【大喜利】【投稿~12/28】こんなおせち料理は嫌だ

0. 神は 人間がいかなる座標を設定して捉えようとしても 必ずその座標
や場を超えている。ゆえに 神は 想定するというかたちを哲学は採らざるを
得ない。

0-1. 想定(アブダクション)に際して シューニャター(空:《無い神》)
として規定することはできる。⇒[7‐B]



1. 特殊絶対性とは 《われ 神を見たり》と言い張る主観を 傍から否定
も肯定も成し得ないというとき その神観としての主観を言っている。

1-1. 独り善がりであっても 特殊に絶対性だと見なすことになる。これ
は・そしてこれが むしろ 信教・良心の自由に見合っている。

2. 言いかえると 《われ 神の声を聞けり》と言う主観は 主観の外へ出
かけるなら意味を成さない。意味を成すとすれば 神を人間の認識しうる概念
としてのみ扱った場合に限る。つまり 人間がこしらえたということだ。

2-1. 概念のみの言葉をもって主観の外に出かけたならば――すでに そ
の言葉≒《経験事象に基本として対応する概念》にもとづくことになるからに
は―― 思考や想像の産物としての《観念の神》でしかない。

2-2. それは 或る種の信念を形成するかも知れないが 《神》としては 
実質的な意味を成さない。成すかどうかが どこまで行っても 人間には決め
られないのである。⇒[#0]

3. ゆえに 宗教は それがもし神を他人に向けておのが心に受け容れなさ
い(つまり 信じなさい)と説くのならば ただの譫言である。主観の外に出
かけているから。

3-1. 特殊絶対性は 外出無用である。つまり 神なる概念の弄びになら
ざるを得ない。

3-2. 組織宗教に 存在理由は無い。主観のおままごとは せいぜい一個
人の内面にとどめなさい。




4. 《絶対》とは 経験事象としてのものごとが有るか無いかの問いを超え 
ており 因果関係からまったく自由である場ないしチカラである。《非経験の
場》とよび そう想定する。

5. 非経験の場は 認識のあり方として 《非知》である。

  経験事象(相対世界でありこれは経験合理性にて認識する)

    可知(認識しうるものごと)

      既知(間違いだったと分かることもあるが 知ったとする)
      未知(いづれ既知になるであろうと推察されている)

    不可知(未知のうち知り得ないと証明し得たものごと。証明も間
      違い得る)

  非経験の場(絶対性)

    非知(知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ)


6. 非知なる非経験の場 これを――《神 またはその一定の名》において
――無条件でわが心に受け容れたとき・つまり 信じたとき わが心には
《非思考の庭》が成る。

6-1. ヒトたる生物の身と心とから成る自然本性に ぷらす α としてや
どる何ものかの自覚が起きる。生きている間のその自覚の動態が 《庭》だ。

【 +α : 霊我】:信じる:非思考の庭:クレド:(*ヒラメキ・**良心)
---------------------------------

【心:精神】:考える:思考の緑野:コギト (*直観) 
【身:身体】:感じる:感性の原野:センスス・コムニス(**ヤマシサ反応・恥ぢ)


7. 非思考の庭は 受け容れる器(ミクロコスモス)とその対象(マクロ
コスモス)との一体性として示される。類型として《梵我一如》とよぶとよ
い。または 《霊霊一如》である。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター);ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ・タターガタ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵);ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》:霊霊一如
   霊:かみ(超自然およびその依り代としての自然)
   霊:われ(自然本性 +α )

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

  I. タオイズム:道人一如
   道:かみ
   人:われ

8. したがって これら前項の霊なる神はそれぞれ人間が 非経験の場・
ないし非知なる神を それぞれの言語で名づけたものである。

8-1. 非知なる神は 不可変性において《普遍神》である。

8-2. また それら有神論に対して《無い神》としての無神論も 普遍
神についての・互いにまったく差の見出せない同等の説明である。(神は人
知を超え 経験世界の有る無しを超えている)。

9. これが 《一般絶対性》である。





10. 《個別絶対性》とは 人間一般ではなく 特定のひとりの人の信仰す
なわち 《普遍神とわれとの関係》をめぐって 一般絶対性をさらに説明する
視点である。

11. というのは 普遍神を具体的によぶ名前が人によって異なっているだ
けではなく それぞれの信仰が――対象である神は 普遍神ひとつであると想
定されるにもかかわらず―― 互いに同じであるか・どう同じであるかが 人
間には分からないからである。

11-1. それは いわゆる証明抜きの公理として持たれる信教・良心の自
由という内容につながっている。

12. 目に見える現象としては互いに異なるところがあると言わねばならな
いはずだが その信仰は 個人ごとの個別絶対性として捉えられる。つまり 
一般絶対性のもとに そのように具体性を帯びた姿を採っている。

12-1. 個人ごとの個別絶対性として 一般絶対性ないし普遍神は とう
とばれるのだ。つまり――循環論法ながら―― 神とわれとのカカハリとして
は 信教・良心の自由のもとにある。ここから あらゆる自己表現の自由が出
る。


13. 個別絶対性は 神が普遍神であること および その神とわれとのカ
カハリとしての信仰が霊霊一如なる普遍的な類型において成ること――つまり
は 一般絶対性理論――からみちびかれる。



14. 個別絶対性は さらに具体的な個人にあって《普遍神とわれとの関係》
が――生身の人間においてであるゆえ――多様性を持つと見られる。このとき 
神の名の違いだけではなく その《関係のさらに具体的なあり方》が おのお
の主観の内にあっては 《特殊絶対性》という側面を持つと捉えられる。

14-1. [12-1]に見たごとく 信教・良心の自由にもとづき その
信仰なる動態についてさらになお自己表現するときの《表現の自由》というこ
とになる。

14-2. 誰かが おれは現人神だと言ってもその表現までは だれも 否
定も肯定も出来ない。

14-3. 特殊絶対性はそれぞれ神観なる主観として――内面にて〔のみ〕
――持たれ得る。・・・〔ダ・カーポ〕。

        

15. 信仰から得られたヒラメキないし観想を――その己れの神観としての
自己表現からさらに外に出て――倫理規範として整序し・また宇宙観や世界観
にまで展開したのが 宗教のオシヘである。

16. けれども ひとりの主観が内面においていだいた特殊絶対性としての
神観から飛び出して来たオシヘというのは すでに人間の言葉で考え表現した
《経験思想》である。

16-1. 神という言葉をまじえながらも 基本として人知なる思想なのだ。
信じるではなく 考えるものと成ったことを意味する。

16-2. 一般にオシヘは 普遍神という正解をみちびくためにと人間が人
間の言語を用いて引いた補助線である。どこまでも 指の先に指し示された正
解にみちびかれるための補助線であり その《ゆび》である。

16-3. この《ゆび》を信じなさいと説くのが 宗教である。

16-4. 人びとも 仏《教》を信じるとか・キリスト《教》を信じないと
かという表現で捉えてしまって 平然としている。これは 哲学から見れば 
無意味である。世界各地で起きている長い歴史を持つ集団痴呆現象なり。



17. オシヘは 相対的な経験思想であり 思考の緑野の中に完全におさま
る。飽くまで《考える》ものである。《信じる》とは げんみつに言って何の
関係もない。痴呆――思考停止――とよぶ所以である。


18. 重ねて言おう。神とわれとのタテの関係である神観としての主観(つ
まり 特殊絶対性)を われわれなるヨコの人間関係の世界に持って来てその
倫理(つまり 善し悪しを意識した人間関係)や宇宙観として 自己増殖させ
たものが シュウキョウである。

18-1. 主観の外に出るとは 神とのタテの関係を 人間どうしのヨコの
関係に移して 寝かすことである。

18-2. この寝技は 神論(一般および個別絶対性理論)としてアウトで
ある。

18-3. このようなシュウキョウは 絶対性を知らない者の道楽かまたは
ただの商売である。 

☆ いかに?

A 回答 (57件中41~50件)

普遍神が存在するするあるいは存在しないとするのは分かるとなります


そうでないなら分からないとなります
それすらわからないなら普遍神が存在するかどうか人には判断出来ないと言う事です
よって普遍神が存在するかどうか人間にはわからないことに変わりがありません
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この回答へのお礼

絶対性あるいは超経験なる概念から 神を取り上げ その定義
をみちびいた。だけです。

その神は 普遍神となづけるべき普遍性を持つものだというの
みです。


ちゃんと読むことが先決です。

お礼日時:2020/09/14 05:26

0項目が科学的正しいと貴方が証明しない限りそれは貴方の個人的な思い込みでしかありません 


個人的な思い込みに正しいも間違いもありません。何故ならそれは貴方の勝手だからです 
但しそれでは他人には正しいと理解されません
上記を貴方が理解出来ないのはそれは貴方には他人の視点がないからです
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この回答へのお礼

偽だと思えば それを証明をすればよい。

お礼日時:2020/09/14 05:23

分かるか分からないかはわからないと言うことは人間には判断出来ないと言う事です


人間に判断できないとしても普遍神が存在するかどうかはわからないことには変わりません
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この回答へのお礼

《分かるか分からないか が 分からない》とすべきです。


その定義たる命題から:
★ 人間には判断出来ないと言う事
☆ がみちびかれるか? いいえ。

俗っぽくいえば 判断のしようがない。
しっかりと規定するなら 人間の判断を超えている。認識・判断
の対象であるかないかが 分からない。



読まずに批判するのは よくありません。

お礼日時:2020/09/14 05:16

現実を無視して貴方が貴方の世界観にしたって独断と偏見に固まっている限り貴方が客観性を持つことは永遠にありませんし貴方が論理性を持つことも又永遠にありません


貴方の主張が貴方の独断と偏見による物語でしかないのはそのためです
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この回答へのお礼

独断と偏見の中身を・つまり その具体的な例を挙げて 批判する
とよい。

論理性がないという点についても 同じく。

お礼日時:2020/09/14 05:08

0項目が正しいと科学的に証明していません


それが証明されていない以上貴方の主張は貴方個人の思い込みでしかありません
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この回答へのお礼

まちがいを指摘し 批判すればよい。

お礼日時:2020/09/14 05:05

存在するかどうかすらわからないとは「存在するかどうか」と言う問題すらわからないと言う事です


これは端に「存在するかどうか」と言う問題を「わからない」と言って希釈しているに過ぎません
この論法では普遍神が存在するかどうかわからないということそれ自体否定できませんし貴方は存在すると名言もされてません
よって貴方のその言い分を加味しても普遍神が存在するかどうかわからない事に変わりはありません
以上
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この回答へのお礼

① 分からないと分かった(証明し得た):不可知・・・経験事象

② 分かるか分からないかが分からないナゾ:非知・・・非経験(超経験)


この違いと特に②をじっくり飲み込めるようになってください。

けれども そういうことは 趣旨説明欄にしっかりと述べていますよ。

お礼日時:2020/09/13 22:51

私の貴方の「客観的思考」や「論理的思考」が無いとのコメントに対する貴方の反応に応じて回答しましたがそれ以上の事を求められなかったのでそれ以上の説明は致しません


では
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この回答へのお礼

★ それ以上の事を求められ
☆ ています。

☆☆ (№9お礼欄) ~~~~~~~~~~
☆ 哲学の対話なら かならず理由説明をふくむ推論によってお
こなうものです。

おまえのかあちゃん 出べそ! というような捨て台詞しか発す
ることのできないお人なんですか あなたは?


★ 質問者さんの主張内容に客観性や論理性が見いだされないの
はそれが理由だからですよ。
☆ 無意味な発言です。解釈例としては 《負けてくやしい 花
いちもんめ》と言いたいのでしょうかね。

♪ あの子が欲しい。――あの子ぢゃ分からん。
♪ この子が欲しい。――この子ぢゃ分からん。
♪ 考えよう。考えよう。・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2020/09/09 08:44

とは言え理解してもらう気がサラサラ無いのならそれはそれでは質問者さんのお考えですからそれをアレコレ言うつもりもありません


ただもしそうならなおのこと質問者さんに対する私のコメントを質問者さんが気にする必要性は一切無いのです。
にもかかわらず質問者さんは反応されました。
反応する必要が無いの反応したという事自体がずれているという事です
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この回答へのお礼

ここでも わしやけど。。。。。さんのところでも すでにじゅうぶん
説明をしています。


学問の道をあゆむ者の矜持を!

お礼日時:2020/09/09 03:49

質問者さの主張を読んだ人たちの極々一部の形が賛同されるに過ぎないですからね。

3分の一の同感なんてありえませんよ。
そもそも質問者さんは相手の立場になって質問者さんの主張を考える事はしませんからね。
質問者さんの主張内容に客観性や論理性が見いだされないのはそれが理由だからですよ。
それは質問者さんと回答者さんとのやり取りでも見受けられますから。
現実問題としてこの哲学カテゴリで質問者さんの主張に賛同されている方は現在何名いるか? 質問者さんはそれを把握されているのですか?
私の見立てでは3名程度ですけどね
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 質問者さの主張を読んだ人たちの極々一部の形が賛同される
に過ぎないですからね。
☆ あなたのように 理由も根拠もなく反感を持つ場合や 同感
とも反感とも自分の評価を決めかねている場合がありましょう。


★ 3分の一の同感なんてありえませんよ。
☆ ものごとは うつりゆくものです。歴史は あたらしいペー
ジをむかえましょう。


★ そもそも質問者さんは相手の立場になって質問者さんの主張
を考える事はしませんからね。
☆ 哲学の対話なら かならず理由説明をふくむ推論によってお
こなうものです。

おまえのかあちゃん 出べそ! というような捨て台詞しか発す
ることのできないお人なんですか あなたは?


★ 質問者さんの主張内容に客観性や論理性が見いだされないの
はそれが理由だからですよ。
☆ 無意味な発言です。解釈例としては 《負けてくやしい 花
いちもんめ》と言いたいのでしょうかね。

♪ あの子が欲しい。――あの子ぢゃ分からん。
♪ この子が欲しい。――この子ぢゃ分からん。
♪ 考えよう。考えよう。・・・

★ それは質問者さんと回答者さんとのやり取りでも見受けられ
ますから。
☆ 空中戦ですね。空に向けて空砲を打つのみ。ばかばかしい。

いやしくも半歩でも学問に足を踏み入れた者のほこりは ないの
かね。



★ 現実問題としてこの哲学カテゴリで質問者さんの主張に賛同
されている方は現在何名いるか? 質問者さんはそれを把握され
ているのですか?
私の見立てでは3名程度ですけどね
☆ ははは。はっはっはあ。

お礼日時:2020/09/09 03:46

貴方に欠落しているのは「コミニュケーション能力」です


コミニュケーション能力が欠落しているから貴方の主張は貴方の賛同者にしか伝わらないのです
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 貴方に欠落しているのは「コミニュケーション能力」です
☆ あなたほどではないでしょう。


★ コミニュケーション能力が欠落しているから貴方の主張は
貴方の賛同者にしか伝わらないのです
☆ 三分の一が 同感。三分の一が 共感(浮遊層)。三分の
一が 反感。でいいんです。

お礼日時:2020/09/09 02:39

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