦(ははか)(上溝桜(うわみずざくら)の古名)の木皮で焼き、そこにできた割れ目の模様によって占うのである。
『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)に「骨を灼(や)きて以(もっ)て吉凶を占う」とあるのは、太占のことを述べたものである。
のち中国より亀卜(きぼく)の法が伝わるに及び、しだいに廃れた。



盟神探湯(くかたち)

古代における証拠方法。釜の中に入れた泥を煮沸してその中に小石を置き、被疑者または訴訟当事者にこれを取り出させて、手がただれるかただれないかによって罪の有無や主張の真否を判断する方法。
古代は神の支配する社会であるから、罪の有無、当事者の主張の真否を神に証言させようとしたのであり、神は有罪または偽証した者の手をただれさせると考えたのである。
有名な盟神探湯は、允恭(いんぎょう)天皇の4年に、そのころ氏姓(うじかばね)の秩序が乱れたので、これを糺(ただ)すために、味橿(あまかし)の丘の辞禍戸〓(ことのまがへのさき)に探湯瓮(くかへ)を据えて、諸々の氏姓の人に沐浴斎戒(ゆあみものいみ)させて行わせたというそれである。このとき天皇は実(まこと)を得る者は全く、偽らばかならず傷(やぶ)れるであろうといわれたという。
おそらく日本で生まれた慣行であろう。
律令(りつりょう)時代には行われなくなったが、法と宗教との密接な関係のふたたびみられる中世、ことに室町時代には、「湯起請(ゆぎしょう)」という名前で復活している。
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