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外国に移住して、その国の言葉を一生懸命勉強して、ペラペラに喋れるようになった人が、母国語がボロボロになるというケースはわりと散見される。悲しいけど、やはり人間の脳の容量をそれほど買いかぶってはいけないのだろうか? でもたぶん、外国語も母国語も同時に高いレベルで使いこなせる人もいるんだよね、もちろん。何が違うんだろう?

A 回答 (4件)

普段から、話す。

ですね。
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>外国語も母国語も同時に高いレベルで使いこなせる人もいるんだよね、もちろん。

何が違うんだろう?

言語は「日常的に使うかどうか」で決まります。
たとえば英語・日本語の環境に育つハーフのひとでも、日本で暮らせば日本語が得意に、英語国で暮らせば英語のほうが得意になります。

なので、海外に住んで母国語を忘れるのは「使わない」からです。

特に日本人の場合、他の国の人と違って「民族的環境を外国に持ち込まない」という特性が強いです。簡単に言えば日本人街は少なく、また民族的戒律もほとんどないので、移住し世代が変わるごとに「日本的な要素」を失っていきます。

逆にイスラム教徒はコーランをアラビア語で読む必要があるので、世代が変わっても親が教育する限り、イスラム教的な要素を忘れにくいのです。

このような要素で長年民族的要素を保持し続けたのがユダヤ人です。

そのような形で「母国語を保持する理由」を持たないと、生活言語が優先されてどんどん母国語を忘れていきます。
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言語脳はその言語に日常的に触れていないと驚くほどのスピードで衰えていくので、前者と後者の違いはそのような機会があるないしは積極的に

設けているか否か
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人間の脳はとても柔軟にできています。



例えば赤ちゃんは生まれた時、人間の1人1人の顔の違いを区別するように猿の顔を区別できることが研究で分かっています。

しかし、その能力は半年も経つと失われるということが分かっています。
このように脳みそがとても柔軟で色々な能力を身につけますが、その後必要がないと消し去っていくんです。

あなたはおっしゃるように、母国語も外国語もどちらも脳が能力として保持する人は、
どちらもその人が生きてく上で必要であったため、失われなかったのです。

母国語を喋れなくなる人は全く母国語を使う機会がなかったのかもしれません。
そのように使わないでいると、脳みそは必要ないものとして柔軟にしてくれているのかもしれません。

おそらく、それは次が新しいものを入れるために必要もないものを消したんでしょう。
人間の意識が必要ないと思うのではなく、脳みそ自身が必要ないと判断したんでしょうね。
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