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確認のための質問です。

神様が居るかいないかどうかは、その人の心に依存するわけで、

「いない」と思ってる人にとって、それが神の在り方(神=自分)である。
「いる」と思ってる人にとって、それが神の在り方(理想像)である。

ん?
ちょっと3mmほどズレてるかな?

A 回答 (6件)

人間そのものが「神」なんですけど。



「人間神の子」と言われてますし。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
恐らく多くの人は、自分が神に近い能力を有することを知らないのでしょうね。

お礼日時:2021/03/16 17:40

“信仰によって差異はあれど、人の心の中に居る”のであれば、存在しないでいいのでは?要するに宗教です。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ありゃ、論破されました(><)

お礼日時:2021/03/16 17:41

それでは、神がいるかいないかは個人の考え次第になってしまいます。



神を信仰している人でも、神を見たり、触ったりした経験は基本的にはないのです。神を感じるような経験をするのは奇跡なのです。
そのような奇跡を経験していない人であっても、信仰を続けていれば自分の心の中に神を感じることはできるという意味でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>神を感じるような経験をするのは奇跡なのです

私は実は今まで不都合な事実を無視している人生を歩んでます。

確実に見たのに、見なかったことにしたり、
宗教入りの親に見せられた、ありえない現象を目撃したりしました。

私の脳内判断では、現在の常識ではわからない現象があっても何ら不思議では無いという結論付けをし、そこへの探求は控え(拒絶し)てます。

ありえない現象を見せつけたから、その宗教は正しいという安直な結論をするような人間では無いので。

 それこそ信仰心がそこまであつかったら、その宗教を信仰している人は、皆幸せな人生を歩んでいるよね?というのが持論です。
 
 私の知る限りでは、その宗教で大成功を収めた人を知ってますが、
親族の信仰者は皆、不幸になってます。

よって、結局は人の心の中の本体(意志?)が目の前に突きつけられた現象・事態・問題をどのように捉えるかだと思ってます。

お礼日時:2021/03/16 17:48

私の心の師から聞いた話ですが、


人は産まれてくる時に、1人残らず神様からの分霊(わけみたま)と言う小さな小さな神様の分身の様なものを頂いてくるそうです。

信仰によって、神様からのお力が貰えたり、お知らせと言う、いわゆる正しい道を探るヒントを頂けるそうです。
居るかいないかではなく、全人類には必ず居る、が、私の知っている答えとなります。
ただ、それに気付くかどうかは、その人次第。
日頃の当たり前が、何一つ当たり前でないことにどれほど気づけるか。
どんな些細と思える様なことでも感謝し、現在の自分の周りにあるもの全てに感謝し、他者に優しくして、笑顔で楽しく暮らす。

それが沢山出来れば出来るほど、魂のレベルが上がり、外からの悪い感情に流されたり、自分の身に起きたことを嘆いたりしなくなり、人生を生きやすくするらしいです。

毎日、心穏やかに生きたいものですね。

あなたの人生が彩り多い楽しいものでありますように。

お互いいい人生を送りましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

あなたに出会えて感謝です^^

そう。最終的には本人の心次第なんだと思います。
同じ境遇にあっても逆境をはねのける人もいれば、死んじゃう人もいます。

>ただ、それに気付くかどうかは、その人次第。
>日頃の当たり前が、何一つ当たり前でないことにどれほど気づけるか。
>どんな些細と思える様なことでも感謝し、現在の自分の周りにあるもの全て>に感謝し、他者に優しくして、笑顔で楽しく暮らす。

はい。
私は幼少時代から不思議な経験を腐るほどしてます。
見たくないのですべてを拒否し続けました。

ただでさえ神経質に育てられたので、なんとなく気づいてしまったり、なんとなく頭に浮かんできたり、それは時に自分の身を助ける力にもなりましたが、
敏感過ぎて他人の悪意もひしひしと感じてしまうのです。

今日あった偶然としてはあまりにも出来過ぎている出来事も、視えないものの存在を実感します。

我々は死んだら「無」と思い込んでますが、過去の人達が築き上げた文化・文明・道徳・宗教のようなもの、、、つまり過去の人達の「意志」を確実に引き継いでいるのが理屈的にも分かってます。

 遠い未来(1000年後?)には、今の常識が抱腹絶倒ものなのがかなり出てくるでしょうから。

お礼日時:2021/03/16 17:56

居る、いない、つまり存在するか


否か。

存在には二種類あります。

地球や月みたいに、客観的に存在するモノ。

国家や愛のように、人間の頭脳の中にしか
存在しないモノ。

これを混同する人がおります。

神が存在するか否か、という問題は
客観的に存在するか否か、ということです。

頭脳の中に存在するか、という問題では
ありません。




神様が居るかいないかどうかは、そ
の人の心に依存するわけで、
  ↑
これは、客観的存在のことではなく、
頭の中だけの存在、つまり概念の
問題ですね。



「いない」と思ってる人にとって、それが神の在り方
(神=自分)である。
  ↑
神を信じないのですから、何事も
自分で決めなければなりません。
そうした意味で、 自分=神
という表現は可能でしょう。



「いる」と思ってる人にとって、
それが神の在り方(理想像)である。
  ↑
神の言うがママに生きれば良い
ということですから、神は理想像かも
しれません。



ん?
ちょっと3mmほどズレてるかな?
 ↑
ポイントは突いていると思います。

1㎜ぐらいじゃないですか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。


確かに国家や愛は、目に視えないものですが、
確実に存在することは議論するまでもありません。


目に視えないものを挙げればもっとたくさん出てきます。

「社会」
「道徳」
「人の感情」


でもこれらが確実に存在するからこそ、人は恋愛し結婚し子供を作ります。
時に国家の為に戦争に参加したりします。

ーーー

と脱線しました。

「神」の定義も人のよって恐らく違いますよね。


この自然界の法則もある意味で1つの神とさえ言えます。


「神様」は人と似たような四肢を持っていないかもしれませんし、
ビー玉ぐらいの球体かもしれませんし、
実体はないが確実に存在するようなものかもしれません。


1mmはありがとうございます(^^)

お礼日時:2021/03/17 16:50

>神様は人の心の中に居る、、、をやっと理解できました。

この認識でいいでしょうか?

間違いです。

『神』というものは、人の心に在るものではない。
対外的な存在です。

また、『神』の扱いには、宗教・宗派により異なります。
ということは、『神』について人間は統一した見解を持てない、、、という事です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

どうやらそのようですね。

個人的には神って不特定多数居ると考えるのが自然と思ってます。

星の数が「京」の数ほどあることからも、
また人間を形成する細胞が「兆」の数ほどあることからも、

たった1つしかない、唯物論には無理を感じます。


もっと飛躍して言えばこの空間でさえも、別次元が幾重にも存在しても不思議では無いと考えます。


かつての人類は地球こそ全宇宙の中心という、今じゃ笑えるような考えが信じられてました。

更に1000年後の未来、またや1万年後の未来では、我々の文明・考え自体が原始的になるのでしょうね。

お礼日時:2021/03/17 16:54

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