プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

以前から気になっているのですがここ最近ことに多く感じているので質問させてください。

テレビなどで一般の方や芸能人、スポーツ選手など様々な方がインタビューなどで話されるとき
「嬉しい気持ちで~」「悲しい気持ちに~」「悔しい気持ちで~」「感謝の気持ちを~」
「嬉しく思います~」「面白いと思い~」「寂しいと思う~」

等々、感情表現の後にわざわざ「気持ち」や「思う」をつけているのが気になります。
そもそも「嬉しい」というのは感情なので「嬉しい気持ちです」ではなく「嬉しいです」で
いいのではないでしょうか?

日本語としてこういう使い方は正しいのか、「ら」抜き言葉のように本来正しくはないのに蔓延しているだけなのか、であればどうしてこういう使い方が広がったのか、疑問です。

詳しい方教えていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

質問者様の認識に同感です。



私が気になっているのは「~と思っていて」と「モヤモヤ」です。

たとえば経済番組などで本来ハッキリした主張をすべきゲスト(論客)が最近は「私は、~と思っていて・・」という言い方をするんですね。

論客なんだから、証拠や原理原則を踏まえたうえで「私は~と思います」とか「~をすべきです」と断定してくれればいいのに、後で文句を言われたり意見が変わったことを指摘されるのが嫌なのか「~思っていて・・」というオブラートに包んだ物言いが多いです。

そして「モヤモヤ」ちょっとしたストレスや納得できない事例に対して「なんなモヤモヤする」でおしまいにしてしまうエピソードが多いように感じます。

これは日本人全体が「他人との意見の相違や、それに伴う摩擦を極端に嫌うようになった」ことと関係しているのではないか、と考えています。

感情表現の後ろに「気持ち」や「思う」をつけるのも同じで、本来主観的な発露であるはずの感情を《直接的に出すと、不快に思う人や、考えの違う人に文句を言われるかもしれない》と予防・自衛的に「気持ち」や「思う」というような、客観性を装った言葉使いをするのだと私は分析しています。

日本は元々そういう傾向がありますが、バブル期まではもう少し自己主張が強かったように思います。

たとえばこの間鬼籍に入った石原慎太郎氏なんかは、歯に衣着せぬ物言いでしたが、今あれほどスパッと言い切る人ってなかなかいないですよね。
    • good
    • 0

ご質問では3つの例が挙げられていて、それぞれ性格がかなり違っていますね。



 「嬉しく思う」は活用で動詞につながっている。だから明らかに自分の感じていることを言っているのであり、すなわち「嬉しい」と同じ意味でしょう。
 それを「嬉しいです」と言わずに「嬉しく思います」と言うのは、過剰敬語から派生した珍奇な表現なのか、それとも、断定を避けて間接的に表現することで判断を保留したり責任回避したりする、という小狡い物言いが文法の一部として定着しようとしているのか。
 そうも考えられるけれども、いや、むしろこれは単なる言語感覚の問題であって:
「嬉しいです」だなんて形容詞のあとに「です」を付けるのは幼稚で不自然な表現で、抵抗を感じるけれども、かと言って「嬉しゅうございます」は古くさくて大げさで、これまた不自然。適切な丁寧表現がないもんだから、しょうがない。「嬉しく思う」なら成立する。
という説明の方が、しっくり来るなあ。

 「寂しいと思う」は、
  「寂しい」と思う
という引用の形式になっています。だから「「その場にいないだれか(あるいは仮想の状況における自分)が「寂しい」と感じるであろう」と私は推測する」という意味であり、自分が今実際どう思っているかについては何も言っていない。なので「あなたは寂しいんですか?」と念を押されたら「いいえ、きっと寂しいだろうなあと想像する、ってことです」と逃げることもできる。これは「判断を保留したり責任回避したり」に該当するでしょう。

 「(Xは)面白いと思う」は、抽象的な他者(誰とも分からない一般の誰か)のXへの反応についての予想を語っている。しかも、
 [A]その(誰とは特定しない大抵の)人はXを「面白い」と思うだろう。
と言っている場合もあるだろうが、もうひとつ
 [B]Xはその(誰とは特定しない大抵の)人に何らかの反応を引き起こすに違いない。さて、その反応がどんなものになるかが興味深い。
という意味も持ちうる。[B}は、Xについて(自分が「面白い」と思うとは言っていないばかりか)他者がXを「面白い」と思うだろう、とも言っていない。極め付きの判断保留ですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「思う」と「気持ち」ではやはり使う場面も使い方も変わる気がします。
「悲しい気持ちです」なんて聞くとどこか冷静で他人事のような気がして素直に「悲しいです」という表現のほうがふさわしく感じる場面が多いですね。

お礼日時:2022/03/27 09:41

つもりなので、「で」が判断辞。


「つもりなの」、「あるの」が形式(抽象)名詞。
「の」単独では形式(抽象)名詞たりえません。
「うれしいです」この言葉を発するときは、当然顔がほころび、声も弾んだ声になります、言葉で表現する「うれしい」以外でも表現しているのが一般的です。
その気持ちを抑えて表現すると、「思います」「・・気持ちです」となるのでしょう。
僕的(私的)には・・・・、自身の主張を強く出さない表現ともいわれますね。
一部似たところもあるようです。
悪口として言うなら、自分が言った言葉に対する責任をぼやかしている・・とでもいえるのかも。
でもどちらにしても、自分の気持ちなので、そこまでの責任?。
やはり、はしゃぎすぎない・・・そんな気持ちが先行するのかな?。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね。「嬉しいです」というと直接的で、より自分の感情を率直に表現しているのに比べ「嬉しい気持ちです」というとどこか一歩引いたような
自分が嬉しいという気持ちなんです、という客観性が混じる気もします。

お礼日時:2022/03/27 09:37

>そもそも「嬉しい」というのは感情なので「嬉しい気持ちです」ではなく「嬉しいです」で


いいのではないでしょうか?

おっしゃるとおりです。
ただ、逆に言うと、感情を直截的に表現したくない場合、つまり感情を穏やかに表現したい場合には有効な表現と言えます。

徳仁天皇陛下なんかの場合も、
「うれしく思います」
をほぼ定型句として使っています。
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/86

甲子園で優勝した高校球児なんかの場合は、「うれしいです」と感情を直接的に表現するほうが清々しい。

我々一般人の場合も、時と場合によりけりで使い分けていけると日本語の幅が広がると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「思います」は確かにおっしゃることなのかもしれません。
「気持ち」のほうがより引っ掛かります。

お礼日時:2022/03/27 09:35

「嬉しい」「面白い」などの形容詞は静的(時間的に変化しない)属性を表す語で、「気持ち」は実体を表す名詞、「思う」は動的(時間的に変化する)属性を表す語です。



単に、「嬉しい」「面白い」という自身の心情の単純な表現ではなく、それを実体、あるいは動的な属性として捉え直し強調する表現です。

「赤いの」「彼のこと」「本当のこと」など実体として捉え直し強調するのと同様で自然な表現です。

絶対に行くつもりなのであるのであります。

のように判断辞と形式(抽象)名詞をいくつも重ね強調することもあります。■
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/03/27 09:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!