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1. 《コミュニケーションする意図を持たない人は 人間以前である》と岩井克人が述べています。この見解について 賛成の立ち場で考えるところを述べて みなさんのご見解を問います。

 
2. 少々旧聞に属しますが 柄谷行人との討論形式による共著『終りなき世界―90年代の論理』で 岩井克人が 次のように発言しているところです。

▲ (岩井克人:《人間以前》について)~~~~~~~~~~~~
3. 日本人が《偽善》を嫌うという話ですが それは日本人の世界宗教性のなさということの裏返しなわけですが 同時に 日本人が世界的な意味でコミュニケーションを拒否していることの裏返しでもあるわけですね。

4. いま柄谷さんが 人間は偽善者であるほかはないと言われたんですが その場合の人間とは 世界と言語を使ってコミュニケーションする意図を持つ人間という意味なんですね。

5. そういう意図をもたない人間は ある意味で人間以前の存在なわけですね。もちろん 日本人であったり イラク人であったり アメリカ人であったりはするんだけれど 人間ではない。
(柄谷行人・岩井克人:『終りなき世界―90年代の論理』1990 p.131 )
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6. 質問者としては この――もしそうだとすれば――コミュニケーションが成立し得ないような人間関係において とうぜん 広い意味での社会的な身分の上下関係から来る下にある者のこうむるストレス これが 問題になると考えます。

7. そのことを取り上げたいという意図が むしろあります。要するに 権限のある人は 普段は 立派に振る舞うのですが どこかでは そのような上級の人でもなお持ち得る不平や愚痴としての意識を 好き好んでか嫌々ながらか ただただ排泄するという部分もみられるようで これを受け止める側――《アース役》――のこうむり得るストレスという問題です。


 
8. ですが・しかも その前に《ある意味で人間以前〔の状態にある人間〕の存在》という規定について思うところを述べてください。あるいは 解説してください。

9. あらためて噛み砕いて復唱するなら 次のように言っているものと思いますが。10~13。

10. 人間はたとえ偽善者となっても 言葉を用いて相手とのコミュニケーションはおこなうものである。絶やさない。

10-1. 応答に困る場合には 保留させてくださいとことわるのが ふつうです。しばらくでも 一生でも答えを俟ってくださいと。
   
11. ところが これを絶やす場合がある。一般に 日本人のことである。(他との比較であるよりは 絶対値として捉えてください)。

12. 言いかえると 幸か不幸か 偽善者であることを嫌うという傾向がある。

12-1. ウソ・イツハリで応答する場合は 論外である。自分でなくなっているからには 無効である。

12-2. 偽善者もウソをついている部分があるのですが それは 努力目標として掲げているという恰好になっています。その限りで 現実です。

13. 何が原因か? それは ひとつに《世界宗教性の無さ》から来ると考えられている。また そもそもコミュニケーションする意図を持つのことのない《人間以前の状態》にあるからだと言う。


14. この問題は このたび 象徴天皇の周辺で露見したと思われますが どうなんでしょう。

質問者からの補足コメント

  • 15. ふつうのコミュニケーション・ふつうの対話・話し合いが: 

    ▲   誹 謗 中 傷

    ☆ と一方的に規定されたのですからね。中身は いっさい切り捨てでした。

      補足日時:2021/10/23 09:18

A 回答 (120件中111~120件)

反対派の問題点それは己の考え方を絶対視していることです。


その姿勢を改めない限りた意を異にす人達とコミュニケーションなんて取れるはずもありません
大多数のマトモな大人達はそれを踏まえているのにです
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元婚約者と小室佳代氏の間に何があったのか?それをご存知なのですか?


そもそも殆ど国民はその事を詳しく知りようが無い。何故なら殆どの国民はその場に居なかったのだから。
表層的断片的な情報で決めつけること自体が愚かです。
そもそも小室佳代氏と元婚約者との問題は当事者同士の問題。事情をろくに知りもしない者たちが野次馬根性で首を突っ込む話ではありません
反対派はその至極当たり前のことすら理解していません
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この回答へのお礼

▲ 小室圭さん金銭問題の説明文書公表 ~~~~~
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210408/k10012 …

5【金銭トラブルと言われている事柄に対する私と母の認識について】

(2)翌年の平成23年(2011年)3月に発生した東日本大震災の影響を受けて・・・

元婚約者の方が母との婚約を破棄するまでの間支援してくださったことへの感謝の気持ちは当時も元婚約者の方に繰り返しお伝えしていましたが、今も大変ありがたく思っています。
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お礼日時:2021/10/23 12:32

ついでに言えば他人の話しを聞かない事は違法でも不法でもありません


言い換えるならば他人に話しを聞いてもらいたいならば相手がその気になるように話しを進めなければならないと言うこと
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いやいや眞子内親王の人間性を踏みじっているのは眞子内親王を人格攻撃をしている輩共です


少なくともヤフトピで眞子内親王の人格を尊重した上で感情に囚われず冷静に批判している人達は反対派の中の極極一部です
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小室佳代氏と元婚約者との問題は典型的な女と男の問題。

別れた途端態度を翻す事なんて日常茶飯事。
感情がもつれてしまったならば当事者同士で解決出来ないのは当然の事。そうなってしまったならばお互いに代理人をたてて代理人同士話して解決させるのが賢明。
それを踏まえて言えば小室佳代さんは元婚約者に会いたがっていないので、小室佳代さんと元婚約者が直接会えることすら望めない状況。
このような状況で解決しようとするならば元婚約者側は小室佳代氏の代理人である上芝弁護士と交渉するのが当然
そうしないで小室佳代氏と直接会おうとしているのは元婚約者がこの問題を解決しようとしていない証拠
反対派は上記を認めようとすらしていない。と言う事です
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この回答へのお礼

★ 小室佳代氏と元婚約者との問題は典型的な女と男の問題。別れた途端態度を翻す事なんて日常茶飯事。
☆ 問題は そこではないでしょう。

佳代氏の息子である圭氏が 国民注視の中で眞子氏と結婚するというので その小室母子さんも 少しは体裁をつけざるを得ないと考えたのでしょう。

それで 元婚約者を《恩人》とよぶようになっています。

恩人であるなら それ相応に遇しなければならない。ところが そうであるにもかかわらず そのあとの経過として一連の疑問が なお上がっている。つまりそれを:
★ 正当な批判
☆ として公言しているのが 多くの国民です。



あとは推して知るべし。



しかし こういった分かり切ったことをなぜ いちいち言わなければならないのか。

お礼日時:2021/10/23 12:00

正当な批判であっても人格攻撃は決して許されるものではありません。


反対派のヤフトピでの眞子内親王へコメントの多くが眞子内親王の人格攻撃をしています。眞子内親王が皇族でなければ普通に民事・刑事両方の責任が追求されて然るべきものです
それに対して眞子内親王が打てる手は反対派の主張をシャットアウトすることです。やむを得ない判断です
反対派の問題は主観に囚われて己の発言を客観視できないことです
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この回答へのお礼

★ 正当な批判であっても
☆ は それだけで その内容が成立するものです。つまり 明らかに誹謗中傷なのではありません。

ところが すでにコメントはすべて誹謗中であるとして被害をこうむったのだと 実質的に眞子氏は 公言しています。



あと 相手の発言とその意志ないし心をないがしろにすることは 不法行為です。人間性を踏みにじる行為です。

お礼日時:2021/10/23 10:51

反対派が感情に囚われ己らの主張に反する主張を拒絶しているのは意を事にする者たちとのコミュニケーションを拒絶している証


その根底が妬み僻みをこじらしたものでありその発想は幼稚なもの。幼子のです駄々こねレベルですね
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


借金だとみとめるなら のちのちの子孫まで借金倒しの家系だと批判され続けるから そうはしないのだと言い張っていたのが――返して欲しいというテープがのこっていたと分かって 何の説明もなしに―― 解決金を支払いますと発表しました。その後の進展はありません。

こういった物言いは:
★ 感情に囚われ己らの主張に反する主張を拒絶している
☆ に過ぎないということでしょうか?

お礼日時:2021/10/23 10:39

書き直しました。

文章になっていなかったので。コミュニケーションそのものと言える、「他者に耳を傾けること」によって、われわれの主観は互いに、つど、動き、組み換えられ、変容し、あるいは崩壊再構成します。これに快楽を覚えるのか、不快を覚えるのか?交換によるテクストの快楽か不快か??岩井さんの視点でみれば、テクストの快楽を覚えぬもの「人間に非ず」ということですね。
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この回答へのお礼

★ 書き直しました。文章になっていなかったので。
☆ いくらか はい。


★ コミュニケーションそのものと言える、「他者に耳を傾けること」によって、われわれの主観は互いに、つど、動き、組み換えられ、変容し、あるいは崩壊再構成します。
☆ 《崩壊と言わざるを得ないほど心が落ち込み 折れる場合がある。けれども われわれは 他者の言動によって決定的な影響を受けるわけには行かない。なぜなら 非は 他者にあって こちらには少ない。したがって 再構成する》のだ。ですかね。



★ これに快楽を覚えるのか、不快を覚えるのか?交換によるテクストの快楽か不快か?? 岩井さんの視点でみれば、テクストの快楽を覚えぬもの「人間に非ず」ということですね。
☆ あぁ。なるほど。日常のあいさつから始まり 思いを述べ合ったり意見を交換したり 共通の問題に取り組み互いに解決へ向けて話し合っていく。そのとき なぜか このような人と人との交感を知らず喜ばずなだけではなく その話し合いを一方的に断ち切ってしまう場合がある。――これ 人間に非ず。

こういう趣旨ですね。


このあとは 解決法です。

応答をうながすだけでは 埒があかないとき。などなど。

お礼日時:2021/10/23 06:40

コミュニケーションそのもの、と言える、「他者の声に耳を傾けるとそのもの」が、こちらの主観性が動き、変容、組み換え、崩壊、増幅がおきます。

あるいは、そこから他者と心のコレスポンデンス=交感、共感共鳴がおきます。これはコミュニケーションの快楽、間主観的テクストの快楽ですよね。人ー間の快楽ですね。経済学者の岩井さんの資本主義の経済=交換システムにおいて「人間不在」と仰ってましたが。彼の視点に立てば、コミュニケーションにおいても、人間は不在なのでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ コミュニケーションそのもの、と言える、
☆ はい。


★ 「他者の声に耳を傾けるとそのもの」が、こちらの主観性が動き、変容、組み換え、崩壊、増幅がおきます。
☆ ですね。そのあとの行動が 問われます。


★ あるいは、そこから他者と心のコレスポンデンス=交感、共感共鳴がおきます。
☆ あぁ。そういう場合は もう問題はなくなりますね。ひとこと同感・賛成というだけで 話はつづいていきます。


★ これはコミュニケーションの快楽、間主観的テクストの快楽ですよね。人ー間の快楽ですね。
☆ そうなんですが いまは そういうマジハリ(交通)が 一方の側において成り立たなくなる場合なんですが。


★ 経済学者の岩井さんの資本主義の経済=交換システムにおいて「人間不在」と仰ってましたが。彼の視点に立てば、コミュニケーションにおいても、人間は不在なのでしょうか?
☆ ん? 問題点が錯綜しているかに思うのですが。


資本主義的行動として わたしは 勤勉とガリ勉とがあると思います。

勤勉なる資本志向にもとづく社会生活一般は 勤勉のむさぼりについて なおまだ意識において捉えており いわゆる良心的です。

ですが 勤勉至上主義となったガリ勉による資本とその増殖の追求は 周知のように利潤第一です。商業道徳もエコロジーも 利潤があり会社が存続してこその問題だという見解があります。

勤勉志向は ガリ勉指向の前に 主義や原則を曲げざるを得ない局面に落ち入ります。

★ 資本主義の経済=交換システムにおいて「人間不在」
☆ となります。

★ コミュニケーションにおいても、人間は不在
☆ となり勝ちであり しばしばなっていると思います。



ただいまの問いは 二角関係にあって 一方の側が 話を絶つという事態をめぐってです。


たとえば やむを得ず原発に少しは頼らざるを得ない状態であるといったふうに 《応答をする》かしないかの問題だと思います。

その場合 《だんまりを決め込む》場合とそして《ウソをついてその場を逃げ切る〔に過ぎないわざに出る〕》場合があると見ています。

お礼日時:2021/10/23 06:31

これ、朝鮮民族と間違っているようだね。


特にミンジョク挙げて反日運動を展開している南鮮人そのものの
分析内容だもんね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 朝鮮民族・南鮮人
☆ は ひとえに《うそつき・いつはり》の問題ではないでしょうか。

つまり――それは 基本として無効の意志行為なのですが―― ウソとしては応答している事実があるわけです。

かたちの上では コミュニケーションが保たれます。


そうなると どういうことか。

と言いますと その虚構――あるいは虚数としての発言――が じつはそれとして 人間社会では とおっていくことになっています。

むろん その非現実があきらかになってしかるべき処置も処理もなされていきますが それでも 虚構は――或る意味で 偽善の言動と同じように―― 人びとのあいだで流通して行きます。




偽善は 一般に プラスの象限にあります。言うことと行なうこととの間に差があるというかたちです。同じ事態にあって 足りる・足りないの問題であると。

ウソは 一面として事実を曲げているからにはマイナスの象限にあります。もう一面としては 言うこと為すことの一般として――発言があるかぎりで――プラスの事態だと ひとまづ見なされるのではないか。

――こういう問題であろうと考えるのですが?




参考にどうぞ:
☆☆ 【Q:《息をするようにウソをつく》人間の起こり ――または 《虚数人間》の成り立ちについて――】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11638678.html

お礼日時:2021/10/23 06:13
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