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下の問いわかる方いますか???

藤原氏は、娘を天皇のきさきにし、生まれた子を( 1 )ことで勢力をのばした。
9世紀後半以降は天皇が幼い時には( 2 )に、成長した後は( 3 )の職について、政治の実権をにぎった。

A 回答 (3件)

まこさま、皇居から出てって、旦那の実家で帰りを待てばいいのにね。

親から結婚の許し出たのだから、除籍を願い出て、皇居から出て行けばよいのに、なぜか未だに皇族や皇居にしがみついて、皇族としての権利を主張している。
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#1さんの回答通りです。



これを、摂関政治といいます。

「摂関政治」とは、摂政・関白が天皇の権限の一部を代行、
あるいは補佐して、国政を運営していく政治体制のことです。

当時の貴族社会では、妊娠した妻は実家に戻って子どもを産み、
子どもは妻の実家で育つのが一般的でした。

天皇家でもそれは同じでした。
そして、妻の父やおじが子どもを養育し、後見したため、彼ら外戚が天皇を補佐する摂関の地位に就くのは、常識化していたのです。

その代表が藤原氏北家と言えるでしょう。

摂関家は天皇の権威のもとで、官職の任命や位階(いかい)
の昇進などに、自らの意向を強く反映させました。

政治は一部の貴族によって行われるようになり、
積極的な政策を取るよりも、朝廷の行事や儀式を先例どおりに
行うことが重視されていったのです。
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多分1は天皇で2は摂政、3は関白ですね。

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