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恐れ入りますが、教えてください。
大正7年の打ち壊しの時は、暴徒におそわれた庄屋でした。小作人が多くいたと、聞きました。が、呉服屋もしていたのです。
私が1942年にその家に疎開したときは、呉服屋だけになっていました。
いつごろから、庄屋さんでなくなったのか、今となっては、皆、亡くなって聞く人が、おりません。日本の歴史から見て、推測していただけませんか?よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

こんばんは



明治4年、つまり1871年の廃藩置県の際に、併せて庄屋制度は廃止となっています。

以降は地方では庄屋さんと呼ばれていたとは思いますが、庄屋ではなく地主の一人です。

それからいつ土地を手放す事になったのかは、申し訳ありませんが、個々の事例で異なると思いますので、恐らくどなたも推測はできないでしょう。
私の母方の先祖も大地主だったそうですが、先祖の中に飲む・打つ・買うの三拍子揃った先祖がいて、その先祖の次の代には、殆ど土地はなくなったようですから。

まあ、1929年の昭和の大恐慌が原因かもしれませんが、上記の通り何の根拠もありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!大変大変よくわかりました。
若い頃は、家のことには、何も関心がなく、
老いた今、やっと
はて?と思う今日この頃。
本当にありがとうございました!

お礼日時:2006/11/24 09:57

庄屋というのは村役人の一人で今の村長に相当するような役人でした。


年貢の徴収などの代行をしましたから暴動の際に打ち壊しにあう事も稀ではなかったようです。  
この為幕藩体制が崩壊後ハイしされましたが家産はそのまま維持できました。

多くは土地持ちで資産家でそれらの土地を貸し付け耕筰させる小作人を抱えていました。

最大の危機は戦後の農地解放で小作地は全て小作人に無償で払い下げられましたから、一挙に零落することが多かったのです。
もちろんそれまでに、種々の理由で家産を失う事もあり得ましたから事情はまちまちと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!感謝しております!
日本の歴史を勉強していなくて、何も知らなかったことが恥ずかしいです。今回のことで、少し、図書館にでも行ってみたいと考えております。ありがとうございました!

お礼日時:2006/11/25 17:16

戦後の農地解放(1947-1950)によって、日本の地主(庄屋)ほぼ壊滅しましたが、大正昭和で、それ以前に制度的に地主(庄屋)から土地を取り上げたことはないと思います。

 その「庄屋」が質問者さんの何に当たるのか分かりませんが、個人的な理由で土地を手放されたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!大変よくわかりました!!
心から感謝しています!

お礼日時:2006/11/24 09:51

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