下記の続きです。
【「近い」と「遠い」の前の「に」と「から」は両方正しいでしょうか】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12176856.html
おもしろいコメントがあったので考えているうちに、早々と締め切られてしまいました。
当方を含め何人かの人が、下記の4つのうち「(私の家は)駅△ニ遠い」だけは不自然としました。
(私の家は)駅ニ近い
(私の家は)駅カラ近い
(私の家は)駅△ニ遠い
(私の家は)駅カラ遠い
No.12で見たことのない説明が出て、質問者の疑問は解決したようです。
一瞬感心したのですが、2つの疑問が出てきました。
まず、〈「に」が「近づく要素」であるのに「遠い」という逆の要素が混在しているため、基本的には不自然な表現になる場合が多い〉とします。
もしそうなら、「(私の家は)駅マデ遠い」も同様に「基本的には不自然な表現になる場合が多い」のでしょうか。
こういう考え方をしている辞典や書籍をご存じのかたはいらっしゃいますか。
次の疑問は、〈「私の家は駅ニハ遠いが、市役所ニハ近い」〉がおかしくない理由です。
当方は、「ニ」と「ニハ」は↑に書いたとおり〈ほとんど別の語としての用法〉だと思います。「ハ」の働きは「対比」のような気がします。
「私の家は駅ニハ遠い」は〈私の家は駅ニ(行くに)ハ遠い〉の省略形、なのでしょうか。
そうなると、「私の家は駅ニハ近い」は〈私の家は駅ニ(行くに)ハ近い〉の省略形なのでしょうか。
こういう考え方をしている辞典や書籍をご存じのかたはいらっしゃいますか。
A 回答 (49件中11~20件)
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No.39
- 回答日時:
#38です。
ご迷惑ですか。
山場なんですけどねえ。
トビさんのご質問とも直結する問題点、そして彼の誤謬の実態が明るみに出ようとしているところです。
彼に対して私が発した質問に関してだけ、猶予をいただけませんか。
そして、その後、ぜひご見解もうかがわせていただきたいのですが。
迷惑です。
そのぐらいわかりませんか?
>山場なんですけどねえ。
とてもそうは思えません。ヨソでお願いします。
>トビさんのご質問とも直結する問題点
「直結」?
考え方によっては多少関係あるのかもしれませんが、脱線がヒドすぎて迷惑です。ヨソでお願いします。
No.38
- 回答日時:
#33です。
再度、#34に応じます。
>「先生からいただく」「先生に指導していただく」という文は能動文で、「指導する」という行為について見ているのであり、「指導を受ける」という側から見れば受身の文にならなければなりません。これを勝手に受身文と解釈するのは誤りです。
:
ご教授いただきたいのですが、
「先生に指導していただく」というのは、『「指導を受ける」という側から』見ている文ではない、とおっしゃっていますか?
〈続きは、アスナロウさんの回答を拝見してからのお楽しみ〉と書いておいて、数分後には連投ですか……。
ヨソでやってください。
本質坊主は滝行で頭を冷やしている最中です。ここに回答するのはむずかしいでしょう。
No.37
- 回答日時:
#33です。
#34に応じます。
トビさん、アスナロウさんは勘違いをし続けていることに自分で気づいていません。
視点を変えて色々説明しているのですが、どうも強情でしてね。(笑)
他山の石と思って、もうしばらくお付き合いください。
いずれ気づく可能性も無きにしも非ず、と期待したいところ。
今回、またしても根本的な勘違いが露呈しています。
どういったものであるのか、以下に解説しますので、ぜひご参考になさってみてください。
アスナロウさんは、
《「に/で」が「動作・作用の行われる場所」や「着点」を表すのであれば、敬意や丁寧の感情は「に」自体に向けられることになります。
そうでないことは理解できますよね!》
と言っていますが、そもそも、この認識が大きな誤りです。
たとえば、
「先生にチョコレートをあげた」
という文の場合、
「に」は「あげた」という動作の着点を表わす。
という解説が為されます。
しかるに、この解説は「に=着点」という意味になってしまうため間違っている、という主張を彼は延々と繰り広げます。
まったくの勘違いなのですが、この理由もわかっていて、彼は、
(ア-1)「に」は「あげた」という動作の着点を表わす。
あるいは、
(イ-1)格助詞「に」は動作・作用の着点を表わす。
という文の意味を正しく理解できないでいるのです。
これらの文は取りも直さず、
(ア-2)「に」は(先生が)「あげた」という動作の着点(であること)を表わす。
あるいは、
(イ-2)格助詞「に」は(その直前の語が)動作・作用の着点(であること)を表わす。
という意味にほかなりません。
つまり、これらの解説文は、
・着点=先生
・着点=その直前の語
だと言っているのであり、
アスナロウさんの「に=着点」などという指摘はとんだ勘違いであることが明白でしょう。
誰もそんなことは言っていないのです。
ところが、これほど言っても、ほぼ間違いなく「いや勘違いではない」とアスナロウさんは主張すると思います。
しかし、明らかな勘違いであることを切り口を変えて証明してみせましょう。
アスナロウさん、あなたは、
(ウー1)格助詞「に」自体が表すのは、空間的・時間的な位置付けの認識です》
とおっしゃいました。
「位置付け」という転成名詞の元である「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。「展示物を正面に位置付ける」
という意味の他動詞です。
ここで質問です。
「(時間的・空間的に)位置付ける」という場合、
何を?
どこに?
位置付けるのですか?
トビさん、続きは、アスナロウさんの回答を拝見してからのお楽しみということでご了承ください。
アスナロウさん、お待ちしておりますのでよろしくどうぞ。
No.36
- 回答日時:
>>そういうコメント書いていると、まともに相手をしてくれる人がめったにいないことにまだ気づかないのですか。
本当に哀れな人ですね。使えない知識の前に常識を身につけましょう。何か、どこかの意地悪なガキ大将の言い草ですね。
論理と感情、感覚を混同してはまともな議論にはなりません。
もう少し頭を冷やしてください。
こういう根本的な誤りは徹底的に追及します。■
No.35
- 回答日時:
No.34 の補足です。
No.33 の回答者は能動文と受動文の相違と関係も理解できない粗雑な文法理解を露呈しており、単なる言葉遊びに終始するもので他で指摘の通り一事が万事ということです。
物物(もの)言(い)えば唇(くちびる)寒(さむ)し秋(あき)の風(かぜ)
《芭蕉の句から》人の短所を言ったあとは、後味が悪く、寂しい気持ちがする。転じて、何事につけても余計なことを言うと、災いを招くということ。
【デジタル大辞泉の解説】
■
No.34
- 回答日時:
No.33 の回答について
これは、皆さんの論理の誤りを明証する非常に適切な回答です。
「に/で」が「動作・作用の行われる場所」や「着点」を表すのであれば、敬意や丁寧の感情は「に」自体に向けられることになります。
そうでないことは理解できますよね!
であれば、
格助詞「に」自体が表すのは、空間的・時間的な位置付けの認識です。
そして、
>>「先生」も「物」や 「指導する」という行為について見れば 「出どころ」や「行為者」ではあるが「指導を受ける」という側から見れば、その <向かう先>である。
については、これを正しく理解できていません。
「先生からいただく」「先生に指導していただく」という文は能動文で、「指導する」という行為について見ているのであり、「指導を受ける」という側から見れば受身の文にならなければなりません。これを勝手に受身文と解釈するのは誤りです。
この能動文では、
>>「先生」=<(指導するという動作の)向かう先>
ではありません。つまり、
「先生」=<(指導するという動作の)着点>という概念
は誤りということです。そして、当然、「に/で」≠先生(=<(指導するという動作の)向かう先>)
ではありません。
敬語を取り上げたことで、質問者や回答者の根本的な誤りが明確になったということです。
皆さん、この回答をよく読んで参考にするとよろしい。
無茶苦茶な論理を振り回してあちこちに迷惑かけている場合じゃありませんぞ?(笑)
基本的に謙虚さが足らんね、君は。
ちったあ反省しろ!(笑)
ということです。■
No.33
- 回答日時:
#30です。
>なぜそのような解釈ができるのか不明です。
:
庭氏は数多くの例を挙げた上で、
《でも、これぐらいでも、意外に「~に」の例が「~で」で言い換えられないことに気付きますね。
どうしてなのか。》
という疑問を発しておられる。
トビさんも、双方を「動作・作用の行われる場所」と捉えてしまうことにより矛盾が発生してしまうため、
《「動作・作用の行われる場所」は、「デ」のほうが用途が広い印象ですが、「出現・発生系」に限れば「ニ」のほうが汎用性がある印象です。
このあたりをスッッキリまとめることができれば……むずかしいのでしょうね。》と述懐している。
つまり、どちらも「に」と「で」の決定的な違いが見つからないために疑問を呈していることになるわけです。
ですよね?
ですから、
『ひとつの意味があるはずだ、と思っていたようです』
という私の推測はそのとおりじゃないですかね?
いずれにせよ、
格助詞「に」は動作・作用の着点(の認識)を表わす。
という「ひとつの意味」であることに気づけば、こうした疑問は解消します。
『どちらでも結果は同じようなものなので、』のように短絡的に解決しようとするのは、どうなんでしょう。
ご自身がそれで納得いっているなら、それで構いませんけどね。
たしかに
・会議は五時に始まります。
が着点を表わすというのは勘違いされやすいのは確かです。
いわゆる ムズイ と言ってよいでしょう。
この点について、あれこれ視点を変えて説明させてもらってきたわけですが、もうひとつ新たな視点として
<敬語の指針>15~16頁を提示させていただきましょう。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/s …
一部抜粋します。
ここから☞
【解説2:<向かう先>について】
~~~。
「先生からいただく」「先生に指導していただく」の場合の「先生」も「物」や 「指導する」という行為について見れば 「出どころ」や「行為者」ではあるが「指導を受ける」という側から見れば、その <向かう先>である。☜ここまで
ここで、
「先生に指導していただく」の「先生」は(受けてからみれば)<向かう先>である。
と言っている点に着目してください。
トビさんは、この<向かう先>の概念については理解しておられるはずです。
「先生」=<(指導するという動作の)向かう先>であるなら、「先生」=<(指導するという動作の)着点>という概念を理解するのも、それほど難しいことではないのではありませんか?
一度ご検証ください。
アスナロウさんも、この回答をよく読んで参考にするとよろしい。
無茶苦茶な論理を振り回してあちこちに迷惑かけている場合じゃありませんぞ?(笑)
基本的に謙虚さが足らんね、君は。
ちったあ反省しろ!(笑)
No.31
- 回答日時:
「動作・作用の行われる時・場所」を表わす{デ/ニ}という理解が誤りであることは、
格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
で提示した通りです。そして、この誤りどのような混乱をもたらすかは、
岡田 美穂, 林田 実
日本語学習者による格助詞の混同 : 存在場所の「に」と範囲限定の「で」
https://repository.ninjal.ac.jp/?action=pages_vi …
が明らかにしています。残念ながら質問者も、No.30の回答者も、
庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論の迷妄
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9466 …
で指摘した<庭 三郎『現代日本語文法概説』>もこの根本的な誤りが理解できていないということです。
まずは、この点を正しく理解しないと話が始まりません。
それぞれの思い込みに基づく迷妄を繰り返すことにしかならないことを自覚しましょう。■
繰り返しますね。
===========引用開始
そういうコメント書いていると、まともに相手をしてくれる人がめったにいないことにまだ気づかないのですか。本当に哀れな人ですね。使えない知識の前に常識を身につけましょう。
もう少し頭を冷やしてください。さようなら。
===========引用終了
>言い忘れましたが、事実は頑固です。
SF文法の事実は、頑迷で分からず屋なんですね。たいへんですね。
関わる気はありませんから、心配には及びません。
No.30
- 回答日時:
#28です。
> 派生したものや例外がある、ということでよいのでは、と繰り返しているつもりです。
:
どうお考えになるかは、まったく個人の自由ということになるでしょうね。
> ちなみに庭先生の「助詞の本質!」発言は下記でした。2018/05/17
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10460354.html
:
拝見しました。
この頃は、庭氏もトビさんも、ひとつの意味があるはずだ、と思っていたようですね。
(庭氏)
>でも、これぐらいでも、意外に「~に」の例が「~で」で言い換えられないことに気付きますね。
どうしてなのか。
「その対象に影響を与える」という説明でいいでしょうか。でも、「~で」の場合も、影響は受けている場合がありますね。
さて、どう考えたらいいのか。
(トビさん)
「動作・作用の行われる場所」は、「デ」のほうが用途が広い印象ですが、「出現・発生系」に限れば「ニ」のほうが汎用性がある印象です。
このあたりをスッッキリまとめることができれば……むずかしいのでしょうね。
>この頃は、庭氏もトビさんも、ひとつの意味があるはずだ、と思っていたようですね。
なぜそのような解釈ができるのか不明です。
どちらでも結果は同じようなものなので、こだわる気はありません。
建設的なやり取りにならないのなら、コメントは控えます。
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【(私の家は)駅{ニ/カラ/マデ}近い (私の家は)駅{△ニ/カラ/マデ}遠い goo〈2〉杉村氏の論文をめぐって】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12656676692.html
〈なぜ無理やり〈着点〉にするのか〉当方には理解できません。
〈着点〉とは考えにくいこともある……それだけのことでは。
例外として「起点」になることもある、ではなぜダメなのでしょう。
当方は、すでに書いたように長年日本語教師をしているかたの
〈授受動詞〉と〈準授受動詞とも言える動詞〉の場合は〈帰着点だけでなく、物や恩恵の「起点」が「に」でマークされる場合がある〉
というコメントを信用します。そのとおりだと思いますし、そう考えるのがわかりやすいからです。
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そんなことを考えて何かいいことがあるのでしょうか。
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