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神が何かも分からず、神に祈る。
これほど愚かなことが他にございましょーか。
実のところ世界中の宗教の殆ど全てはこれをやっているのではありませんか?
神が何であるか分かれば、神は祈る相手がどーかも分かることなんですけどね。
神が何かも分からず、神に祈る。
愚かですよね?

A 回答 (44件中1~10件)

戒名料の算定方法とか



だから、何処の仏典に出ているのか聞いているんだよ

質問者:utayomi_2011さんよ
イカサマ師でも、それらしい事を言うぞ

聖書や、多くの仏典を読んできた私からの質問だ、
答えてみろ、逃げるなよ、ペテン師
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この回答へのお礼

詳しく知りたければ開眼法要あたりから初めてはどーか。

お礼日時:2020/12/15 08:13

仏典に書いてあるのは戒名の仕方とか・・????????????


・・・・
どの仏典に戒名の仕方が書いてあるのか、聞かせて下さい
五時八教、八万法蔵を読んでも出てこないが

デカイ口をたたくな、ペテン師
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この回答へのお礼

>仏典に書いてあるのは戒名の仕方とか・・????????????
・・・・

仏壇の立て方とか、葬式の進め方とか、お布施の集め方とか、戒名料の算定方法とか、その他諸々、要するに仏事のことです。

お礼日時:2020/12/14 10:10

No.39です。



>神には祈らないが、仏には祈るってか。
>ただの子供だまし。

悪いけど余りに幼稚な「お礼」で失望しました。
般若心経でよいので、経典の一つも読んでください。
それ以上のことは言いません。
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この回答へのお礼

神には祈らないが、仏には祈るとかいう輩。
経典などをもちだす輩は大概はこの類であることよーく存じておりまする。

お礼日時:2020/12/14 10:01

自分を超えた大きなものの存在を感じること。


それが祈るということだと僕は思います。
それを神と読んでもいいし、大いなるものと呼んでもいい。
僕は宗教に入っているわけでもないし、なにかの神様を信じているわけでもないですが、自然に分け入り、海で素潜りをし、山で焚き火をしていると、思いもがけない、自分を超えた、自分や人間などとは関係のない、海や星や、太陽や月や、イルカやクジラや、木々や動物たちが、なにかをしようとしているように見える時があります。
そんなとき、ほっとして、安心します。
自分や人間などがこの世界の頂点にいるわけではないのだと。
もっと大きなものが世界を動かして、動いているのだと。
それを感じることが、僕にとって、祈るということです。
信じるとか、頼るとか、そういうのとはちょっと違います。
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祈って気がすむならそれでいい。


祈ったから大丈夫と思える事が重要なのかと。

愚かかは知りません。
自分に害がないなら人がなにしてようとどうでもいいので。
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信じる者氏か助けないのに祈る自体小さくない?

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神様が人間を創ったのですから、いわゆる、想定外だってありますよ。

人間の向上心次第ですから。
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★ (№26お礼欄) ~~~~~~~~~~


あなたは神について大きな勘違いをしている。
神との対話は双方向ではあり得ません。
せいぜい人間から神への一方通行でしかありません。
ですから人間と神との対話は基本成立しません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ その神論について必ずしも見解を同じくするというわけではありませんが もしそういう見解に立ったとすれば・立ったとしても №26の投稿は 成り立ちますよ。

つまり決して:
★ 人間と神との対話
☆ が成立するとはわたしは言っていません。


ただ一つ対話が成り立ったと言っていると見られる箇所は 次です。:
☆☆ 17. きみ自身に還ってあらたな精神とチカラとで 立ち向かい前へ進みなさいと まづは〔神は〕言うのだと思います。
☆ これは しかしながら対話が成り立って神からの語りがあったと言っているのではないのです。

いのりに対する答えがあるとするなら 自己還帰したあたらしい自己として進みなさいよという内容であろうと推測しているまでのことです。



むしろわたしは:
★ 神との対話は双方向ではあり得ません。
☆ とまでは言わないですが 《打てば響くというような双方向ではない》と捉えています。


そして問題は わたしの見解では:
★ せいぜい人間から神への一方通行でしかありません。
☆ ではなくて そうではなく方向はぎゃくだと見ています。

つまりそれも 込み入っているのですが 対話ではなく そうではなく何らかのハタラキカケがあるとするなら 人間から神への方向ではなくそのぎゃくの《神から人間への一方通行である》と思っています。

つまり 人間は 神に対しては無力です。それでも神は 必ずしも人間に分かるようにではなく何となく結果として ハタラキカケがあったというかたちにするとは思っています。

もっとも わたしたちは神に対してまったく自由に願い事は何でもしてよいと思っています。これもありなんです。答えは 沈黙なんですが。
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この回答へのお礼

>《神から人間への一方通行である》と思っています。

それは神に対する甚だしく身勝手な思い違いです。
神が相手をするのは人間ではありません。
万物です。
それゆえ、正しくは《神から万物への一方通行である》とすべき。
神の視線からすれば人間も石ころも同じです。

お礼日時:2020/12/13 21:36

ということは神に祈らない仏教は凄いということですか?

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この回答へのお礼

神には祈らないが、仏には祈るってか。
ただの子供だまし。

お礼日時:2020/12/13 18:53

>神が何であるか分かれば


と、言ってしまえば、大して変わりません、同類です。
何か?は不明なだけで存在は信じているにほかなりません。
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この回答へのお礼

神は存在します。
でもその神は祈る相手ではございません。

お礼日時:2020/12/13 16:32
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