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どこか観光でとか有名な神社やお寺で手を合わせるのでしょうか。
もちろん、思う所がありお願いや感謝の気持ちはあります。
ですが、神頼みだけでどうにもならない事もたくさんありますし不思議に思う時があります。

辛い時に、ああ神様とか思う事がありますが人間の本質なのでしょう。

A 回答 (11件中1~10件)

不確定要素に対して、逃げを用意することで安心するためでしょう。


不安だったら、酒を飲めば良いのですが、皆が飲めるとは限らないので。
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人間には心があり



理性が生まれますので神様を信じるのは仕方ないです。
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神社仏閣で手をあわせる行為自体は、感謝ですね。


困ってるアジアの人に質問などされたら、最後に手をあわせて挨拶されるのも感謝ですね。

ただ、日本の場合は、古来より天変地異の災害も多く、仏教伝来の遥か前の、神代の時代より、手をあわせて祈るような神事も多かったのではないでしょうか。

>辛い時に、ああ神様とか思う事がありますが人間の本質なのでしょう。

そういう事だと思いますよ。
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神社でパンパンと手をたたくのは道中で引っ付いてきた浮遊霊などを音で追い払うため


お寺で手を合わせるのはお経の数を数えるため
10回言わなくちゃならないので
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幸福の科学では、瞑想や祈りのスタイルを教えています。



両手を合わせることで、手先がアンテナの役割をして、天上界と通じやすくなるなんて教えていた気がしますね。

なお、他の回答にもありますが、伊勢神宮など、一部の神社では、個人的なお願いは遠慮したほうがいいそうです。
報告や感謝の気持ちで参拝するのがいいみたいです。

「世界平和」とか「日本が発展しますように!」なんて、個人的な欲望ではないお願いはOKみたいですけどね。
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仏教では右手が仏様の世界(極楽浄土)を、左手が現世(衆生:しゅじょう)を表しており、両手を合わせることで仏様の世界と現世が一体となり、成仏を願う気持ちを表しているものと言われています。


掌を合わせることは、左右相対したものがひとつに合わさり、相手を信頼することや調和を保つことの象徴でもあります。

また、多くの人が勘違いしていますが、寺や神社で参拝する時に、お願いするのは大変失礼なことです。
報告や日頃の感謝をするのが参拝です。
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そもそもお願いするから行くんです。


そこで手を合わすのは当たり前。
お願いがないなら神社やお寺には行きませんよ。
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本質でしょうね。



地球上にいろんな民族がいますが、「神(超越的存在)」を作り出さなかった民族はほぼいないと言っていいでしょう。

生きていて自分でどうにもならないことは多いし、過去は取り戻せないし、未来は分からない。
だから、神を作り出し、それに身を預ける。
そんな気持ちを持たなかった民族はいない、ということは人間の本質なのだと思います。
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神頼みでどうにもならないこともありますが


その逆じゃないんでしょうか

頑張るけど自分の力ではどうにもならないような
不運などに見舞われないよう、阻害されないように願うとか
そういう残りの部分を願うと思ってます
自分の決意表明でもありますが
人事を尽くして天命を待つの
人事で届かないところを祈ったり、感謝するのかと

まあうちの義母みたいにあれほしいこれしてくれとお願いをしてる人もいますが
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1つのカジュアル宗教です。


お賽銭が0円、1円、1万円だろうと願いは叶いません。
手を合わせるのも、エスカレーターで右側は歩くけど、左側は歩かない。
関西はこの逆である。
と同じような感覚です。

こんな理由もありますが、大半の人は皆やっているから程度の感じです。
https://toyokeizai.net/articles/-/131944
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