A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
尖閣諸島を開拓して住民を連れて来たのは福岡県八女市出身の古賀辰四郎です。
よって当時の住民は八女市や沖縄あたりから連れて来たのでしょう。しかし、尖閣でのアホウドリの羽毛採取は乱獲や猫害などにより中止となり、鰹節の製造も燃料が配給制となったため継続は困難となり、住民はおそらく出身地に戻ったのでしょう。 村は消えずに住民がいなくなったので、朽ち果てただけです。No.1
- 回答日時:
ウィキペディアによると。
「1940年(昭和15年)、古賀善次が尖閣諸島での事業から撤退し、居住していた人々も退去して再び無人島となった[10][21]。戦前には、以上のような民間人の事業活動のほか、国の機関や沖縄県による資源調査・地形調査などが実施され、尖閣諸島に対する日本の有効な支配が継続していた[10]。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/尖閣諸島
とのことです。
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