性格悪い人が優勝

平安時代に疫病とか異常気象が多かった理由って明らかになっているのでしょうか?

A 回答 (6件)

平安時代には、富士山、開門岳、八ヶ岳、十和田湖、朝鮮半島の白頭山など火山がちょくちょく大噴火を起こす火山活動が活発な時期でした。


その影響もかなりあったはずです。
さらに、平安時代の政治が地方の収奪が基本で地方が荒れるに任せていたためでしょう。
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1年前だったか2年前だったかに、鳥辺野などの死体置場(死体捨て場)の話を読んだか聞いたかした時に、こりゃ疫病も流行るは当然とか思った記憶があります。

詳細は忘れちゃいましたがw

ちなみに平安時代に相当する時代は、中世の温暖期などと言われる比較的温暖な気候だったようです。世界的に温暖だったとか局所的には違うとか、でも日本はやはり温暖だったようだとか、そんな感じのようです。また西暦850年までは干ばつが、以降は大雨や洪水が、多くなったらしいとか。

それでも温暖期が終わり小氷期に入るのはもう少し後。ただ徐々に寒冷化して作物なども少なくなっていったりしたのが、戦国時代まで続く争いの世の中の下地にはなっているのでしょうね。
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宮中といえど衛生面は最悪だったらしいです。


例えば、当時の占いで物忌(ものいみ)というものがありますが、これはある一定期間特定の建物に籠って悪が去るのを待つというものです。
この間トイレに行けないので漏らすこともあったそう……
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たぶん明らかにはなっていないのでしょう。

 専門的なことはわかりません。
ネットはいろいろ検索できるので、適当にキーワードを考えて検索して情報を得た方がイイでしょう。
正確にこの頃の気候がどうだったのかを推定するのは容易なことではないようです。
https://core.ac.uk/download/pdf/70318785.pdf
このPDFの終わり近くには、次のような記述があります。

900年前後の太平洋周辺の不安定この頃東アジアでも,日本と同様に社会的不安定状態であった。中国では859-873年に農民暴動が頻発し,874年に山東で王仙芝の反乱があり,黄巣がこれに応じた。唐の長安では十世紀ころから食が喫,飲が渇などに変わり,大規模な人の移動が考えられる(鈴木秀夫,2000)。9世紀末に新羅では,地方の実権を土豪が握り,後百済,高麗(高句麗)の後三国時代となる。中国では,黄巣の乱などで衰えた唐が907年に滅びる。渤海に契丹が入って926年に滅び,928年に後渤海国を建てるが,王族や文武官が高麗へ亡命し,数十万人が高麗に流入する。935年,新羅から高麗に替わる(上田建・孫栄健,1994;武田幸男,1989)。ヒマラヤ・カラコルムでは9世紀末が氷河の前進期である。ビルマ民族は9世紀ころ,雲南省からイラワジ川流域に南下した。10世紀のオルドスの乾燥化は顕著である(鈴木秀夫,2000)。唐では870年代から社会的不安が増大するようになり,900年代に終末を迎える。朝鮮半島でも9世紀末から混乱が増大したが,930年代には新たな体制となる。前述のように日本でも,930年代には東西で大きな内乱があった。これらは東アジアでは8世紀以降,最大の変化である。また人々は9世紀末には中国から南方に移動し,10世紀には西方から中国に流入し,さらに朝鮮半島に移動したことが考えられる。東アジアでの不安定は一連のものであり,それ以前には民族移動があり,さらにそれは気候変動に伴うものであることが示唆される。
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異常気象は、「その頃から文字による記録がされるようになったから。

それ以前は異常気象が多かった時期があっても現代ではわからないから」とか言われています。江戸時代にもそういう時期はあったようで、要はたまたまそういう周期だったんじゃないですかね。

疫病は理由がわかっています。狭い地域に多くの人口が住んだことからゴミやし尿処理が追いつかなかったので環境が汚染され、それが遷都の理由になりました
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京都周辺の地形、どこも高温多湿。

栄養価の低い食生活。
異常気象は、日記など記録に残す人が多かったから。
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