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東北北部の稲作についてです。
稲作は次第に北上し、東北北部まで至ったそうですね。
ところが、紀元前1世紀ころ、大洪水のせいで、耕作が止められ、古代まで、何百年間にわたって耕作がされなかった、というのは本当ですか?

(本当であるなら、苦労して開拓したのであろう水田稲作が途切れたは、個人的に残念です)

gooドクター

A 回答 (1件)

東北北部 灌漑施設を備えた定型的な水田で 300 年近くも稲作を行うが,前 1 世紀にみられなくなる地域であったことは確かなようです。


但し、その原因は、大洪水のせいではなく、元々が寒冷地域なので、斎野裕彦氏の言う通り、水田稲作は、一人あたりの熱量が8 ~ 22%で,補助的な役割を果たしているのに過ぎず、漁撈活動に専業することになり,東北中部以北では土器製塩も盛行したり、採集狩猟生活にもどったと考える研究者が多く、水田稲作が網羅的な生業構造のなかの一つとして位置づけられ、水田稲作を行う目的が異なっていた可能性が認められるようです。また、青森の水田耕作を見ると、ハード面では弥生文化の水田耕作が観られるものの、ソフトウェア―部分は、前文化の縄文(亀岡文化)が残っており、弥生式水田耕作の記録はみられないということから、上記通り、狩猟・漁撈活動・土器製塩に専業し、水田耕作は、その1部として行っていたように思われます。
 

 出典参考引用:国立歴史民俗博物館研究報告 第 178 集 2013 年 3 月
弥生文化の輪郭 灌漑式水田稲作は弥生文化の指標なのか
The Frame of the Yayoi Culture: Is Wet Rice Cultivation with Irrigation System an Indicator of the Yayoi Culture?
藤尾慎一郎著作論文より
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうござしました。
水田稲作は<補助的な役割を果たしているのに過ぎず、漁撈活動に専業することになり,東北中部以北では土器製塩も盛行したり、採集狩猟生活にもどった>のですね。今でいうリストラ(人員整理解を含めず)のようなものだったのですね。

お礼日時:2020/12/24 14:05

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