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学校はなぜ将来役に立たないことばかり教えるのですか?
古文漢文とかほんとにいらないと思うんですが。
副教科である家庭科や保健の方が役に立つと思うのですが。

A 回答 (4件)

世の中はそうやって


人を淘汰しています

そのうちに
なぜ将来の役に立たない高校に
行かなければならないのかとか
大学に行かなければならないのかとか
考える人が出てきます

幾何学でも古文漢文でもなんでもそうです
必要だと思う人が残っていくようになっています

いらないと思ったら
どんどんはずれていきましょう

世の中はそういう仕組みになっています
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こんばんは



本当にそうですね。

英会話・パソコンの使い方・政治や選挙の意味・子育て・結婚の意味・男女の性の違い・家事の必要性・株等の資金運用・・・・実生活に役立つ事を教えてもらいたいものです。

すべて政治家が決めるので、国民の為を考えて実行してくれる政治家を選ぶしかありません。
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学校が教えているのは「メソッド」だからです。



「メソッド」とは「やり方」とか「習熟方法」という意味で《そのやり方に沿って練習すれば、覚えることができる》という意味です。

国語・算数は最低限のメソッド、つまり《文字を知らなければ、やり方・練習の仕方が書いてあるテキストが読めない》とか《最低限の計算の仕方を知らなければ、家計簿もつけられないし、資産運用もできない》というレベルのメソッドです。

なので、小学校で行うのは「中学以降のメソッドのための、超基礎教育」で英語で小学校をエレメンタリースクール=基礎学校と呼ぶのは、そのためです。

なので、小学校は「その国で暮らすために本当に絶対に理解していないと、マジで暮らせないぐらいの超基礎」を学ぶわけで《後は文字が読めて計算できるんだから、自分で必要な勉強をすればいい、それをするための超基礎メソッドは学習したよね》ということになります。

中学はもう少し高度になり「この先高校とか大学とか、それ以外の専門的な仕事をするのに必要な知識とメソッドの習得」が目的です。

特に「英語」は「英語が使えるようになること」が目的ではなく「英語を含めた外国語を習得するメソッドを覚えましょう」ということで、基本的に中学英語の《外国語学習法》を使えば、どんな外国語も覚えられるはず、というもので、たとえばタイ語を覚えたければ、英語同様、最初にタイ語の文字を覚え、タイ語の発音を習いつつ、タイ語の文法を学習すればよい、ということで《英語という言語を題材にして、外国語を学ぶためのメソッドを体得している》わけです。

だから、英語が全く話せなくても、必要に応じて中学の英語学習の方法で別の言語を覚えてぺらぺらになることが可能になります。もし中学で英語を習わないと「外国語をどうやって覚えていけばいいのか?」すら分からないわけで、これが《学校教育はメソッド》という意味です。

中学の数学や古典・漢文・生物・物理なども同じです。これらのどれをとっても「本当に将来必要とする人はかなり少ないし、全部が必要になる人はほぼいない」です。

でも中学で因数分解をやっておかないと、高校以上で「高等数学」を習うことができません。中学で因数分解を習ってもそれを将来使う人は多くはないですが、しかしここで「因数分解という高等数学の基礎メソッド」を勉強しないと、その先に進めないのです。

古文や漢文なども同じで、これらを直接、将来の仕事、として必要とする人たちは少ないのですが、ここにもメソッドがあります。たとえば「古文:現代文と古い時代の文章は異なるという知識を得て、どのような形で異なるのか?というメソッドを学ぶ。これがあれば外国語でも当然に「古い外国語と現代の外国語が異なる」ことが理解できる」というようなことです。

このようなことを踏まえて、日本では割と高度なメソッドを中学までに学習するので「将来不要」ということになりやすいわけです。

逆にアメリカなんかは日本に比べるとものすごくレベルが低い学習しかしません。

たとえば数学なんてこの程度


日本だと大体中学卒業レベルの問題が大学入試に出るのですが、これは逆を言えば「勉強が好きで、リーダーになれる資質を持った人だけが大学で勉強すればいい」という意味

欧米はほぼこの考え方で、ドイツなんかも高校入学時点で職人コースと大学コースに分かれます。つまりほとんどの高校が商業科や工業科などの専門高校で、普通科のほうが少ない、ということです。

なので欧米は「大学に行くのはエリートのみ、エリートはものすごく勉強して社会の指導者になって、それ以外の労働者は言われたことだけやっていればいい(給料は少ないけどね)」という考え方があるので「メソッド」すら「本当に最低限でいいよね」という考え方になります。

だから欧米は貧困層や失業率が日本よりも高くなりますし、中流階級以上の階層が少ないのが特徴です。

ということで、古文や漢文など「一見、社会で役に立たたないような科目」は「各個人がそれ以上高度な勉強をするためのメソッドの習得」であり、日本の教育は割と高度で、各個人も社会に出る前に割と高度な知識や技能を身に着けることができるようなる、ので必要な勉強、ということです。
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確かに。

人間将来何になるかわかりませんからね。言うて古文の研究者になる人なんてそうそういないでしょうけど、まあ人生で行き詰まったときに地味に役に立つかもですからね。でもとりあえず親や先生の指示に従わないと自分の体が危ないので、意見は選挙権を持ってから。
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