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「弥」が「彌」の略字として成立したのはいつ頃でしょうか?
「弥」と「彌」は同じ漢字の新字と旧字で、戦後にその表記が変わったのかと考えていましたら、飛鳥・奈良時代の古文書にすでに「弥」の字があるのを確認しました。
その成立はいつ頃なのでしょうか?

A 回答 (5件)

すべて彌と書くのが面倒な人は弥を使うのです。



何でも簡略で彌が正式でしょう。

條は条

澤は沢と

國は国と

纏と纒

これらはすべて本字・略字・俗字の違い・使い分けです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。長い歴史の中で書き易い形が生み出され、選ばれ、定着していくのですね。

お礼日時:2021/06/26 04:30

https://eiichi.shibusawa.or.jp/features/jikkenro …
貝塚茂樹
原文の底本としたのは、中国最古の注釈である魏の何晏の編した『論語集解』十巻である。日本の清原家が、王朝時代に輸入された『論語集解』の唐本をもととした写本を伝えているが、『論語』の研究に一生をささげられた武内義雄博士は、清原家本をもととして、それを唐代の開成石経に対照し、本文を校定された。この訳は、武内博士の校定本を参考にし、清原家本の明らかな誤りを若干訂正して本文とした。
   ~~~~~~~~~~~~~~
たぶん、「俗字」と康熙字典に表示されている字形は、それが本来の使用字形であって、「正字体」というのはむしろ特殊な用途・場面での装飾字形だったのではないでしょうか。
「「弥」が「彌」の略字として成立したのはい」の回答画像4
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

他の方からの情報に、《南北朝・隋・初唐頃まで「尓・尒」が主流で、中唐の『開成石経』以降は「爾」が正字となる。…「尓」は略字でも俗字でもなく、「爾」と同字である。(増殖難読漢字辞典.com)》というのがありました。

奈良時代の木簡や正倉院文書をみると、すべて「弥」もしくは「

お礼日時:2021/06/26 04:19

昭和48年の当用漢字音訓表公布からだと思われます

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/06/17 09:18

>飛鳥・奈良時代の古文書にすでに「弥」の字があるのを確認しました。



漢字が輸入されて間もない飛鳥時代の古文書にあったとすれば、中国でもそのような簡略体が成立していたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね、略字自体が輸入なのかもしれないですね。

お礼日時:2021/06/17 07:23

何時頃なのでしょうね?



母方の姓に 彌が 入ってるので 先祖を辿れば分かるのだが 家系図を調べても 其処までは辿り着かない
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

由緒ある家系なんですね。

お礼日時:2021/06/17 07:19

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