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僕は今、日本史を勉強しているのですが、戦国時代において、豊臣秀吉のところなのですが、太閤検地というのがありますが、あれは、戦国大名が皆やっていたもので秀吉だけがやったものではないのでしょうか?また太閤検地は、方光寺の建設のためや、農民一揆を抑えるためという理由とありますが、太閤検地の歴史的意義とはどういったところにあるのでしょうか?
抽象的ですみませんが教えてください。

A 回答 (4件)

太閤検地は,征服地を確実に掌握して全国を統一する基礎となり,同時に従来の複雑な土地関係を整理して土地制度を一新させ,新しい体制を将来させた。

秀吉の全国統一と検地により,領主権は統一されて一円化し,また農民の権利は有力農民の加地子得分権などが没収されて,検地帳に登録された耕作権のみに整理された。つまり太閤検地は1領主・1農民という一元的な領主-農民関係を樹立させ,すっきりした封建体制にしたのである。それは小農自立を促す太閤検地の革新性を示すとともに,石高制の成立と相まって兵農分離の基礎となった。すなわち,太閤検地が把握した石高のうち,作徳分は農民に,残りはすべて領主が収取することを原則としたから,有力農民は作合をとれなくなり武士化・領主化することが難しくなり,兵農分離がおし進められた。また、太閤検地は戦国大名検地とは違い実測検地であった。また太閤検地によって決定され把握された石高は,農民に対しては年貢賦課の基礎となり,大名に対しては知行体系を表すものとして使われ軍役の決定基準となった。
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この回答へのお礼

本当にありがとうございました。
ピピピピピピピ

お礼日時:2005/01/25 00:24

 秀吉は、各地を征服するごとに検地を行い征服地を確実に把握して、全国統一の基礎としました。

また、太閤検地では全国的な規模で統一された方法で行われ、これまでの複雑な土地所有関係を整理し、土地制度を一新しました。これにより荘園制度は完全に崩壊することになります。更に物差し、升を統一して行われたため度量衡の統一がなされました。

 太閤検地によって、各地の石高が確定されたことはその後の江戸幕府体制の基礎となる石高制の基となり、江戸時代においても、これに倣って検地が行われました。
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その土地の耕作人を特定させることで、税の徴収を単純簡略化して、結果、荘園制は消滅した。


歴史的意義ということではない気がしないでもないけれど。
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初めて公定枡を使用し全国で統一された基準を用いた検地。

詳しくはURLで。下のほうに答えがあります。

参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/L/L061C100.HTM
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