一回も披露したことのない豆知識

世間一般で言われている「神」とは、
どのような存在なのでしょうか?

私の認識では、
(1)世界を創った存在
(2)全てを知っている存在
という程度なのですが…。

「神」の定義、機能(?)などについて、皆さんの考えをお聞かせください。

宗教的な意見も大歓迎です、よろしくお願いします。m(_ _)m

A 回答 (48件中11~20件)

#35です。



大変な世の中にならないように統制をはかるためには、憲法や法律を使えばいいのではないでしょうか。
事実多くの国はそうなっていますし。
一人一人違う人間の誰もが受け入れられる共通の神なんて、やはり定義できないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど…、確かに。

なんていうか、
「宇宙を含む世界全体に共通する何か」を、
求めていった結果、神という存在を設定するようになったのかな…、
と思ったもので。

確かに、
「全ての人間に受け入れられる神」を、
「人為的に」定義するのは難しいと思います。

ただ、もしその神の存在が、誰の目にも明らかなものとして証明できたなら、
誰しもその存在を受け入れざるを得ないのかなぁ…
とも思いました。

率直な御意見、ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/20 15:25

 ある程度発達した生物の例に漏れず、人間もまた己の持つ演算能力を、問題の解決や情報収集など幾つかに役割分担させる事によって、大量の情報を同時並行的に処理しています。


 一般に、いわゆる霊性と結びつけて語られる事も多い、思考、感覚、感情、などの精神的な部分においても、結局はそれら全てにある一定のパターンが見られる事によって、実際にはどれも飽くまで唯物的な存在によって発生している事が事実上証明されていることと思います。
 人間の言う、意識、或いは認識とは、こうした遠大な処理を通して初めて現れ得る現象であるのだろうと思います。

 しかしこのように、分担と再統合を通して複雑かつ膨大な量の情報を処理して行く過程において、それでも膨大な"未決済"とせざるを得ない情報もやはり現れて来ます。
 演算能力の高さによって生存競争においては比較的戦略的な優位を保つ事となった霊長類と言う名の生物にとって、この問題を放置する事は死活問題にすらなりかねません。

 私は、過去の生存競争の時代に運良く獲得する事の出来た、"この問題"を解決する部分。それこそが「神」の正体ではないかと考えています。
 大脳生理学的な、或いは心理学的な範疇においての、言わば人間から淘汰を強いる世界に対して向けられた回答として、あの有名な「曖昧さ」と共に生み出された"もの"。それが、少なくとも"人が口にした事の有る全ての神"の起源ではないだろうかとも考えています。

 故に、神の機能とは、常に「認識を整理する」その一点のみであろうと思います。或いは、「それぞれの認識がどの程度正確か、眼前の現象に最も対応できる認識はどれか、などを検証する」との言い方をしても構いません。
 同様に神の定義も、本来は上述のような広い意味での心理の解体整理を行う器官、或いは心理か思考のパターンではないかとも思うのですが、実際には「人が持つその機能を特に刺激する、何らかの事物」(例えば、幼子から見た時の親、など)であるようにも思えて成りません。


 ただ同時に、
 (生物学的な意味での)人間の認識の埒外に、(社会学的な意味での)人間がこれまで「神」と名付けて呼んで来たものに似た存在が在るかもしれない。
 或いは、そうした存在から実際に何らかの形でメッセージを受け取った方は居られるかもしれない。 
 それらの可能性についてだけは、現代の科学では検証を行うに未だ不十分だと思いますので、安易に論じる事だけは絶対にしてはいけないのではないかとも考えています。
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この回答へのお礼

現代の人類にとっての「説明不能な現象」を解決しうる存在、
それが神なのかも知れませんね…。

とすれば、あらたな疑問が生じたときには、
またそれも、とりあえず「神」の領域にストックされてしまう…。

最終的には、
行き着くところのない「追いかけっこ」になるような気も、したりしました。

御意見、ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/20 12:44

自灯明



私が神

表現は似て

否なるもの
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この回答へのお礼

うーむ。

私=自、神=明 ということで良かったでしょうか…。

神の存在が、自分の世界を「目に見えるもの」にしている?

すなわち、
「自分」の意識の中に、自分と神とが混ざり合っている?ということでしょうか。
(すみません、書いている本人も、良くわかっていません(^^;))

御意見、ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/20 12:36

NO.33のcorpusさんが仰っている「私が神」という考え方に近い考え方を私も持っています。



「私が神」などと言うと、一見危ない人かと思われそうですが、きちんと理論立てて考えてみると、そうでもない場合もあります。

私の考え方は「自分自身の行動を最終的に決定するのは、やはり、自分自身でしかない。誰かの助言を得たり、誰かの行動を参考にすることはあるかもしれないが、それでも、最終的に誰かの助言や誰かの行動を理解して受け入れ、自分の行動に出るのは結局自分自身でしかありえないではないか。だから、私の行動を決められるのは私以外にあり得なく、結局私にとっての絶対的存在(≒神)は私の心そのものである。」というものです。

だからといって、私(の心)は世界を創った存在でも、全てを知っている存在でもないので、質問者さんの仰っている「神」の定義とは、はずれてしまう回答になってしまっているかもしれませんが、こんな考え方もあるということで、ご参考になれば幸いです。

参考URLは、私のお気に入りの無宗教サイトです。よろしければ、覗いて見てください。

参考URL:http://www31.ocn.ne.jp/~musyu/
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この回答へのお礼

自分の中に神の存在を求める、という考え方にはとても共感です。

ただそう考えてしまうと、
各自が自由に好き勝手なことをしてしまい、
大変な世の中になってしまう…。

それを統制するために、
全ての生物に共通するための存在としての
「神」がつくられたのかも知れないですね。

御意見、ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/20 12:27

仏教は無我の境地になることを説きます.




我利我欲のない無我のものの集合体

無我なるそれぞれの個が

声なき声を聴こうとすることによって

穏やかな調和のなかで

すべてを生かそうとするとき

祝福の元に働きはじめる意志力.


易経では50本の筮竹の中から無作為に一本の筮竹を取り出し,それを太極として尊び,象徴とします.
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この回答へのお礼

「無我の境地」…。

未経験の世界なので、とても難しいですが、
その状態になることによって、
神の存在を理解したり、それに近づくことができたりするのでしょうか…。

何か普段は決して得られない「気づき」を得られそうな気はするのですが、
それが何なのか…が、とても気になるところです。

御意見、ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/20 12:11

私は私が神だと思っています。

私はプレイヤーとしての私とルールとしての私という2つの特性をもっています。プレイヤーは通常、主体と呼ばれ、ルールは通常、神と呼ばれるかもしれません。
私が見ることによってこの世は色形を持ち、私が聞くことによって音や声が存在するのです。
よって、私が見ないものは存在しないのです。だから、神を持ち出す必要もないのです。
私が無力だからそれが存在しないのではなく、原理的に存在しないのです。
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この回答へのお礼

>ルールは通常、神と呼ばれるかもしれません

ルールとしての私…。うーん。難しいです(^^;)

しばらく、考えてみようと思います。

御意見、ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/16 22:23

#28です。


#31さんの
>『神』と『仏』は一緒・・・
というのは違う気がします。存在の有無がはっきりしないという性質上では共通の概念上のものかも知れませんが、日本では神棚と仏壇は違う部屋におきますよね?仏様と神様がけんかしないようにと。

「仏」は仏教的観念で、先祖などの死者の魂に対して使われるはずだったと思います。

でも、
>ほとんどの神や仏は、人間の形をしており、私はそのことに疑問を感じます
には非常に納得できます。本来、姿かたちの見えないものを偶像化すること事態になんかおかしいなと思います。ですから、わたしはイスラム教の偶像崇拝を禁止してるところには非常に共感できます。
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この回答へのお礼

御意見ありがとうございます。

>偶像崇拝
ぬいぐるみが好きなのと似たような感じなんですかね…。
なんとなく安心する、っていうか。

あっ、神様と仏様は仲わるいんでしょうか?

お礼日時:2005/02/16 22:08

私の意見は、『神』と『仏』は一緒で、神とは人を安心させる存在だと思います。


ブッタは、『死』というものを追求し、そして出来たのが、仏教。キリスト教では、死を前に懺悔をします。
このように、神や仏がかかわるということは、『死』に繋がっていて『死』の恐怖から助けてくれるのが、神と仏だと思います。
あと、世界を作ったのは、宇宙の奇跡なだけだし、全てを知っていれば、その存在全てを支配できるでしょう。
ほとんどの神や仏は、人間の形をしており、私はそのことに疑問を感じます。
神は、『人間』だけを見るのではなく、自然の『全ての生き物たち』を見なくてはならないと思います。
すみません。くだらない意見でこれで終わります。
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この回答へのお礼

>世界を作ったのは、宇宙の奇跡なだけだし
なるほど、そういう見方もできますよね。
無理に「何者かが創り出した」と考えなければならない理由はないですしね。

>ほとんどの神や仏は、人間の形をしており
やっぱり、「目に見えるもの」「身近なもの」でないと、
民衆の間には浸透しずらいからなのでしょうね。

どうせなら、
宇宙人みたいな見たことない物体だったりしたほうが、
まだ可能性を見出せるんですけどね…。

お礼日時:2005/02/16 22:03

実は自分自身が神。


人間一人一人が神。
そしてその全ては一つの神。

神が自らを体験、経験する為に自分の分身である魂を人間という入れ物にいれた。そしてその人間の住む世界を作った。
人間一人一人が体験する出来事で神は自分自身を体験する。
人間は死ぬと魂が元の神に帰るが、再度生まれ変わる。
その時新たな体験が出来るように過去の記憶はリセットされる。それを何度も繰り返す。

簡単に言うと悟りを得たり、奇跡を行ったりする人というのは生まれ変わった回数が多く経験豊富な人。


みたいなことが「神との対話」という本に書いてありました。

妙に納得できる面白い本です。
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この回答へのお礼

おもしろそうな本ですね。
今度、図書館で探してみようと思います。

世界はひとつ。
という感覚はとてもすばらしいなぁと思いました。

それぞれが好き勝手に生きているんじゃなくて、
この世に存在する全てのものが、
実はひとつのコミュニティ(?)みたいなものなのですよね。

みんな「仲間」だ、って思えたら、
もっともっと良い世の中になっていけるような気がしました。

御意見、ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/16 21:31

人は弱いが故に



知性を得ることによって生き延びてきた種なのかもしれない.

知性が

生まれ出たものを祝福し調和のうちに生かそうとする

神の業ならば

弱き者の気持ちを汲み

調和の元に

共生しようとすることこそ

神の意思であり

知を力に変え地球上で強き者となった人類の使命だ.
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この回答へのお礼

地球上で強者となった人類の使命…。

知性は神から授かったものであって、
それは神が意図した方向へ使っていかねばならない、
という感じでしょうか。

人類を含む地球上の様々な種には、
それぞれの使命があったりするのでしょうか…?

普段、あんまり意識したことはないのですが、
確かにそれはあるのかも知れないですね。

強者であるが故の使命は、特に。
(会社なんかでも、上の人間が使命を果たさないと、
 大変なことになっちゃいますしね…)

御意見、ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/16 21:18

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