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1. あなたが 《神》と言ったら それはみんなにとって同じひとつの普遍神
のことでないわけがない。

2. 絶対性なる神が ふたつやみっつの別々のものに裂かれるわけがない。

3. オシヘがちがうって? ――なんでオシヘが神なんだ?

4. 名前がちがうって? ――勝手に呼んでおいて何を言う?

5. 多様性〔がどうしたこうしたって〕? ――ひとしく同じ一つの普遍神ゆ
えに・・・目に見えない普遍神ゆえに・・・人にそれぞれの個性が 自 由 に
うまれる。

6. 普遍神でないなら この自由あるいは多様性を人間は 享受しえない。そ
れは 個々バラバラのわがままなる《し放題》であるにすぎない。ひとは のっ
ぺらぼう人間となる。



7. 普遍神が 人間にとって個性・多様性としての《有る神》派および《無い
神》派のそれぞれ自由な展開またそれに加えて両派の共生を 知らないはずがな
い。

8. ましてや 《有る神》派のあいだで――[4]の問題であるが――名が異
なるからと言って バカなあらそいを繰り返す謂われもへちまもない。

9. 宗教家は そのあほさ加減が 底なしか?

10. じんるいはどこまでそれをゆるすばかのままでいるつもりか。

A 回答 (10件)

いわゆる「経験世界」では、神と言語で、インデックスしても、認識者、観測者にとっては、対象としてなく、むしろ消失してます。

また消失しているからこそ、そこには認識者、観測者も消失し、いません。けれども預言者にとっても、人々にとっても、ロゴスや受肉をとおし、肉体を預かるので、神のリアルな痕跡が、残されます。神を言語表現するとき、こういう説明になるのでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ いわゆる「経験世界」では、神と言語で、インデックスしても、認識者、
観測者にとっては、対象としてなく、むしろ消失してます。
☆ 消失する。または インデックスそのものが 神であると思い込まれて
います。


★ また消失しているからこそ、そこには認識者、観測者も消失し、いませ
ん。
☆ 言葉は 事の端っこであり 吹けば飛ぶようなコトの葉っぱだと 堅く
信じられているようです。




★ けれども預言者にとっても、人々にとっても、ロゴスや受肉をとおし、
肉体を預かるので、神のリアルな痕跡が、残されます。神を言語表現すると
き、こういう説明になるのでしょうか?
☆ ううーん。その明証性また信憑性は 預言者やそれに信頼を寄せる人た
ちのあいだで 有効なんですね。

つまり そのような――預言やその解釈やのような――解説は 必要でとう
といものですが 究極は 《無根拠を根拠とする》かたちなのだと思います。

お礼日時:2020/04/15 06:56

神は心の中にだけいます


物理的エネルギーではない
よってこの地球には70億以上の神がいます
でも自分の心の中にいる神の全てを具体的にイメージできる人の数は少ない
従って誰かがイメージした神を、自分も支持し、それを自らの神だと多数決で信仰する傾向が自然に出てきます
過去には沢山の神が誕生した
今でも新たな神が作り出されている
そして神自身の比較がなされ、淘汰され続けていくのです
自然ですね
自然の行為
現在は多数決により選ばれた神がいくつか認定されている
でも基本は心
心は一人に一つある
キリストやムハンマドの言う事を、無条件に信じ従わなければならないという訳ではない
筈なんですが
大昔から宗教は権力を維持させていくための道具に使われてきた
虐げられるから、救いを求めるのです
救いを求められなかったら宗教の価値がない
だから、宗教は権力を否定しません
権力者が横暴だから、宗教家に価値が出て来るからです
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神は心の中にだけいます
☆ 素朴に生活日常において――哲学の規定を離れて――思っている内容でしょうか。


★ 物理的エネルギーではない
☆ それは 経験事象です。神は 経験世界を超えています。

もっとも《超えている》ということは 神があたかもエネルギとしてはたらくといっ
たことが あるかも知れません。ないかも知れません。



★ よってこの地球には70億以上の神がいます
☆ これも 自然素朴な感覚なのでしょう。



★ でも自分の心の中にいる神の全てを具体的にイメージできる人の数は少ない
従って誰かがイメージした神を、自分も支持し、それを自らの神だと多数決で信仰す
る傾向が自然に出てきます
・・・
現在は多数決により選ばれた神がいくつか認定されている
でも基本は心
心は一人に一つある
☆ これで――素朴な・そして主観に自由にいだかれる特殊な神観として――よいの
ではないでしょうか。

★ キリストやムハンマドの言う事を、無条件に信じ従わなければならないという訳
ではない
☆ のですから。


★ 筈なんですが
大昔から宗教は権力を維持させていくための道具に使われてきた
虐げられるから、救いを求めるのです
救いを求められなかったら宗教の価値がない
だから、宗教は権力を否定しません
権力者が横暴だから、宗教家に価値が出て来るからです
☆ だったら 両者は ぐるですね。ひどいやつらです。

お礼日時:2020/04/15 09:43

あなたが思う神


私が思う神
全然違う

当然です

聖書の作者が考えた神と
日本書紀の作者が考えた神が違う、
当然です

共通して言えることは、
「神がこの世界を作った」これだけ

逆を言えば、「神がこの世界を作った」を
題材に
日本書紀の作者は、「いろんな要因がある」と考えたから八百万の神々という考え方になり
聖書の作者は、「全知全能でなければ無理」という考え方になった

後はそれらを材料に宗教が出来たんだろ
適当だけど、、、

たったそれだけの事

神が普遍かなんて問う意味あるの?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ あなたが思う神
私が思う神
全然違う
☆ 質問の趣旨をよく聞いてください。

☆☆ (趣旨説明欄) ~~~~
1. あなたが 《神》と言ったら それはみんなにとって同じひとつの普遍神
のことでないわけがない。
~~~~~
☆ 《〈神〉と言ったら》です。

★ あなたが思う神 私が思う神
☆ というときの《〈神〉を思う〔なら・・・〕》ではないのです。


☆☆ 
3. オシヘがちがうって? ――なんでオシヘが神なんだ?

☆ つまり 《人間の――わたしの・あなたの――思い》は 神ではありません。

同じ一つの普遍神を 人それぞれがその心にいだくのです。(いだかないという
思いの場合をふくめてのことです)。






共通して言えることは、
「神がこの世界を作った」これだけ
☆ どうして そんなことが《証明しえたこととして》言えるのですか?



記紀神話では 国土をイザナキとイザナミが造ったというにすぎません。

初めには アメノミナカヌシなどの神々がいたと言うにすぎません。

お礼日時:2020/04/16 20:41

では、言い方を変えましょう



>☆ 質問の趣旨をよく聞いてください。
>☆ 《〈神〉と言ったら》です。

>1. あなたが 《神》と言ったら それはみんなにとって同じひとつの普遍神
>のことでないわけがない。


私が神と言う時は、「この世界を(一部でも)作った(或いは、これから作るかもしれない)何か」の事ですよ
それは、あなたの言う神と違うでしょ
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 私が神と言う時
☆ つまり 《かみ》と発音したとき という意味でわたしは 言って
います。

なぜなら 言葉を発するというだけなら  そこに人間の思わくは何も
混ざっていないからです。

神という概念のことだけを言っています。


★ 私が神と言う時は、「この世界を(一部でも)作った(或いは、こ
れから作るかもしれない)何か」の事ですよ
☆ 分かりません。その《つくる》ところをあなたは 見たんかいな?

お礼日時:2020/04/18 09:34

なんか、もうね、あきれるね



>1. あなたが 《神》と言ったら
質問者が、実際に街行く人に "《神》と言ったら"で聞いてください
たいていの人は、あなたの言うオシヘの事を言うでしょう

>3. オシヘがちがうって? ――なんでオシヘが神なんだ?
神 wikiより
神(かみ)は、信仰の対象として尊崇・畏怖されるもの。

逆に、日本語的に、オシヘこそが神

>みんなにとって同じひとつの普遍神のことでないわけがない。
そもそも、”普遍神” なんて言葉 wikipedia にないんだけど

普遍神とは?
普遍神の定義は?
あなたの考えた神じゃないよね
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 質問者が、実際に街行く人に "《神》と言ったら"で聞いてください
たいていの人は、あなたの言うオシヘの事を言うでしょう
☆ 問題は 哲学です。民間神学を 主流や定説とするわけに行きません。




★ 神 wikiより
神(かみ)は、信仰の対象として尊崇・畏怖されるもの。
☆ オシヘではないでしょ?

★ 逆に、日本語的に、オシヘこそが神
☆ 意味不明です。



★ そもそも、”普遍神” なんて言葉 wikipedia にないんだけど
☆ 言って分かればいいんです。


★ 普遍神とは?
☆ 同じひとつの神です。


★ 普遍神の定義は?
☆ 例示します。つまり 次のように例示しています。

☆☆ (趣旨説明欄) ~~~~
7. 普遍神が 人間にとって個性・多様性としての《有る神》派および《無い
神》派のそれぞれ自由な展開またそれに加えて両派の共生を 知らないはずがな
い。

8. ましてや 《有る神》派のあいだで――[4]の問題であるが――名が異
なるからと言って バカなあらそいを繰り返す謂われもへちまもない。
~~~~~

☆ もし理論としての定義がおのぞみなら 次を見てください。

【Q:神とは何か?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9137113.html

お礼日時:2020/04/18 10:19

☆ 分かりません。

その《つくる》ところをあなたは 見たんかいな?

では、あなたは神を見たことがあるのですか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

あなたは 神を見たのではないなら 次のように断言することは 控
えなくてはいけないと思いますよ。

★★ (回答№4) 
私が神と言う時は、「この世界を(一部でも)作った(或いは、こ
れから作るかもしれない)何か」の事ですよ



☆ この質問にとって わたしが神を見たかどうかは 別の話として
扱い得ます。この質問を解決したいわけです。

お礼日時:2020/04/18 10:24

もし質問者が神を見てないなら




【Q:神とは何か?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9137113.html

これは、控えて下さい
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ もし質問者が神を見てないなら
☆ この問題は 話が別になると言いました。


ただちに答えるなら その場合には 推論の仕方として 仮説法(アブ
ダクション)という方法があるんです。


見ていてもいなくても 神は これこれであると想定し そこから議論
をすすめていけばよいのです。

哲学の知恵です。

お礼日時:2020/04/18 12:22

【Q:神とは何か?】


https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9137113.html

これは、「神」の説明では無いですね
これは、「神の領域」の説明です
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この回答へのお礼

どこが? ですか。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2020/04/18 17:55

X=考えても分からないこと。



人智を越える事=神の領域

なので、X=神にはならない
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神の領域
☆ つまり わたしも 次のように《領域》と言っています。

☆☆ X は 経験を超えた領域
☆☆ 超経験の領域= X

☆ あるいは 《非経験の場》とも言っています。

それが 《非知なるナゾ》のことです。

あるいは ほかのところで 《非経験の場(ないしチカラ)》とも書いて
います。

《場》は 《領域》のことですが それが《チカラ》でもあると言ってい
ます。

――おかしいですか?

あるいは 《神の世界》・・・と言ってもよいのではないですか?

どうでしょう。


わたしには 不都合はないのですが?

お礼日時:2020/04/18 20:38

神の領域、神の世界


領域も世界も、神とは別物です

神は領域の事なのですか?
人間は領域を崇拝しているとでも?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神は領域の事なのですか?
☆ 何でもであり得ます。領域でもあり得ます。相対的な経験世界を超え
て しかもこの経験世界を覆い包むかたちで あらゆる場であり得ます。

わたしの場合は 説明に《非経験の場(ないし チカラ)》という表現を
ふつう用いています。




さらにくわしく次のように説明しています。:

神:超自然・超経験〔の場ないしチカラ〕を 神として想定

・ 概念として説明:絶対性・無限
・ 認識のあり方:知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ(=非知)
・ 属性を付与:真理・至高の善(善悪の彼岸)・美;慈愛・全知全能
・ 擬人化:絶対者
・ 物語化:創造主




★ 人間は領域を崇拝しているとでも?
☆ 領域であり得る何かと 個別の人間すなわち我れとの カカハリが
絶対的に成り立つ・・・というのが 一般的な説明です。

それが 信仰です。



このカカハリは 絶対性の側からあたかも一方的に 相対存在たる人間
の側にせまります。

すでに初めから 神は 人を包み容れているのだからです。


そのとき人は おれはそんなものを受け付けないぞと言って投げ棄てて
もいいですし また――そのことと同時に自由にひとしく――わたしは
その神とやらをわが心に受け容れますと言って信じてもよいことになっ
ています。



初めから 人と神とは カカハリがありますし そのカカハリについて
気づいたときに人は イエスかノーかいづれでも受けこたえることが出
来ます。

イエスでもノーでもいづれの態度を採ったとしても カカハリは――信
仰は―― 理論上も実際上でも 成り立つことになります。



信仰は 具体的には《有る神》派と《無い神》派とに分かれて現われて
来ます。

《無い神》という神をいだく場合には たとえば《創造主》と神を言い
かえることはしません。まったくほっぽり出したままです。(むろん神
は そういう人をもみづからのもとに包み容れています)。


ちなみに《有る神》派のばあい 神は どんな名で呼ぼうと 神に変わ
りありません。これを 普遍神と呼んでいます。名は ただのシルシで
す。《かみ》という言葉も シルシです。

お礼日時:2020/04/19 04:11

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