神は 絶対性ですよね?
だったら 絶対性に 互いに別の二つや三つの絶対性があるなんて
考えられません。
神は 人間にとって同じ一つの普遍神であるしかないぢゃないですか。
かみと言おうが ゴッドと言おうが ボーフと呼ぼうが あるいは
オホモノヌシという名であろうが ヒトコトヌシであろうが
ブラフマンと呼ばれようが シューニャター(空)であろうが
アミターバ・ブッダと名乗ろうが ヤハヱ―(あらしめる者)でも
おなじみのアルケーでも イワシノアタマであっても
《無い神》であっても
呼び名が違うだけで 本体はみな 普遍神ひとつであるに決まってる
ぢゃないですか?
経験事象(たとえば 有るか無いか)を超えているのだから 絶対性を
絶対有と表現しようが絶対無と言いたがったとしても
本体に変わりあるわけありません。――ですよね?
普遍神――世界をすくう魔法のことば!?
A 回答 (12件中1~10件)
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No.10
- 回答日時:
> 普遍神は そのニセの神の向こうに 同じひとつの神として
> 存在する。――これが もっとも合理的な考え方です。
論理的でないし、各宗教に対しても失礼です
考え方も浅いです。
宗教戦争は異教より異端といわれ、神が違うことはどうでもよく
同じ神でも解釈が違うほうがより対立を招いています。
ご回答をありがとうございます。
まづ:
★ 各宗教に対しても失礼です
☆ このご指摘については 屁の河童です。
《オシヘを神とする宗教》は 百害あって一利なしです。
人間知性の倒錯に立っています。《考えるべきもの》を《信じな
さい(無条件で心に受け容れなさい)》と説いているからです。
さて:
★ 論理的でないし、考え方も浅いです。
☆ そのこころは?
★ 宗教戦争は異教より異端といわれ、神が違うことはどうでもよく
同じ神でも解釈が違うほうがより対立を招いています。
☆ まづ 普遍神なる同じひとつの神をいだいている。これが 出発
点に来ますし 大前提です。じんるいすべてに共通なのです。
次に 同じ神であってもその《神とわれとの――他者の介在から完全
に自由な・いわばタテの――関係》については やはり個性がはたら
き その見方に独自性が現われます。
これが そもそものちにオシヘの原形になります。わが神観でありこ
れがちょっと一般的なその意味で理論的な内容を持つと 神学になり
ます。
ところが この神観なり神学――といったいわゆる教理ですね――は
すでに《信じる神》ではなくなっています。《考える(感じるをふく
めて)経験思想》なんです。(いくら神秘的な内容があったとしても
その神秘が信じる神でもありません)。
そしてこの神観〔なる世界観また思想〕は すでに神とは無関係な人
と人との話し合いから成るヨコの関係において成り立っています。
ということは どうなりますか?
宗教(つまり 神観⇒神学=あたかも神に当たるオシヘ)は 信じる
という蝉の抜け殻でしかないのです。蝉は 一人ひとりの主観の内に
あり そこにおさめられて息づいています。
宗教は タテのものをヨコに寝かすというマジックなんです。宗教的
人間は 寝技が得意です。
これが:
★ 同じ神でも解釈が違うほうがより対立を招いています。
☆ という現状の正体です。への河童でしょ? そしていかにすこや
かですなほな心を――多少のワルをまぜながらでも――生きる人間性
から 自分で離れて行ったことか。
普遍神ひとつだと知ったら ふつうの人は自然とおのづから なるほ
ど オシヘなどは精神にとって手かせ足かせになっているかと分かる
んです。
☆ シュウキョウ・マジックは 屁の河童だよおーん。
No.9
- 回答日時:
神という超常的な存在においては絶対性が複数あることもありえると考えるのが筋でしょう。
それを理解できないのは人間の思考能力が神のレベルに達していないからです
ご回答をありがとうございます。
★ 神という超常的な存在においては絶対性が複数あること
もありえると考えるのが筋でしょう。
☆ どういう筋でしょう?
★ それを理解できないのは人間の思考能力が神のレベルに
達していないからです
☆ では その複数の絶対性の可能性は 人間の思考能力が
神のレベルに達したときに考えることにしましょう。
来ませんよ!
もし達したと証明できたなら それは にせの神だったとい
うことになるんです。
人知のおよぶ神だったと。
普遍神は そのニセの神の向こうに 同じひとつの神として
存在する。――これが もっとも合理的な考え方です。
No.8
- 回答日時:
朝から横綱のレトルトの南下s厘セ円がュースになったそうで、
ゲーム実況者は仕事の依頼も繰れば、ニュースになってるのでしょうね。
世間から章k際していた台地得ると。
ミヤネ屋では見無所運の病気が取り上げれたらしく
島ねやの
こうして文章に変えkるわ、口調までこえrは関西弁アンでh層化。だ胃が
レトルトだらkですが
No.6
- 回答日時:
神は 絶対性ですよね?
↑
トイレの神様に絶対性があるとは
思えません。
だったら 絶対性に 互いに別の二つや三つの絶対性があるなんて
考えられません。
↑
神ですよ。
人間の英知が及ばない存在です。
人間としてみれば、絶対性は一つかもしれませんが
神はどうか、なんて人間に判るとは思えません。
ミミズが、人間の思想を考えるようなものです。
神は 人間にとって同じ一つの普遍神であるしかないぢゃないですか。
↑
そうであれば、立証できますよね。
かみと言おうが ゴッドと言おうが ボーフと呼ぼうが あるいは
オホモノヌシという名であろうが ヒトコトヌシであろうが
ブラフマンと呼ばれようが シューニャター(空)であろうが
アミターバ・ブッダと名乗ろうが ヤハヱ―(あらしめる者)でも
おなじみのアルケーでも イワシノアタマであっても
《無い神》であっても
呼び名が違うだけで 本体はみな 普遍神ひとつであるに決まってる
ぢゃないですか?
↑
決まっているなら立証も簡単ですよね。
経験事象(たとえば 有るか無いか)を超えているのだから 絶対性を
絶対有と表現しようが絶対無と言いたがったとしても
本体に変わりあるわけありません。――ですよね?
↑
この部分だけは、そうですね。
普遍神――世界をすくう魔法のことば!?
↑
救わないで、ケンカばかりしてきたのが
実際ではないですか。
ご回答をありがとうございます。
★ トイレの神様に絶対性があるとは
思えません。
☆ 山祇(山つ霊)も海神(海つ霊)も そのままに絶対性であることは
無理です。
つまり 八百万の神々は それぞれがひとつなる普遍神の分身です。(補
助線とか依り代とかとも言います。普遍神の仮象であり またシルシでし
ょう)。
何の問題もありません。
★ 神ですよ。
人間の英知が及ばない存在です。
人間としてみれば、絶対性は一つかもしれませんが
神はどうか、なんて人間に判るとは思えません。
ミミズが、人間の思想を考えるようなものです。
☆ 人間原理です。
★ 人間としてみれば、絶対性は一つ
☆ なんです。それ以上のことは いま無記です。そういう(それだけの)
理論です。
☆☆ 神は 人間にとって同じ一つの普遍神であるしかないぢゃないです
か。
↑
★ そうであれば、立証できますよね。
☆ 神を絶対性として想定しつつ規定した(定義した)ということです。
仮説法(アブダクション)による経験科学です。
☆☆ ・・・呼び名が違うだけで 本体はみな 普遍神ひとつであるに決
まってるぢゃないですか?
↑
★ 決まっているなら立証も簡単ですよね。
☆ 想定⇒定義⇒そうして経験的な具象を例にとって 当てはまるかを検
証しています。
神の名は すべて補助線(分身・仮象・シルシ)だと受け留めれば 成り
立ちます。
☆☆ 経験事象(たとえば 有るか無いか)を超えているのだから 絶対
性を 絶対有と表現しようが絶対無と言いたがったとしても
本体に変わりあるわけありません。――ですよね?
↑
★ この部分だけは、そうですね。
☆ ほかのところも みな 再考されたし。
☆☆ 普遍神――世界をすくう魔法のことば!?
↑
★ 救わないで、ケンカばかりしてきたのが
実際ではないですか。
☆ そういう観点からみては おさまるものもおさまりません。
普遍神〔の何たるか〕を飲み込んだなら その精神の胃袋でじゅうぶん消
化しつつ あとは――そのような一人ひとりの良識にうったえるかたちで
―― 世界は一歩一歩すくわれていく。と言うのです。
No.4
- 回答日時:
神は我々の認識能力では計り知れないものです。
そのため考えるだけ無駄です。結論が出ないのですから。仮に結論らしきものが出たとしてもそれは自己満足、主観に過ぎません。我々は自分の認識能力を超えたものを知りようがないのですから。
そんな無意味なことに時間を浪費せずに、もっと実用的なことを思惟してみては?
ご回答をありがとうございます。
★ 神は我々の認識能力では計り知れないものです。
☆ 揚げ足取りをするためにではありません。わたしの考えでは 神は
人間の認識しうるか・し得ないかが われわれ人間には分からないナゾ
だと 対抗する見解を提出します。
★ そのため考えるだけ無駄です。
☆ とは ならないのです。知り得ないという他方の場合と同じく同時
に 知り得るかも知れないという場合が あり得ると考えます。同時に
です。
★ 結論が出ないのですから。
☆ みんなが共有しうる結論は 出ないでしょうね。けれども ひとつ
には 人がそれぞれ独自の・神との関係を持つことがあり得ます。(主
観としては 有効だと見られるものです)。
もうひとつには そういった神の具体的な有り方について 一般に分か
り得るとすれば このようにたとえば《神は 普遍神である》といった
命題が 何もまして有効である。こう考えます。
★ 仮に結論らしきものが出たとしてもそれは自己満足、主観に過ぎま
せん。
☆ この主観としての神観 これが その人自身にとっては とっても
有効で大事なんです。元気をあたえてくれます。
★ 我々は自分の認識能力を超えたものを知りようがないのですから。
☆ もちろんそのことは 絶対性の問題です。人知を超えているのが神
です。
★ そんな無意味なことに時間を浪費せずに、もっと実用的なことを思
惟してみては?
☆ どうなんでしょう。
No.3
- 回答日時:
はい❗ スピノザ、テイヤール-ド-シャルダンなんか読むと、存在してるのは、「神だけ」です。
哲学では「実体」substanceと言います。後残りは神の創造物、全ては神の内。神のみ「実体」。後は時間と共に消滅する、故に相対。神のみ唯一の存在。故に、「唯一の絶対」。ご回答をありがとうございます。
★ はい❗ スピノザ、テイヤール-ド-シャルダンなんか読むと、存在してるのは、
「神だけ」です。
☆ それは 絶対性の問題でしょうね。
★ 哲学では「実体」substanceと言います。
☆ ヒュポケイメノンとか何とか。名づけの発想を しっかりつかんでおかないと
思っていて・・・。
★ 後残りは神の創造物、全ては神の内。神のみ「実体」。
☆ ううーん。絶対性という大前提で成り立つでしょうが あんまりあちらを立て
ると またまた 人間原理だと言われてしまう。
★ 後は時間と共に消滅する、故に相対。神のみ唯一の存在。故に、「唯一の絶対」。
☆ そのちっぽけな相対存在が こんどは互いのあいだで――人と人とのヨコの関
係において―― 自由をよく問い求め得る主体性をどう発揮するか。・・・
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☆☆ (№10お礼欄)
そしてこの神観〔なる世界観また思想〕は すでに神とは無関係な人
と人との話し合いから成るヨコの関係において成り立っています。
☆ おぎないます。
神学は いかに神についてであろうとすでに人間が考えて人間の言葉
でその人が自己表現したものです。経験思想です。《考える》は相対
的なことです。
仮りにオシヘが立派な倫理思想であり宇宙観であったとしましょう。
だとしても その立派さは やはり人間が考えた結果です。
つまり オシヘは オシヘとなってしまっているなら すでに――神
とわれとのタテの関係から抜け出て―― 人間どうしのヨコの関係に
移行しています。
信じるタテの関係と考え合うヨコの関係とは たとえ接点があったと
しても その接点を何かの根拠とすることは無理です。根拠としうる
という向きは 神の言葉と人間の言葉とがひとしくありうると言い張
るのでしょう。