![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?c9bd177)
下記の続きです。
【「近い」と「遠い」の前の「に」と「から」は両方正しいでしょうか】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12176856.html
おもしろいコメントがあったので考えているうちに、早々と締め切られてしまいました。
当方を含め何人かの人が、下記の4つのうち「(私の家は)駅△ニ遠い」だけは不自然としました。
(私の家は)駅ニ近い
(私の家は)駅カラ近い
(私の家は)駅△ニ遠い
(私の家は)駅カラ遠い
No.12で見たことのない説明が出て、質問者の疑問は解決したようです。
一瞬感心したのですが、2つの疑問が出てきました。
まず、〈「に」が「近づく要素」であるのに「遠い」という逆の要素が混在しているため、基本的には不自然な表現になる場合が多い〉とします。
もしそうなら、「(私の家は)駅マデ遠い」も同様に「基本的には不自然な表現になる場合が多い」のでしょうか。
こういう考え方をしている辞典や書籍をご存じのかたはいらっしゃいますか。
次の疑問は、〈「私の家は駅ニハ遠いが、市役所ニハ近い」〉がおかしくない理由です。
当方は、「ニ」と「ニハ」は↑に書いたとおり〈ほとんど別の語としての用法〉だと思います。「ハ」の働きは「対比」のような気がします。
「私の家は駅ニハ遠い」は〈私の家は駅ニ(行くに)ハ遠い〉の省略形、なのでしょうか。
そうなると、「私の家は駅ニハ近い」は〈私の家は駅ニ(行くに)ハ近い〉の省略形なのでしょうか。
こういう考え方をしている辞典や書籍をご存じのかたはいらっしゃいますか。
A 回答 (49件中41~49件)
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No.9
- 回答日時:
#2 です。
#8 に応じて。
【質問1】
(ア)と(イー2)は、どこが違うのですか?
(イ)『時刻の着点ではなく、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを「に」で表しているのです。』
と、
(イー2)『時刻の着点ではなく、「始まる」という「動作の対象としての時刻」が「5時」であることを「に」で表しているのです。』
は同じではありません。<「動作の着点」が「5時」>は<「動作の対象としての時刻」が「5時」であること>とは異なります。ここに言い換えによる誤魔化し、恣意的な非論理的解釈の誤りがあります。本質的にはこの相異が質問者には理解できていないということです。
【質問2】
「5時=客体的な時刻」であり、
「着点=客体自体」ならば、
「5時=着点」になるのではありませんか?
上記の通り=ではありません。この点の相違が理解できていないということです。
表現を客体と直結する理解が誤っています。表現の背後にある認識の構造を捉えなければなりません。
言語は話者の認識の表現であり、客体そのものではなく、それを話者がどのように認識しているかを表すもので、その主観を直接に表すのが主体的表現の語である助詞や助動詞です。格助詞「に」は客体としての時刻「5時」を話者がどのように認識しているかを表すものであるということです。■
No.8
- 回答日時:
#4です。
#5に応じて。
下記の箇所(◆ーーー◆)について2点質問いたしますので、よろしくどうぞ。
◆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
客体的な時刻を表すのが「5時」であり、「あげる」「もらう」という動作の客体としての対象が「先生」などです。これらの、時刻、対象の位置付けの認識を表すのが格助詞「に」です。対象自体や対象としての時刻自体を表しているのが「先生」や「5時」です。
この相違が理解できないために、客体自体を表す「着点」という語を使用し時刻を「動作の着点」などと言い換えて誤魔化しているに過ぎません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◆
おっしゃっている意味を理解したいので、また論点を絞るためにも、
c.「会議は5時に始まります。」
に特化して質問します。
これが解決できればアスナロウさんのおっしゃりたい内容も理解できるので、それまでは、特に必要がなければ、他のことは持ち出さないようにしてください。
さて、この例文において、アスナロウさんは、
(ア)格助詞「に」は【「始まる」という動作の「対象としての時刻」】を「5時」と位置づける認識を表わしている。
とおっしゃっていることになります。
ここまでは間違いありませんか?
合っていると思うのですが、もし、わたしの解釈が間違っているようなら、どこが間違っているかを明確にするため、可能な限り(ア)の原文に沿って添削してください。
いずれにせよ、この例文に関して、わたしは、
(イ)『時刻の着点ではなく、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを「に」で表しているのです。』
と申し上げました。
これは、
(イー2)『時刻の着点ではなく、「始まる」という「動作の対象としての時刻」が「5時」であることを「に」で表しているのです。』
と言い換えても構いません。
ただ、『この相違が理解できないために』とおっしゃいましたが、何が「相違」なのかがわからない。
そこで質問です。
【質問1】
(ア)と(イー2)は、どこが違うのですか?
c.「会議は5時に始まります。」
から外れないようにして説明してください。
【質問2】
そもそもですが、
《客体的な時刻を表すのが「5時」であり、》とおっしゃる一方で、
《客体自体を表す「着点」という語を使用し時刻を「動作の着点」などと言い換えて誤魔化しているに過ぎません。》ともおっしゃっている。
「5時=客体的な時刻」であり、
「着点=客体自体」ならば、
「5時=着点」になるのではありませんか?
以上、2つ質問させていただきましたので、端的にお答えいただけると助かります。
念押しですが、
c.「会議は5時に始まります。」
という例文から外れないように、つまりくれぐれも論点を外さないようにお願いします。
ここが分かれば次の段階へ進むことができますので、その他のご高説は、そのあとゆっくり伺わせていただきますから。
No.7
- 回答日時:
No.6 の補遺
なお、
<断定の助動詞「なり」の連用形「に」という誤り>
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9438 …
も参考になるかと思います。■
No.6
- 回答日時:
No.5 の補足です。
格助詞「に」については、
「格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷」
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷 Ⅱ
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9493 …
で詳しく論じていますので、まずこれを正しく理解できるようにして下さい。
もちろん、誤りの指摘は大歓迎ですが、内容を理解した上で、適切なご意見をいただければ幸いです。上記に直接ご意見いただいた方がベターかと考えます。■
No.5
- 回答日時:
#2 です。
#4 の応答にお答えします。
おっしゃる通り、「ややこしい解説」というより非論理的な、誤った解説です。
>>仮に「会議は5時に終わります。」が着点だとしても、「会議は5時に始まります。」は始点なはずで、着点であろうはずがないだろう、と言いたいのだと思います。
ここが確かに難しいところかもしれません。
難しくも何ともありません。当然の事実に過ぎません。
>>時刻の着点ではなく、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを「に」で表しているのです。
以前から指摘させていただいておりますが、助詞は主体的表現の語であり、動詞は客体的表現の語です。この本質的な区分が理解されていないため混迷した論を展開されています。
客体的表現の語である動詞が表す「動作の着点」とは相、アスペクトの問題で、会議という客体的な事態の開始時刻の問題ではありません。客体的な時刻を表すのが「5時」であり、「あげる」「もらう」という動作の客体としての対象が「先生」などです。これらの、時刻、対象の位置付けの認識を表すのが格助詞「に」です。対象自体や対象としての時刻自体を表しているのが「先生」や「5時」です。
この相違が理解できないために、客体自体を表す「着点」という語を使用し時刻を「動作の着点」などと言い換えて誤魔化しているに過ぎません。
主体的表現の語と客体的表現の語という言語表現過程に基づく本質的な相緯を正しく理解しない限り進展はありません。
不明な点があれば、別途質問を建てていただければ詳しく説明させていただきます。この点の理解なしにあれこれ論じても何の進歩もないことは、本質問や一連の応答を反省いただけば明白かと存じます。■
No.4
- 回答日時:
#3です。
#2さんのご回答に対しても若干述べさせていただきます。若干くどくなるかもしれませんが悪しからず。
>会議は5時に始まります。
会議は5時に終わります。
と言うように、<「に」が「近づく要素」>などではありません。格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表します。(#2)
:
何度か拝見していますが私的には、
【格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表します。】
という#2さんのご見解を否定したことは一度もありません。
【格助詞「に」は空間的・時間的な(着点としての)位置付けの認識を表します。】と考えれば何の問題もないことなので。
本質的意義というのであれば、むしろ、このように分析することこそ本質に近づくことになるでしょう。
とはいえ、そのためには「着点」の意味を正しく理解する必要があります。
「に」に関して学研国語辞典では、
《動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定し、連用修飾句を作るのに用いる。》
となっていて、個人的にはこれが最も優れた注釈だと思います。
「おもむくところ(静止点)=向かって行くところ」であり、これこそがまさに杉村泰氏言うところの「着点」。
彼は、《一般に格助詞「に」には多くの意味役割が付与されている。しかし、これらは全て〈着点〉という一つのプロトタイプ的意味に還元することができる。》と「に」の本質を喝破していますが、これと通底している。
◆
以上を踏まえた上で#3で挙げた以下の例文を、多少の想像力を駆使しつつ再度確認してみましょう。
a.「ここまで来れば安心だ」
b.「ここに来れば安心だ」
これら2文の本質的な違いは何か??
という点について。
b の「に」は、
《「来る(来れば)」という動作が成立し、由来し、おもむく空間上ノ静止点を「ここ」と指定している》
のように考えると a との違いが明確になるはずです。
「ここ」が「来る(来れば)」という動作の着地点として認識されている点にご留意ください。
a.「ここまで来れば安心だ」は、当初の場所から「ここ」までの距離的要素が本旨であり「ここ」が「静止点(着点)」であるという認識ではない、という点が大事。
「ここまで(遠い距離を離れて)来れば安心だ」といったニュアンスです。
◆
#3さんとしては、仮に「会議は5時に終わります。」が着点だとしても、「会議は5時に始まります。」は始点なはずで、着点であろうはずがないだろう、と言いたいのだと思います。
ここが確かに難しいところかもしれません。
まずですが、「に」は時刻の着点だと言ってるわけでないことに気づいていただきたいと思います。
時刻の着点ではなく、「始まる」という「動作の着点」が「5時」であることを「に」で表しているのです。
c.「会議は5時に始まります。」
と
d.「会議は5時から始まります。」
を比較してみるとよいでしょう。
c は、学国の注釈に則るなら、
《「始まる」という動作が成立し、由来し、おもむく時間ノ静止点を「5時」と指定しー》のようになるでしょう。
「おもむく時間ノ静止点」をわかりやすくするため誤解を恐れずに言うなら、この会話が例えば3時に行われたと仮定してみてください。
「会議は・・・え~と、4時?・・・4時半だったか・・・そうだ、5時に始まります。」
という感覚を伴って「5時に」という発話が為される。
これが《おもむく時間ノ静止点を「5時」と指定》という部分です。
d.「会議は5時から始まります。」の場合は明らかに起点です。
学国の注釈をもじるなら、
《「始まる」という動作が開始される時間的な点を「5時」と指定しー》
とでもなりますか。
いずれにせよ、2文を比較し、
c.「会議は5時に始まります。」には「5時から」という意図はほとんど無い!という点に気づけるかどうかが理解の分かれ目になると思われます。
「5時から」でなければ何なのか?
という点に着目しつつ、
c.「会議は5時に始まります。」
を分析してみてください。
始まるの は [ 何時からか? ]
ではなく、
始まる時刻 は [ 何時なのか? ]
ということです。
◆
e.「先生にもらいました。」の場合も同様です。
《「もらう」という動作が成立し、由来し、おもむく空間上ノ静止点を「先生」と指定しー》のように解釈するわけです。
この場合、「空間上ノ静止点=対象」と捉えるとよいかもしれません。
《「もらう」という動作が成立し、由来し、おもむく対象を「先生」と指定しー》です。
「もらいました。誰にかというと・・・え~っと、そう先生にです」というニュアンスで、「もらいました」という動作がおもむく(向かって行く)先を「先生」という空間上ノ静止点(=着点)であると指定するのが「に」の役目です。
f. 「先生からもらいました。」と比較してください。
《「もらう」という動作がどこで(=どの地点で)発生したのか?》
ということに着目するのが格助詞「に」の機能です。
「もらう」という動作が「どこで発生したのか?」と探っていき「先生」に(むろん無意識的且つ瞬間的にですが)たどり着くという構図であるため「着点」になるわけです。
むろん、もらった物の移動に着目すれば先生は起点です。
しかし、「に」の意義を正確に表現するなら、
《【動作・作用の】空間的・時間的な(着点としての)位置付けの認識を表わす》
というものです。
「もらった」という動作の発生地点に着目するからこそ「(空間的な)位置付けの認識」が発生するということ。
「もらった物」や「誰からもらったのか?」という認識ではない、という点が極めて重要。
ここに気づけるかどうか、ですね。
とりあえず以上です。
格助詞「に」自体は、移動や距離あるいは方向には関与していません。
あくまで静止点を指定するのが目的の格助詞であり、それが本質的意義です。
それゆえ「着点」なのです。
ややこしい解説になっていると思いますので、腑に落ちない点は補足してみてください。(質問者さんも#2さんも)
No.3
- 回答日時:
>「(私の家は)駅マデ遠い」も同様に「基本的には不自然な表現になる場合が多い」のでしょうか。
:
これは自然な表現。
「まで」の語釈で大辞泉は
「ここまで来れば安心だ」
という例を挙げています。
「ここに来れば安心だ」
との違いに思いをいたしてもらえれば、「まで」の場合、「に」のように「近づく要素」が皆無とは言いませんが、特に重視されていないことがおわかりになるかと。
「まで」は、あくまで距離的な限度・範囲を表わすのが本質的意義。
つまり「着点」を表わす意図が基本的に無い。
「ここまで」はスタート地点から「ここ」までの距離を想定しつつの発言であり、「ここに」はたどり着いたところの「ここ」という地点に意識が集中している。
>「私の家は駅ニハ遠い」は〈私の家は駅ニ(行くに)ハ遠い〉の省略形、なのでしょうか。
そうなると、「私の家は駅ニハ近い」は〈私の家は駅ニ(行くに)ハ近い〉の省略形なのでしょうか。
:
私見では、どちらもそうだと思います。
疑問点は理解できますので若干解説させていただきますと、
「私の家は駅ニ(行くに)ハ近い」と「私の家は駅ニ近い」は、どちらも自然な表現です。ただし、むろん意味は異なる。
一方、
「私の家は駅ニ(行くに)ハ遠い」は自然だが、「私の家は駅ニ遠い」は不自然。
後者が不自然な理由と、前者の形にすれば自然になる理由を併記させていただいた次第。
因みに、『こういう考え方をしている辞典や書籍』は寡聞にして存じませんが、辞書語釈を背景としつつ個人的な感覚を私なりに分析解釈してみたということです。
コメントありがとうございます。
>これは自然な表現。
だと思います。
>との違いに思いをいたしてもらえれば、「まで」の場合、「に」のように「近づく要素」が皆無とは言いませんが、特に重視されていないことがおわかりになるかと。
まったくわかりません。
>「まで」は、あくまで距離的な限度・範囲を表わすのが本質的意義。
これはわかります。
>つまり「着点」を表わす意図が基本的に無い。
なぜそんなことを断定できるのでしょうか。
「あそこまでたどりつけば安心だ」
だと「到達点」ではない?
>私見では、どちらもそうだと思います。
そうですがか。当方はそうは思いません。
ほかの例文を考えればわかることでは。
文ごとに、「ニ( )ハ」の( )の中がその都度かわるのですか?
>因みに、『こういう考え方をしている辞典や書籍』は寡聞にして存じませんが、辞書語釈を背景としつつ個人的な感覚を私なりに分析解釈してみたということです。
「個人的な感覚」を「私なりに分析解釈」した結果ですよね。
でしたらムヤミに断定するのはいかがなものでしょう。
他者に押し付けるのもいかがなものでしょう。
No.2
- 回答日時:
>>「に」が「近づく要素」であるのに「遠い」という逆の要素が混在しているため、基本的には不自然な表現になる場合が多い
先生にあげました。
先生にもらいました。
会議は5時に始まります。
会議は5時に終わります。
と言うように、<「に」が「近づく要素」>などではありません。格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表します。
>>「(私の家は)駅マデ遠い」も同様に「基本的には不自然な表現になる場合が多い」のでしょうか。
格助詞「まで」は空間的・時間的な限界の認識を表します。これこそ限界で遠ざかるので、「「(私の家は)駅から遠い」は正しい表現ですが、「(私の家は)駅マデ遠い」は誤りです。
まで【迄】
〔助詞〕
➊(副助詞)時間・距離・状態・動作が継続し、次第に進み、至る地点・時点を表す。
【広辞苑】
で、当然誤った表現であり、<「に」が「近づく要素」>ではないので、「こういう考え方をしている辞典や書籍」など存在すべくもありません。
>>「私の家は駅ニハ遠いが、市役所ニハ近い」〉がおかしくない理由
この「は」は特殊性の認識を表す副助詞で、「私の家」という特殊性の認識を表しており、それが駅と市役所という比較された特殊な対象との遠近の比較が述べられており当然論理的な正しい表現になります。
>>「ニ」と「ニハ」は↑に書いたとおり〈ほとんど別の語としての用法〉
上記の通り、特殊性の認識を表す副助詞「は」が格助詞「に」に付加されたもので、特殊性の認識としての意義が付加されたものです。
>>「私の家は駅ニハ遠い」は〈私の家は駅ニ(行くに)ハ遠い〉の省略形、なのでしょうか。
上記の通り、単に遠近が比較されているだけで(行くに)が省略されているのではありません。
>>こういう考え方をしている辞典や書籍をご存じのかたはいらっしゃいますか。
いくら現在の辞書類が形式主義、機能主義的な欠陥を持っているとはいえ、そんな出鱈目な説明をするほど非論理的ではありません。そんな馬鹿げた説明をする辞典や書籍がある訳がありません。
に‐は
〔連語〕[一]《格助詞「に」+係助詞「は」》(1)「に」の付いた部分を強める意を表す。「僕―わかっている」「ここ―ない」「わざわざ出向く―当たらない」「水の底―大綱あるらん」〈平家・九〉
【大辞泉】
などの説明はありますが。■
当方は、根拠も示さずにムヤミに断定的に語る人はできるだけ相手にしないことにしています。
まして、根拠も示さずにムヤミに他者の意見を断定的に否定する人はロンガイでしょう。
さらに言うと、根拠も示さずにムヤミに辞書の記述を断定的に否定する人はホニャララでしょう。
「存在すべくもありません」「そんな馬鹿げた説明をする辞典や書籍がある訳がありません」
なぜそんなことが断定できるのでしょう。おそらく「悪魔が存在しないこと」も断定できるんでしょうね。すごいなぁ。
前問でユニークなコメントをした人がいました。
「遠い」は「距離の隔たりが大きいさま」だから、〈位置付けの認識を表す格助詞「に」を隔たりを表す場合には使用しません〉とのこと。
もしそんな考え方ができるなら、
「近い」は「距離の隔たりが小さいさま」だから、〈位置付けの認識を表す格助詞「に」を隔たりを表す場合には使用しません〉とのこと、にならないんですかね。
何がなんだか。
No.1
- 回答日時:
コメントありがとうございます。」
有意義なサイトのご紹介、ありがとうございます。今後勉強いたします。
ただ、リンク先のサイトは「時刻」を表わす「まで/までに」の解説のようです。
今回の質問の「マデ」は「場所」を表わすもので、基本的には「マデニ」にはならないのでは。
>「には」は強調で 「に」は 移動する方向で示して、「まで」は 地点や程度
には→ 強調(個人的にはちょっと疑問あり)
に→ 移動する方向
まで→ 地点(や程度)
ということで、そこまではほぼ納得できます。
本題の2つの疑問に関してはどうお考えですか。
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現段階の考えです。
【(私の家は)駅{ニ/カラ/マデ}近い (私の家は)駅{△ニ/カラ/マデ}遠い goo〈2〉杉村氏の論文をめぐって】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12656676692.html
〈なぜ無理やり〈着点〉にするのか〉当方には理解できません。
〈着点〉とは考えにくいこともある……それだけのことでは。
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当方は、すでに書いたように長年日本語教師をしているかたの
〈授受動詞〉と〈準授受動詞とも言える動詞〉の場合は〈帰着点だけでなく、物や恩恵の「起点」が「に」でマークされる場合がある〉
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