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質問です。

よく、「痛みや悲しみを知っている人間は人に優しくなれる」とか「絶望を味わった人は強くなれる」っていう言葉をよく耳にします。

これらの言葉って、全ての人に当てはまるとは限らず、寧ろ心が荒んで自暴自棄になる人の方が多いのではないでしょうか? 「強い」や「優しい」とは真逆の人格になりそうな気がします。

それに対して、家庭環境も人生も何不自由なく順風満帆に育ってきた人の方が、心が穏やかに育って寛容なので、そういう体験したこと無い苦しさや悲しみを疑似体験できることによって「そうか、そんなことがあったんだね」「辛かったね」と優しくなれたり、強くなれたりするのではないでしょうか?

お金持ちで実家が複数ある、両親も兄弟も皆仲良しでおじいちゃんおばあちゃんも生きていて仲良しの円満家族。そんな家庭でのびのび何不自由なく育ったけど、自分の考えをしっかり持っていて、いじめたこともいじめられたこともなく友達も多い。自分一人でも生活できるように車の運転も家事も出来る。

上記の特徴は、実際にいる私の女友達の話です。今のところ幸せなレールの上を走っているって感じです。こういうラッキーな人生を歩んできた人こそ本当の意味で強く、他人に優しい人なのではないでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

今のところ精神的にも経済的にも恵まれている人は余裕があるから、思いやりは持てると思う。



ただ、心底分かるかと言うと分からないはず。

足の脛をぶつけた痛さはぶつけた事がない人には理解出来ない。
想像は出来るけどそれだけ。

あまりにも痛いと声も出せないくらい痛い。
それなのに見ている人が、傍で大丈夫?大丈夫?と聞いても声が出せない位痛いのだから返事は出来ない。

ぶつけた事のある人は、落ち着くまで声かけは待つ。

足が攣った事のない人も同じく。

結局、経験した人の方が強い。
だから、逃げずに立ち向かわないと。

引きこもりは貴重な経験をせずに時間だけが過ぎて勿体ない。

人間関係のイザコザも人が成長する上では必要。

その友達も、これから経験するはずです。

でも、乗り越えられる。

その様に自分で設定して生まれて来ているんです。

沢山色んな経験をすると、それだけパワーが蓄えられて強くなれます。
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正義の範囲に心いる人はね。

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個人的な考えですが、生まれながらに幸せのレールの上を走っているような人生はある意味可哀想だと思います。



心に余裕があるので人に優しくする事はできると思いますが、辛い経験をしていないので人の心の痛みは理解できないと思います。
話を聞いてあげたり、優しい言葉をかけてあげたりする事はできても相手の心には響かないと思います。

それと例えばこれから先、その家に何かが起きて今の幸せな生活が出来ない状況になってしまった時に、そのお友達は今と同じで精神状態で居られるのかどうかです。
もし同じで居られたなら本当に強い人だと思います。
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自分は もし死んでも 天国には行きたくない。



天国では 悩みもなく 毎日面白おかしく 幸せに暮らせるのだそうな。
でも 地獄では救われない痛みと憎しみで囚われた者達が 怨嗟の声を上げている。
どうしてそれで 悩みなく生きるなんて選択ができるだろう。

心に余裕を持つことは良いことだ。
だが 自分で経験しない限り 所詮人は 他者の痛みをわからない。
それでも「辛かったね」「大変だったね」と言えるのは 「私はそうではないけど」という壁が 明確に相手と自分とを隔てているからだ。

むろん「じゃあ私が面倒見てあげる」と言うには 恵まれていなければならない。
そう出来るのであれば その者は 強く そして優しい。
ノブレスオブリージュ 高貴たる者の義務を理解する 君主と言える。

が それは 救いではない。
昔の開拓時代のアメリカで 豊かな牧場主の白人の娘が 汚い黒人奴隷の娘がお腹をすかしているのを見て お菓子を与えるようなものだ。

まあ 鞭で叩くのが好きで 黒人の処女娘を犯すのが好きで 生意気で気に入らないやつの頭を1日3人は吹き飛ばさないと気が済まないような牧場主に比べれば 遥かにマシ・・っていうか 神様みたいに感じるかもしれないが。
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ラッキーな人生を送ってきた人は弱いですよ。

少しつまずくと落伍者になる可能性が高いと思います。
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ん…。



質問の意味は理解できます…

優しさと、相手を慮ることは、
似て非なるものだと思っています。

災い転じて福となす力のある人、
絶望の淵から希望を見出だし、
その経験を人にひけらかしたり、押し付けない人が
強くて優しい?人かな、と個人的には思います。

ラッキー?な人は穏やかで居心地の良い関係が作れたり、羨望の対象にはなるけど、信頼に足る人になるのだろうか……?

質問者さんは、まだ若い方なのかな…?
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何もなく幸せに順風満帆に育った人は少数だと思われますが、人の痛みがわからない人もいますね。



両親は離婚こそしていますが、周囲の環境に恵まれて成功し、世間を騒がせた障害者虐めの人のような例があります。大津虐め自殺事件の犯人も裕福な家庭で育ったような子供たちでしたね。

真逆の人になるのは、痛みや悲しみを味わった体験をしても、学ぶことがなかったり、今現在も乗り越えられていないトラウマのあるような人だとしたら、自分に余裕がないのに他人のことまで構っていられないでしょうね。その辛さを自身で克服した人でないと、挙げられているようにはなりません。

そのお友達は恵まれた環境で育てられましたね。
明るく、友達も多く、人に嫌われないように生きていくための知恵や要領や賢さが自然に身についているのでしょう。
それでも他人に見えていない部分というのは、誰にでもあるものです。
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それは優等生、エリートグループの話かと。


年代不明ですが、世の中色々な人います。
若くて這い上がって苦労した人、
親の力で裕福な人、中間、それが大学なり会社なり公務員なり組織にいます。
エリートグループ、中間、その下では苦労のレベル違います。
頭でわかるのと、経験では違う。

貴方の気持ちわかるよ、。
立場に立って始めてわかる。
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金持ち喧嘩せずではあるが、


あなたの指摘は、恵まれた世間知らずなだけであって、
人並みの優しさや強さしか持っていないので、人より優れた優しさや強さではない。

ラッキーを他人や環境から与えてもらってきたくじ引きの強者でしかなく、死ぬまでが人生なので、実力不足や運で今後レールを脱線や転落することは死ぬまでいくらでも可能性は残る。
痛みや悲しみ、絶望を味わって、優しさ強さを持った人は、崖から這い登ってきて生還した人なので、同じ失敗を繰り返さない(繰り返す人も多いんだけど)対策を持っているし、耐える強さを持っている。

結果は自分が死ぬときの終着駅で出るのだから、幸せのレールの乗っている状態では、将来の行き先は見えておらず、本当の意味などない。

そもそも禍福とは環境や状態ではなく感情の刺激であり、人生山あり谷ありなのだから、幸せの絶頂の先は転落か惰性しかなく、事象の水平線の先は当人には見えない。
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確かにそれも一理あるけど、恵まれてあまり苦労せず生きてきた人に、その人が経験していない苦労のことを相談したって「そんな経験ないから分からない。」ってなると思うなぁ。


そう考えると、強くて優しい人って言うのは、「その人の辛さがわかるからこそ、優しくしてくれる人」だと思うよ。結局は性格だね。辛さが分かっても優しくしない人だって居ると思うし。
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