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質問なのですが、なぜ数千年も前に男系を保とうと思ったのでしょうか?
当時はDNAなんて概念は無かったのに、なぜ男系じゃない血を継承することが出来ないと分かったのでしょうか?

A 回答 (6件)

有力者が天皇の外戚として権力を得るためには男系継承は都合がよかったから。



誰が産んだ子供かは出産時に確認すれば確実に判るけど、誰が種付けした子供かはDNA鑑定とかができるまでは判らなかった。
女性天皇に子供が生まれても、それが誰が父親なのかを明確に示すものが存在しないのだから、実際に生物学的親子関係があったとしても周囲から親として認められないことがある。
それでは確実ではないので、外戚として権勢をふるうことを望むのであれば娘を入内させ、その娘が産んだ子供を天皇に即位させようとする。
そのためには天皇は男であることが望ましい。
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それは「民族」という概念があるからです。



そして古代では、男性じゃないと血を継承できない、のではなく《同じ民族の男性が代々同じ暮らしを維持することが民族の存続とされた》のです。

まず古代の「民族」とはなにか?
簡単にいえば「ある生活スタイルを維持する集団」です。
古代では農業をする民族はほぼ農業だけ、放牧をする民族は放牧だけ、農業民族でも米を主食にする民族と小麦を主食にする民族では基本的に別民族でした。

で、民族はその生活スタイルに合わせた神を持つようになります。農業の民族なら農業の神、放牧民族なら放牧の神です。

これは現代の宗教よりは「技術継承」に近い部分もあって、たとえば農業民族だと「田植えを教えてくれる神」などがいて、放牧民族には「馬の子づくりの季節を教える神」がいたりするわけです。

ちなみに日本の「桜(サクラ)」は《田植えなどを開始する時期が来たことを教える神=サの神》が、人間に教えるために木に座って花を咲かせる、ための鞍(椅子)という意味だとされています。

つまり日本の桜は「農業の神様のひとつ」なんです。でも、放牧民族にとって桜はきれいな花であっても、特に神様とは結び付かないです。

こういう違いが「民族の文化」になっていき、それらを含めた生活スタイルを何代にも渡って伝えるのが《民族の存続》ということになります。

どの民族もずっと続くならいいのですが、なかなかそうはいきません。何が起きるかというと、食糧事情や土地の取り合いによる戦争です。

 たとえば農業民族の人口が増えて、放牧民の土地まで耕すと、放牧民は家畜を養う場所が狭くなり家畜が増えなくなります。それを防ぐには、農民が植えた作物を家畜に食べさせることになり、農民は怒るし、逆に放牧民からすれば「ここは放牧のための土地だ」ということになります。

このような争いが起きると戦争しかありません。

結局、戦争に勝った方の民族だけが生き残り、負けた方が皆殺し、または男は皆殺しで女は勝った側の嫁として子供を産ませる、ということが古代では行われていました(ウクライナを見ればわかるように、今でも続いているとも言えます)

各民族にとって当然ながら「自分達の民族がずっと続くのは正義」なわけで、そのためには人口を増やす必要があり、負けた側の民族の土地を奪って人口を増やし、そのために負けた民族の女性は《勝った民族の男の嫁になって子供を産む》ことになるのです。

これが古代の「勝者の権利」と呼ばれるものです。

さて、ここからが「なぜ天皇は男系なのか?」です。

上記の民族の戦争やルールは当然日本でも通用していました。そして戦争を行うのは男子だったわけです。
 となると「戦争に勝てるかどうかは強い男性リーダーがいるかどうか」で決まり「民族が存続することは、民族の男性が強いことが条件」になるわけです。

そうなると「自分達の民族がこの土地に住み、生活できるのは先祖の男性たちのおかげ」であり「特に強いリーダーシップを発揮した指導者のおかげ」である、という認識をもつことになります。

民族全体がこのような感謝を示し、また次の戦争に勝つためには「強いリーダーだった祖先(男性のみ)と強い兵隊だった先祖(男性のみ)に感謝し、強いリーダーの子孫である今のリーダー(男性)に従う」のがもっとも民族を末永く維持できることになる、と考えられてきたのです。

上記の言葉を天皇に置き換えれば
「強いリーダーだった初代以降の天皇(男性のみ)と強い兵隊だった先祖(男性のみ)に感謝し、強いリーダーの子孫である今上天皇(男性)に従う」
のが日本国の民族として正しい在り方になる、ということになります。

また、天皇は祭祀も司ります。祭祀とは「民族を維持してきた先祖たちとそれを支えた神々に感謝をささげる」ということですから、司祭も男性であるほうがよい、ということになります。

この点は日本だけに限らず、キリスト教の教皇も男性のみだし、イスラムの神学者も男性のみ、仏教僧も特にタイやチベットでは男性しか僧になれない、ということになっています。

日本は古代から現代まで、ずっと同じ君主の国です。他国は近代的な要素を取り入れているかもしれませんが、日本国と日本民族はは古代のルールが今でも続いている唯一の国なのです。
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追加。



女系天皇制と女性天皇は違います。

かつて、8人、代にして10代の
女性天皇がおりましたが
男系は維持されていました。

現代の法律、皇室典範では、その
女性天皇すら認めていません。

女性天皇を認めると、結婚を認めない
なんてことになりかねません。

女性天皇が結婚したら、男系が
維持されなくなる可能性が出てくる
からです。
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浅学のワシが知る限り、推古天皇と持統天皇は女性だったと思う。

「天皇 男系について」の回答画像3
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昔の人は、現代人と違って『直感』が優れていたから



なのでしょう。
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男系主義を採ったのは、権力欲の強い


悪い男が介入しないようにした
ためです。

男は、女性よりも、権力欲が強く、
男系を維持しないと、天皇を巡っての
権力闘争が激しくなり、
天皇制が不安定になるからです。

ヨーロッパは、男系主義を採らなかった
ので、王位を巡っての争いが絶えません
でした。

これを、承継戦争といいます。


○継承戦争の一覧
アンティオキア継承戦争(英語版)(1201年 - 1219年)
シャンパーニュ継承戦争(英語版)(1216年 - 1222年)
フランドル継承戦争(英語版)(1244年 - 1257年)
テューリンゲン継承戦争(英語版)(1247年 - 1264年)
エウボイア継承戦争(英語版)(1256年 - 1258年)
リンブルフ継承戦争(英語版)(1283年 - 1289年)
リューゲン継承戦争(英語版)(1326年 - 1328年、1342年 - 1354年)
ブルターニュ継承戦争 (1341年 - 1364年)
ブラバント継承戦争(フランス語版)(1356年 - 1357年)
第一次カスティーリャ継承戦争(1366年 - 1369年)
リューネブルク継承戦争(英語版)(1370年 - 1388年)
ゲルデルン継承戦争(英語版)(1371年 - 1379年)
シュテッティン継承戦争(英語版)(1464年 - 1472年)
第二次カスティーリャ継承戦争(英語版)(1475年 - 1479年)
ブルゴーニュ継承戦争(英語版)(1477年 - 1482年)
ランツフート継承戦争(英語版)(1503年 - 1505年)
ポルトガル継承戦争(英語版)(1580年 - 1583年)
ポーランド継承戦争 (1587年 - 1588年)(英語版)
ユーリヒ=クレーフェ継承戦争(1609年 - 1614年)
モンフェッラート継承戦争(フランス語版)(1613年 - 1617年)
マントヴァ継承戦争(英語版)(1628年 - 1631年)
ネーデルラント継承戦争(1667年 - 1668年)
プファルツ継承戦争(1688年 - 1697年)、「大同盟戦争」や「アウクスブルク同盟戦争」とも
スペイン継承戦争(1701年 - 1714年)
ポーランド継承戦争(1733年 - 1738年)
オーストリア継承戦争(1740年 - 1748年)
バイエルン継承戦争(1778年 - 1779年)

○下記は継承に関するが、一般的には「継承戦争」と呼ばれない戦争。
ディアドコイ戦争(紀元前323年 - 紀元前281年)
第四次内乱(英語版)(811年 - 827年)
イングランド無政府時代(1135年 - 1154年)
百年戦争(1337年 - 1453年)
ビザンティン内戦 (1341年-1347年)(英語版)
ポルトガル空位時代(英語版)(1383年 - 1385年)
オスマン空位時代(英語版)(1402年 - 1413年)
リトアニアの内戦 (1431年-1435年)
薔薇戦争(1455年 - 1487年)
インカ内戦(英語版) (1529年 - 1532年)
チュニス反乱(英語版)(1675年 - 1705年)
ポルトガル内戦(1828年 - 1834年)、「ミゲリスタ戦争」とも
カルリスタ戦争(1833年 - 1840年、1846年 - 1849年、1872年 - 1876年)
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