1. 無神論は 有神論と同じく信教・良心の自由なる公理にもとづきえらんだ信仰である。
2. 感じる(感性)や考える(理性)に拠ることが最終的には かなわず 超越論的にえらんだ《信じる(生命性・霊性なる生活性)》であることは 《有る神》派も《無い神〔という神〕》派も まったく自由にかつ互いに同等に成り立っている。
2-1. 超越論的にえらんだというのは 無条件で無根拠にてその一定の神を心に受け容れたという意味だ。これが 《信じる》。
3. 両派ともそれぞれの神論としての《有る神 / 無い神》について 証明し得ない。ゆえに 以上のようになる。
☆ 以上の命題についてご教授ください。
A 回答 (6件)
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No.5
- 回答日時:
「神との関わり」が、信仰であることを、日本人全体が、お参りし、信仰実践してるにも関わらず、信仰を信じる/信じないの議論にして、分からなくしてる向きがあります。
だから、日本人は西欧での議論について行けてないところが、散見されます。
そのようだと思います。
★ 「神との関わり」が、信仰である
☆ 絶対性とのカカハリは 感性をそして理性をも超えたものとのカカハリですので 生命性(または 霊性としての生活性)として別個の意志行為つまり《信じる》を立てる必要があると思います。
感性の原野・思考の緑野そして非経験の庭と呼んでいます。
No.4
- 回答日時:
神と自己の関わりを自己に認めるのが有神論。
神と自己の関わりを認めない、求めないが無神論、ですか?ご回答をありがとうございます。
★ 神と自己の関わりを自己に認めるのが有神論。
☆ この《自己》を 人間一般としても捉えているはずです。
★ 神と自己の関わりを認めない、求めないが無神論、ですか?
☆ 簡略に言えばそうなります。
げんみつに言えば 神は絶対性であり 人間なる自己は相対存在です。
つまり 相対的な移りゆかざるを得ない経験存在は 絶対性によって絶対的にカカハリを持たせられています。
それが 《〔感じるや考えるを超えた意志行為となる〕信じる》であるはず。
したがって この神とわれとのカカハリである信仰にかんして人は そのあと ――良心・信教の自由なる公理にもとづき―― そのまま〔信仰を〕受け容れる場合とそして受け容れない場合とに分かれるようです。
《有る神》派と《無い神》派とに 自由に互いに対等に分かれると思われます。
ぎゃくに言うと 人間における有神論と無神論とが 神のあたかも主観の中では 重ね合わせ状態に成っておさめられているのかも分かりません。
No.3
- 回答日時:
無神論者を、どの様に定義するかでも違うかと思います。
神が居る宗教を信じる者を、有神論者とした場合ですが、
(1)有神論者以外をさして無神論者とする場合。但し(2)の者は除く。
(2)唯物論者をさして無神論者とする場合。
アナーキストや自堕落、薬物常習、無気力、信仰無意識者等々が(1)になるかと思われます。マルクス主義者は(2)の唯物論者の代表的な例ではないでしょうか。(1)の場合は、無神さえも考えない訳で、信仰ではないでしょう。
さて、宗教の特徴として、熱心な信者は働き者になる姿勢があります。その意味に置いて、熱心なマルキストには自堕落性は見えません=働き者。また、唯物論者がやった山岳ベース・ソ連スターリン虐殺・中国文化大革命・ポルポト大虐殺等々の行動は、私たち一般常識人の行動から著しく逸脱した、理解できない事です。資本論の理論体系を突き詰めると、この行動になるのでしょうが、この行動は、眞に宗教的であり、信仰と断定して良いと思います。
従って、有神論者に対して、無心論者=唯物論者とするならば、ご指摘の通りと考えます。
また、科学者も(2)に入る者が居ると思いますが、この例に従うとフランケンシュタインの様に、異常な行動をする可能性がある訳です。結果、最近の例として、唯物論者ならばコロナ武漢ウイルス研究所流出(説)などは、普通に起こり得るとなります。
ご回答をありがとうございます。
★ 無神論者を、どの様に定義するかでも違うかと思います。
☆ ふむ。
★ 神が居る宗教を信じる者を、有神論者とした場合ですが、
☆ 宗教は オシへであり思想ですから 信じる(無条件に受け容れる)対象ではないです。
★ (1)有神論者以外をさして無神論者とする場合。但し(2)の者は除く。
(2)唯物論者をさして無神論者とする場合。
☆ いや。無神論という概念に関する限り 同じだと思いますよ。
《神はいない つまりは 無い神という神を信じている》という内容が共通です。
★ アナーキストや自堕落、薬物常習、無気力、信仰無意識者等々が(1)になるかと思われます。
☆ 要するに 《絶対性なる神と 人間たるわれとのカカハリ――これが 信仰――》として 神を無だとする(もしくは 取り合わない)のが 無神論だとします。
★ マルクス主義者は(2)の唯物論者の代表的な例ではないでしょうか。(1)の場合は、無神さえも考えない訳で、信仰ではないでしょう。
☆ 史的唯物論は 思想ですので いま扱いません。
また 《無神さえも考えない》と言っても 絶対性とわれとの関係は まぬかれません。
絶対性は 感じるや考えるを超えているので 信じるという言葉であらわします。ただし そういう神などはお呼びでないという場合は 《信じないと信じる》かたちになります。《神 対 われ》というカカハリは 例外なく誰にも成り立っています。
★ さて、宗教の特徴として、熱心な信者は働き者になる姿勢があります。
☆ 宗教と信仰とは 似ても似つかないふたつのものです。思想の実践に熱心という場合はあります。
★ 熱心なマルキスト・・・信仰と断定して良いと思います。
☆ それは 無神論が信仰だからです。あとは 思想に熱心だという姿です。
★ 科学者
☆ 科学つまり経験合理性にもとづく思考と 思考を超えた信仰とは 別です。
No.2
- 回答日時:
無神論者に「信仰」という概念はないので、神を信じる人たちと同じ尺度で評価することはナンセンス。
したがって無神論は信仰ではないし、そもそもが「論」でさえない。無神論者は神を否定しているのではない。No.1
- 回答日時:
>1. 無神論は 有神論と同じく信教・良心の自由なる公理にもとづきえらんだ信仰である。
・その通り。
>2. 感じる(感性)や考える(理性)に拠ることが最終的には かなわず 超越論的にえらんだ《信じる(生命性・霊性なる生活性)》であることは 《有る神》派も《無い神〔という神〕》派も まったく自由にかつ互いに同等に成り立っている。
・その通り。
>2-1. 超越論的にえらんだというのは 無条件で無根拠にてその一定の神を心に受け容れたという意味だ。これが 《信じる》。
・その通り。
>3. 両派ともそれぞれの神論としての《有る神 / 無い神》について 証明し得ない。ゆえに 以上のようになる。
・その通り。
■信教の自由。
しかし、そうした事(信教)が原因で起こる事象には、大きな違いがある。
それを、他人のせいにするべきではない。たとえ、自分は《無宗教》だと言い張ったとしても。
ご回答をありがとうございます。
>1.
>2.
>2-1.
>3.
☆ すべてについて:
・その通り。
☆ という賛成票を投じていただきました。ありがとうございます。
■ 信教の自由。
しかし、そうした事(信教)が原因で起こる事象には、大きな違いがある。
それを、他人のせいにするべきではない。たとえ、自分は《無宗教》だと言い張ったとしても。
☆ そうですね。つまり 信仰と宗教との微妙な違いにかんしてですが。
個人に内面における信仰では その信仰内容とその人の思想行動との関係は 必ずしも明確ではないですね。
内面と外面(思想行動)とのあいだに関係があるとしたら それは宗教の場合であり なぜならそれは 後者にあっては《オシへ》が大きな役割を果たすと思われるからです。
言いかえると 《オシへ〔という思想〕にしたがう》のは 信仰ではないわけです。
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