太平洋戦争前、日本の中島飛行機は、排気量38リットルの「ハ109」1500馬力エンジンを開発した後、どういうわけか、性能の劣る、排気量28リットルの「栄」1000馬力エンジンを開発し、この栄エンジンは、有名なゼロ戦に搭載され、日本海軍はゼロ戦で終戦まで戦います。
アメリカ、ドイツ、イギリス、共通して航空機用エンジンの開発の歴史は、排気量増大→エンジン出力増大の歴史です。
しかし、日本の中島は、どういうわけか、1500馬力エンジンを開発した後、1000馬力エンジンを開発しました。しかも、日本海軍は、その1000馬力エンジンを搭載したゼロ戦で終戦まで戦って居ます。
当然の事ながら、エンジン出力が劣れば、機体の性能も劣るわけで、1000馬力のエンジンを積んだ、ゼロ戦は、2000馬力のエンジンを積んだ、アメリカのグラマン戦闘機に次々と撃墜されました。
日本海軍は、1500馬力のエンジンが先に開発されているのに、何故、1500馬力のエンジンの戦闘機を開発して、戦わなかったのですか?
馬鹿だからですか?
_________________
中島飛行機で開発されたエンジン
●ハ109(ハ5系)
タイプ:空冷星型複列14気筒エンジン
排気量:37.5L ●●●
1,500HP
二式単座戦闘機(鍾馗)に搭載
_________________
中島飛行機で(ハ5系)に続いて開発されたエンジン
●栄(ハ25系)
タイプ:空冷複列星型14気筒エンジン
排気量:27.86L ●●●
990 hp
ゼロ戦に搭載
No.19
- 回答日時:
いやいや、誰も名前の話なんかしてないでしょ? 鍾馗と雷電の違いは名前だけではないわけですから。
仮に、雷電の方が2式戦より優れていたとしても、雷電が制式採用されるのは、1944年(昭和19年)10月では、既に戦争の勝敗は決しており、無意味です。
それに対して、二式戦闘機は、1942年2月に制式採用されています。
____________
雷電(Wikiより)
1943年(昭和18年)8月に試製雷電と改称は、最大出力発揮時に激しい振動が発生して大問題となった。
この振動問題が解決されるまでに1年以上を要し雷電の実用化を大幅に遅らせることになった。
制式採用を待たずに1943年(昭和18年)9月から量産が始められ、試製雷電として海軍への引渡しが始まったが、部隊配属後も高高度において定格通りの出力が出ない、電動式の引込脚が動かないなど問題が多かった。
高高度での出力低下は全開高度を引き上げた火星二六型への換装などで一応の解決を見たが、電動機構の不調は最後まで解決しきれないままであった。
試製雷電が雷電一一型として制式採用されるのは、計画要求書交付から実に5年後の1944年(昭和19年)10月である。
No.18
- 回答日時:
追記ですが、補足にあった「二式戦(鍾馗)を雷電の代わりに使えば」と言う意見は基本的にはピント外れだと思います。
鍾馗が陸軍機であるのに対して雷電は海軍機。陸軍機と海軍機では仕事が違うわけですから、当然要求される性能も違います。なので「鍾馗を雷電の代わりに」と言うのは言ってみれば「フィギュアスケートの靴をスピードスケートの靴の代わりに」みたいな事になると思います。重要なことは「役に立つかどうか」であって、名前は重要ではないです。
どんな名前でも役に立てば良いです。例えば、双発戦闘機「月光」は夜間戦闘に用いられましたが、元々は夜間戦闘機として開発されたわけではないです。
No.17
- 回答日時:
話を戻すと、零戦に1000馬力のエンジンを積んだのは単純に「1500馬力のエンジンを積むより1000馬力のエンジンを積んだ方が性能が良くなるから」と言う事でしょう。
ただでも要求性能を満たそうと悪戦苦闘しているわけですから、わざわざ性能が落ちる選択肢を取るわけがありません。こう書くと「1500馬力のエンジンを使った方が性能が上がるに決まってるじゃないか」と思われるでしょうが、その辺りは素人の私達が考えるような単純な話ではないのだと思います。例えば97式艦上攻撃機では引込脚を採用しているのに対して、それより後から作られた99式艦上爆撃機では固定脚を採用しました。また零戦の前の主力戦闘機だった96式艦上戦闘機ではキャノピーを密閉式にする技術があったにも関わらず開放式キャノピーにしていました。なので「ハイスペックのものを使った方がいいに決まっている」と言う単純な話ではない事になります。
No.16
- 回答日時:
そうですね、1500ccのエンジンを積んだら、それより大出力の2000ccの敵機はザコ同然で楽勝だったのでしょうね。
ハ109(ハ5系)
タイプ:空冷星型複列14気筒エンジン
排気量:37.5L ●●●
1,500HP
二式単座戦闘機(鍾馗)に搭載され、立派に役に立っています。
戦闘機には速度が何より重要です。何故なら、戦闘機の戦いでは、後ろを取られたら、逃げるしか無いからです。速度が勝っていれば逃げられますが、速度が劣っていたら、追いつかれて撃墜されるだけです。
そして速度を上げるには、より大きな排気量のエンジンを積むしかないのは自動車レースと同じです。
No.15
- 回答日時:
補足の内容についてですが、記憶に間違いなければ零戦と鍾馗は別の種別の戦闘機です。
零戦は護衛戦闘機としても迎撃戦闘機としても使えるよう要求されていましたが、鍾馗は迎撃戦闘機として特化したものだったはずです。なので護衛戦闘機には重要な旋回性を犠牲にして速度を重視できたのだと思います。それに名前の通り鍾馗の方が後から作られたわけですから、零戦より鍾馗の方が速いのはある意味当然の事でしょう。No.14
- 回答日時:
零戦の性能があまりにも良すぎたので、零戦の製造や修理に追われて、新型戦闘機の開発にまで手が回らなかった。
エンジンだけでなく、機体全部の設計開発はたいへんな時間がかかります。
結果、当時は民間だった会社が、エンジン出力が零戦の約2倍の紫電改を開発製造。零戦に代わる切り札として期待されましたが、何せ、終戦間際。。
No.13
- 回答日時:
当然の話ですが「1500馬力のエンジンを採用しなかった」ではなくて「採用できなかった」と言う事です。
零戦の場合は元々は栄ではなくてより高性能の他のエンジンを使う予定でしたが、故障が多いか何かで実用に耐えるものではなかったようです。ハ109(ハ5系)空冷星型複列14気筒エンジン 排気量:37.5L 1,500HP
二式単座戦闘機(鍾馗)に搭載され、実戦に使われてます。
零戦の搭載された「栄」と同じ中島のエンジンですから、排気量が大きいだけで、他は同じです。しかも栄よりも、早く開発されています。
おそらく、三菱が中島のエンジンを載せたくなかったからでしょう。三菱が栄を載せたのは、三菱の判断ではなく、海軍からの指導ではないですか?
No.12
- 回答日時:
簡単に言えば、備えたくても国が貧乏すぎて備えられなかった!ということです。
「あらかじめ備える」そのリソースが日本にはありませんでしたし、さすがに話がずれすぎです(小生にも責任はありますが)
なぜできなかったのかと後知恵で批判するのは簡単ですが、反面発展性のない愚痴でもあります。
当時の日本に限らず、物事については特に失敗した営みについて「有効だとわかっていてもできなかった」ことが多量にあります。
日本でまともに航空機用エンジンを開発・製造していたのは、陸海軍の研究機関を除けば三菱・中島・川崎・愛知くらいでした。後者2つはもっぱらドイツ設計のエンジンのライセンス生産とその改良でしたが。
日本のエンジン開発チームの数は、機体設計チームの数よりもさらに限られていました。その限られたチームで既存エンジンの改良と新規開発を並行しなければならなかった(さらには増産のための技術指導まで)ので、どのチームも手一杯でした。
なぜ日本が開戦時に1500馬力級エンジンを搭載した主力戦闘機を揃えなかったのか、また2000馬力級エンジン開発に遅れを取ったのかについては、一般には日本の工業技術全般の遅れが原因とされています。
それでは満足できないという向きには様々な資料が公開されているので、そちらをご自分で研究してみることをお勧めします。
R−2600(F6F初期型など)の原型完成が1935年、R−3350(Bー29用)の原型完成が1937年などと並べると、軽く絶望できます。あらかじめ準備しておくだのといった寝言は、この辺の技術レベルの絶望的な格差を踏まえてからいいましょう。
(そもそもアメリカと同時期に同じような出力のエンジンを作れるような国なら、史実のような形では米英相手に戦争を起こしていません)
一例を挙げますと、中島の誉(1800hp、米R−2600相当)は1942年9月には生産開始されていますが、1943年までの完成数は200〜300と言われています。生産開始と同時に量産できるようなら、1943年春〜秋には海軍なら烈風、陸軍なら疾風が実用化されていたことでしょう。
なぜ直ぐに量産できなかったのか、については、単純に先見の明のなさで片付けるわけにはいかない問題が大量に存在しています。
(製造工程のマニュアル化が不十分、締め付けトルクが人間の感覚頼り、品質の安定した鋼板や合金を作れない、工作機械が数台で1台のモーターを共有していて出力不安定、一見公平な徴兵のために熟練工が情け容赦なく引き抜かれる、零細企業頼みで工場間の仕上がりの差が激しい、末期になると高等女学校から勤労奉仕で動員された女子挺身隊員が製造ラインについている傍で工業学校生が草むしり、オイル漏れ防止のパッキングや絶縁性能の高い電線が作れない、そもそもエンジンオイルをまともに国産できず米国製の備蓄頼みで戦っていた・・・・・・細かく数えれば数千件の問題点が挙げられています)
もちろん仮想戦記ばりに1920年代から対策をとれば、とは誰しも直ぐに考えるところですが、1920年代の日本は失われた30年もかくや、な絶望的不況の底に沈みっぱなしで、その余裕はありませんでした。
(戦後恐慌→関東大震災→金融恐慌→世界大恐慌(昭和恐慌))
「なぜできなかった」と後世の人々が責める物事の大半は、当時の人々にとっては「やりたくてもできなかった」物事でもあるのです。
No.11
- 回答日時:
№10です。
丁寧なお礼(補足)をありがとうございます。確かに海軍のあれもこれもは愚策だったんでしょうね。開発拠点となる企業や開発者なんて有限だったのに。質問者様がおっしゃるように莫迦だなーと。(これは後知恵でも何でもないと思う)
ところで他の方への回答をお借りしても仕分けないですが、
>アメリカ軍は2000馬力のヘルキャットを空母に載せてます。航続距離は短いですが、アメリカ軍の考えは「後の先」を取れば良いという考えでした。
→そりゃまあアメリカの空母は船体長は同じでも甲板面積は日本の空母の倍近くありましたから、艦内容積だってたっぷりあったんでしょうね。それに艦載機はみんな折り畳み式だし、天井のレールに吊るすし。先に書いた「空母の戦力は搭載機数」を地でいってたんでしょうね。日本の航空機だと「重量が」でポシャってしまう話で。
それから航続距離が短くても可ってのは、後になってレーダーの活用が進んだこともあるんでしょう。無駄に飛び回らなくても敵を探知し、適切なタイミングで誘導できるってのは無断な距離を飛ばなくていいことになりますし。
で、なんだかか質問じゃなくなってきましたよ。
No.10
- 回答日時:
なんかいろいろ事情はありますけどね、ハー109が二式戦闘機に実装されたのが1942年末でしょ。
1939年には初飛行している零戦に積むのは無理ですよね。>日本海軍は、1500馬力のエンジンが先に開発されているのに、何故、1500馬力のエンジンの戦闘機を開発して、戦わなかったのですか?
馬鹿だからですか?
→莫迦はバカだとは思うけれど、海軍は1800馬力級の大直径エンジンの雷電を開発していますよ。ただしこれは空母に積まなくてよくて航続距離も短くていい局地戦闘機。
零戦に1500馬力級を使わなかったのは空母に搭載する艦上戦闘機だったから。空母というのは搭載機数によって戦力が左右されます。だからできるだけ数を積みたい、そのためには小さく作りたい。特に設計主務の堀越さんはとにかく空力重視でしたし、エンジン径が大きければ機体は必然的におおきくなる、そうなると搭載機数が減る。搭載機数が減ったら空母の戦力の低下。
もうひとつ、零戦に求められた要求性能の肝のひとつは爆撃機の護衛が可能な長大な航続距離。いくら馬力が大きくても燃費が良くないとね。
ということで、零戦には径が小さくて燃費の良い栄が選択されたと。仮に馬力重視でハ-109系を選んだら大きくて航続距離の短い機体となってしまったんだと思います。空母に数は載せられない、航続距離が短くて爆撃機の護衛ができない、まさかの要求と真逆の戦闘機が出来上がっただけで、なにやとんじゃ三菱!と不採用になるだけです。
艦上戦闘機と局地戦闘機の違いを考えるとそれなりに妥当な選択ではあったかなと思います。
二式戦を零戦の後継にということですが、それは違うでしょう。艦上戦闘機としてはまるで使えない。ただし局地戦として雷電の代わりというのはよかったかもしれません。ちなみにFw 190を例に挙げられていますが、ありゃ日本でいわせりゃ局地戦ですよ。航続距離はまさかの800㎞台。雷電よりも短い。
二式戦を雷電の代わりに使えば、そもそも雷電を開発する必要は無かったでしょう。当時の海軍はやたらと「新兵器」「珍兵器」を作る事に、無駄にエネルギーを消耗しています。閃電、震電、など。
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分かります。航続距離の長い、エンジン出力の低いゼロ戦で、はるばる飛んで行って、待ち構えていた、航続距離の短い、エンジン主力の大きなグラマンに攻撃されて、次々と撃ち落とされたのですね。
中島飛行機は、千馬力のエンジンより、先に、千5百馬力のエンジンを開発していますよ。
●ハ109(ハ5系)
タイプ:空冷星型複列14気筒エンジン
排気量:37.5L ●●●
1,500HP
二式単座戦闘機(鍾馗)に搭載
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中島飛行機で(ハ5系)に続いて開発されたエンジン
●栄(ハ25系)
タイプ:空冷複列星型14気筒エンジン
排気量:27.86L ●●●
990 hp
ゼロ戦に搭載
ドイツ空軍の有名なフォッケウルフ戦闘機も1,500馬力でした。
Fw 190は当時使用可能だった唯一の1,500馬力級空冷星形エンジンBMW 139(離昇出力1,550馬力)を使って開発された。排気量:41.8 L
性能を決めるのはパワーウェイトレシオです。防御鋼板を付ければ、重くなり、重量出力比は悪くなります。従って、強力なエンジンが必要なのです。
___________
パワーウェイトレシオ(重量出力比、馬力重量、出力毎重量。英語では Power-weight ratio または Weight-to-power ratio、関連: Power-to-weight ratio.)とは、
重量を出力で除した商であり、自動車などの加速能力に関わる指標として用いられる数値である。
主に、四輪車やオートバイ、船舶、航空機などの輸送機械の性能について、あるいはエンジン単体の素性を表すためにも用いられる。
二式戦闘機をゼロ戦の後継機として使うべきではなかったでしょうか?
もちろん、海軍で使うには改良する必要が有ったでしょうが、最初から設計するより、早く実戦に投入できたでしょう。
しかし、海軍は陸軍の機体を使うのを嫌がって、雷電を開発しようとしましたが、開発は遅れに遅れて、活躍する時期を失ってしまいました。
二式戦闘機をテストしたアメリカ軍の評価。
__________
鹵獲した二式戦二型(キ44-II)の1機を使用し実際に飛行テストと性能調査を行っている。報告書によれば「急降下性能と上昇力が傑出(Excellent)しインターセプターとしてもっとも適切(Suitable)な機体」と論じている。同機関では他にも、三式戦・四式戦・雷電二一型・紫電一一型などの鹵獲機を調査しているが、二式戦はこれらの中で迎撃戦闘機(インターセプター)として最高の評価を得ている[18]。
優れたパイロットでなければ使えない戦闘機は実戦では役に立ちません。なぜなら、戦争が始まると、パイロットはすぐに足りなくなり、未熟なパイロットでも出撃させなければ成らなく成るからです。
__________
Wikiから、
一部の古参操縦者には海軍の雷電と同様に扱いが難しい機体であると敬遠され、当初飛行時間800時間に満たない操縦者による操縦は危険であるとされたが、若年操縦者を乗せても何ら問題はなかった。また、従来1,000時間以上の者でないと乗りこなせないとされたが、200時間程度の者でも戦果をあげるなどしている。四式戦が登場するまで、優秀な上昇力や急降下性能、最高速度、武装、防弾装備、頑丈な機体に魅力を感じた操縦者も多かった。
二式戦を雷電の代わりに使えば、そもそも雷電を開発する必要は無かったでしょう。当時の海軍はやたらと「新兵器」「珍兵器」を作る事に、無駄にエネルギーを消耗しています。閃電、震電、など。
その時に成って、慌てて開発して時期を逸するより、万一の為に、予め開発だけはしておくべきでしょう。開発に時間がかかるからです。量産は必要に成れば、その時にすれば良いです。
アメリカ軍は2000馬力のヘルキャットを空母に載せてます。航続距離は短いですが、アメリカ軍の考えは「後の先」を取れば良いという考えでした。
つまり、先に相手に攻撃させ、味方は上空で待ち受け、相手を消耗させてから、制空権を取って、後から悠々と攻撃に移れば良い。
このやり方だと、空母を見失う事も無く、故障で不時着水したり、撃墜されたパイロットは、脱出して、海上に浮かんでもすぐに助けられるので、パイロットの消耗を減らせます。
実際、日本軍機は遠くで戦ったので、長い行き帰りで、行方不明が多く、米軍よりも、多くのパイロットを失いました。
この動画を見ると、速度の遅いゼロ戦よりも、速度の速い鐘軌に乗って戦いたく成りますね?
[WarThunder VR実況] 鍾馗二型乙 VRでリアルな空戦(SB)#60
つまり、海軍が陸軍の2式戦を採用せず、雷電の開発にこだわったのも、その意地の張り合いですね。
陸軍と海軍の、つまらん意地の張り合いで、本土の一般市民はB29の焼夷弾に焼き殺されたのです。
日本軍は太平洋戦争が始まる前に「空軍」を創設するべきでした。そして陸軍と海軍の航空兵力は、空軍に統一するのです。
そうすれば2式戦が有るのに、雷電を開発するような無駄なことは避けられ、もっと効率的な本土防衛ができたでしょう。