
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
桶狭間古戦場と呼ばれる所は2カ所有ります。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.3.10.813&el=136. …
明治37年6月の陸軍参謀本部「日本戦役」によると、
『この役の勝敗を決したる地は田楽狭間にして桶狭間に非ず。然れども桶狭間の名、既に膾炙(かいしゃ:広く知れ渡ること)す。故にこれに従う』
とあり、この合戦の勝敗を決めた場所は、桶狭間(右上の名古屋市緑区有松町桶狭間)ではなくて、田楽狭間(左下の方の愛知県豊明市栄町南舘)です。しかし、一般には既に『桶狭間の合戦』で世間に広く知れ渡っているのでこのまま桶狭間の合戦という名前にします。と言うことですね。
司馬遼太郎さんの『国盗り物語』では、
『因に 後世この決戦の場所を桶狭間と言い習わしているが、地理を正確に言えば「田楽狭間」である。桶狭間は田楽狭間よりも1キロ半西方にある町でこの合戦とは直接関係ない』
と書かれてます。
yukky-さん、御礼が遅くなってすいません。
●「桶狭間の名、既に膾炙す。故に、、、」ですか。なんとザックバランな。千葉にあっても東京ディズニーランド、みたいですね。
地図を付けてくださってありがとうございます。愛知に行ったら地図を頼りに、先ず豊明市の方から訪ねてみようと思います(でもきっと石碑とか無いんですよね)。
●『国盗り物語』では、、、
これは私も読んだことがあります。というか、この本が僕の疑問の出発点です。長年放ったらかしにしていた疑問が、ムクムクと頭をもたげて質問するに至りました。
ホントありがとうございました。かなりすっきりしました。
No.5
- 回答日時:
桶狭間か田楽狭間か、という話では藤本正行という方が『信長の戦争―『信長公記』に見る戦国軍事学』(講談社学術文庫)という本を出しています。
もともとこの本は『信長の戦国軍事学』という題で洋泉社から出されていたもので、司馬遼太郎も採用している田楽狭間への奇襲説を否定し、『信長公記』の記述からは「おけはざま山」への攻撃だ、としています。他の方も書かれているように『田楽狭間』説は小瀬甫庵の『信長記』により、それを明治の陸軍が採用したものです。まづは上記のご本を読まれて、ご自分で判断されると良いかと思いますよ。
この回答への補足
みなさんありがとうございました。
いろいろ説があるのは結局のところ変わらないのですが、質問させていただく前よりかなり自分の中で整理できた様な気がします。
皆さんの回答を拝見していると、やはり『信長公記』と『地名』と『陸軍』がキーのようですね。いろいろ文献も教えていただいたので、自分でもいま少し調べてみます。
ありがとうございました。
Mock_Hatterさん、ありがとうございます。
『信長の戦争』早速読んでみます(文庫、ってところがありがたいです)。
ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
『桶狭間(現在の名古屋市緑区から豊明市にかけてで、中京競馬場から歩いて10分ぐらいだったと思いますが)』は基本的に『田楽狭間』と同一とみて良いかと思います。
というのは現在の『桶狭間』の戦史研究(両軍の配置図、桶狭間の地形)は明治の陸軍参謀本部の古戦史研究を基にしているのですが、この時、参謀本部がその当時の地名である『田楽狭間』という地名を使ったとのことです。
参謀本部の作った地形図は、どうやら小瀬甫庵の『信長記』を下敷きにしているようなのですが、史家の間ではこの本の史料的価値は低いと見られていて、陸軍の古戦史分析と『信長公記』の記述に大きく矛盾するというところがあるそうです。
徳川の初め、まだ桶狭間役を見聞した古老が生きていた時に、尾張徳川家ではその見聞きを行い一枚の地図を作っています。今、名古屋市蓬沢文庫に残る『桶狭間図』がそれで、史料の少ないこの合戦の有力証拠となっているとのことです。
NHK出版協会 『歴史への招待第七巻 風雲児織田信長』
juntさん、ありがとうございます。御礼が遅くなってすいません。
なるほど信長公記の記述のあやふやさと、地名の変遷が重なって、正確に特定できないということのようですね。
『歴史への招待』は実家に在ったような気がします。早速送ってもらいます。
ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
どうも、こんにちは。
何の本かは忘れましたが以前読んだ歴史の
本には、桶狭間の中の田楽狭間という限定
された場所という風に書いてあるのを見た事が
あります。 真実は誰にも分かりませんが、
こういうのを想像するのって面白いですよね。
icebomさん、ありがとうございます。
実は近々愛知県に行くので、桶狭間に行ってみようと思っています。全然違うところで「ここかぁ」なんて物思いに耽っていたら間抜けだなと思って、正確なところを教えてもらおうと思っています。
ありがとうございました。御礼が遅くなってすいません。
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