
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
> 質問は、当時の日本にとって、660年に起きた百済の滅亡は、重大事件と考えられたのでしょうか?
《当時の日本》とは、「1897年頃の日本(那珂通世が、辛酉革命説に基づいて日皇紀を定めるにあたって神武天皇の即位年を計算し紀元節を定めるのに協力した頃の日本」という意味でしょうか。
この頃19世紀末・明治30年頃の日本で、百済の滅亡が大きな関心事だったり、エポックメージングなこととは思われてはいないででしょう。
百済滅亡の660年頃には、それは重大事だと日本の権力は強く思ったので、白村江の戦いまで軍団を派遣したのでしょう。
で、負けて、それから防御策を講じたので、その対策だけでも、日本にとって大事であったには間違いないです。
防衛体制の整備
白村江での敗戦を受け、唐・新羅による日本侵攻を怖れた天智天皇は防衛網の再構築および強化に着手した。百済帰化人の協力の下、対馬や北部九州の大宰府の水城(みずき)や瀬戸内海沿いの西日本各地(長門、屋嶋城、岡山など)に朝鮮式古代山城の防衛砦を築き、北部九州沿岸には防人(さきもり)を配備した。さらに、667年に天智天皇は都を難波から内陸の近江京(大津宮)へ移し、ここに防衛体制は完成した。
中央集権体制への移行と国号の変更
671年に天智天皇が急死すると、その後、天智天皇の息子の大友皇子(弘文天皇)と弟の大海人皇子が皇位をめぐって対立し、翌672年に古代最大の内戦である壬申の乱が起こる。これに勝利した大海人皇子は、天武天皇(生年不詳〜686年)として即位した。
皇位に就いた天武天皇は専制的な統治体制を備えた新たな国家の建設に努めた。遣唐使は一切行わず、新羅からは新羅使が来朝するようになった。また倭国から新羅への遣新羅使も頻繁に派遣されており、その数は天武治世だけで14回に上る。これは強力な武力を持つ唐に対して、共同で対抗しようとする動きの一環だったと考えられている。しかし、天武天皇没(686年)後は両国の関係が次第に悪化した。
天武天皇の死後もその専制的統治路線は持統天皇によって継承され、701年の大宝律令制定により倭国から日本へと国号を変え、大陸に倣った中央集権国家の建設はひとまず完了した。「日本」の枠組みがほぼ完成した702年以後は、文武天皇によって遣唐使が再開され、粟田真人を派遣して唐との国交を回復している。
早速の御回答ありがとうございました。
質問の出来が悪く申し訳ありません。当時とは、660年ころのつもりです。
<那珂通世が、辛酉革命説に基づいて日皇紀を定めるにあたって神武天皇の即位年を計算し紀元節を定め>た、と同じように660年ころの人は建国年を求めたのですね。(正しくは、那珂通世が推測したのでしょうが)
660年ころは<百済の滅亡が大きな関心事だったり、エポックメージングなこと>だったのですね。
百済の滅亡を起点として、日本の建国をはじきだしたということは、百済人が日本の要職を占め、本国と考えている百済の滅亡が重大な事だったのですね。
No.11
- 回答日時:
> 那珂通世の説明が正しい、という前提に立ちます。
> 建国の起点を探して、(いろいろあろうに)百済の滅亡を選んだということは、百済人にとっては重要だったのでしょうね。
> 移住先の日本・植民地の日本にいる高官・知識人の百済人にとっては、本国百済の動向は重大な出来事だったと思いますが。
「那珂通世」は19世紀の人です。 19世に生きていた人にとって、7世紀のことなど、殆どどうでも良いことです。 百済、新羅、高句麗、どこから先祖がきたのかなど分からないことが多いでしょうし、無茶何代も交雑しているので、妄信でも誤解であるにしても、自分の祖先は百済だなどと思える人はごく少数です。 だいたい百済がいつ滅んだのかさえも、ハッキリしないとか、そういう人が多いでしょう。
No.10の回答
「この頃19世紀末・明治30年頃の日本で、百済の滅亡が大きな関心事だったり、エポックメージングなこととは思われてはいないででしょう。」
これを、次のように適応してください。
「この頃19世紀末・明治30年頃の日本で、(自分の祖先は百済から来たんだと思ってる人でも) 百済の滅亡が大きな関心事だったり、エポックメージングなこととは思われてはいないででしょう。」
7世紀の事情、7世紀の半島状況、7世紀の東アジアの状況に関心を持つのは、19世紀では、ごく少数の研究者だけです。
明治政府の高官でも、7世紀の事情などに関心など持ちません。 紀年方で、西暦でない(日暦)を固定したいという関心をもった人が少数いたといいうことだけです。
No.10
- 回答日時:
> <那珂通世が、辛酉革命説に基づいて日皇紀を定めるにあたって神武天皇の即位年を計算し紀元節を定め>た、と同じように660年ころの人は建国年を求めたのですね。
(正しくは、那珂通世が推測したのでしょうが)660年の頃の人も、1000年頃の人も、1600年頃の人も、1800年頃の人も、建国年の推定をしようとは思わないし、百済の滅亡を何かの基準に使用などとは思いもしなかったでしょう。
> 660年ころは<百済の滅亡が大きな関心事だったり、エポックメージングなこと>だったのですね。
私の入力ミスです。「エポックメージングなこと」は「エポックメーキング
(epoch-making) その出現の以前と以後とで社会的に大きな違いが生ずるような有意義なことう。 画期的と思うこと」の意味です。
ところで、「 <~~~>だったのですね 」の回答コメントの書き方はなんとか別のものにはならないのでしょうか。
私のNo.9の回答は「この頃19世紀末・明治30年頃の日本で、百済の滅亡が大きな関心事だったり、エポックメージングなこととは思われてはいないででしょう。」という文章です。 「660年ころは<百済の滅亡が大きな関心事だったり、エポックメージングなこと>だった」というように読むのは、かなり難しい、誤読でしかないです。
7世紀頃の日本には時代の区分認識のような認識はないし、百済の滅亡は重大事であるとは思っても、倭や日本にとって時代を変えるというようなものとは思ってもないです。
8世紀に編纂される日本書紀には、神代上、神代下、その後、各天皇と続き、系譜と事績などの記録が続くだけです。 後代になって、末世とか、戦国の世のような認識が出てくるまで、社会を時代区分して認識するってのがそもそもないです。
> 百済の滅亡を起点として、日本の建国をはじきだしたということは、百済人が日本の要職を占め、本国と考えている百済の滅亡が重大な事だったのですね。
そうではなくて、斉明7年付近で辛酉の年のイベントを探したというだけのことです。 神武の即位を紀元前660年頃の辛酉として推定した人は9世紀にいます。 西暦660年頃に限らず、6世紀~9世紀なら朝鮮半島出身者で日本の高位についたものは多いし、各地に勢力をもった集団もいます。 でも、こっちでの地位が重要ではあっても、出身地、先祖の出身地にいつまでもそれほどのこだわりは持ってはいないでしょう。 朝鮮半島は結構激動が続きます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD … 百済にこだわったのは斉明などの王族です。

再度の御回答ありがとうございました。
誤った引用をしてしまい。ご迷惑をおかけしました。
那珂通世の説明が正しい、という前提に立ちます。
建国の起点を探して、(いろいろあろうに)百済の滅亡を選んだということは、百済人にとっては重要だったのでしょうね。
移住先の日本・植民地の日本にいる高官・知識人の百済人にとっては、本国百済の動向は重大な出来事だったと思いますが。
No.8
- 回答日時:
学校で習ったんでないの、次は倭国の番ですから、百済の遺臣を援助
すべく、当時の国の規模から考えると、破格の4万人の大軍勢を派遣
しました。
白村江の戦で唐の水軍に倭国の水軍が大敗し、陸上戦でも、新羅軍に
敗戦続きで、百済は完全に滅亡しました。
戦いに成れば、地元の百済の遺臣達の作戦が頼りなのですが、彼らが
一つに纏まっていず、船頭、多しの状態でした。
敗戦の原因を分析して、記録に残して於いてくれたらと思うのですが、
失敗から学ぼうとせず、隠す事が、既に、この時代から始まっていた
のですね。
No.7
- 回答日時:
そういうのは中身のない数字遊びでしかありません。
ただ百済は日本と縁の深い国でしたから、百済の滅亡というのは日本にとっても重大事件で、その後の白村江の戦いなども当時の人口で数万人もの兵を派遣したというのは、そこそこの割合になると思います。
1320年というのは、当時の科学・常識だったようです。(調べていませんが)
しかし、あえで(我々から見ると)でっち上げにしろ、神武天皇による建国をアッピールせざるをえなかったのでしょうね。(どこの国の建国状況・説明も同じようにあてにはなりませんが)
No.6
- 回答日時:
大化の改新まで元号がなかったんだから、当然西暦もなく、日本史書も一切ないので(日本書紀の編纂は720年頃の100年後)、
大化から15年後の当時660年と1320年を1年単位正確にカウントできていた暦学者はいないのでは?
百済の滅亡自体は、白村江の戦で国家として日本初の海外挙兵しているので重大事件でしょうけど。
早速の御回答ありがとうございます。
<1年単位正確にカウントできていた暦学者はいない>ですね。
ただし、1320年というのは、当時の科学・常識だったようです。(調べていませんが)
しかし、あえで(我々から見ると)でっち上げにしろ、神武天皇による建国をアッピールせざるをえなかったのでしょうね。(どこの国の建国状況・説明も同じようにあてにはなりませんが)
No.5
- 回答日時:
日本にとって大きな影響だったと思いますよ。
なんせ勢力バンバン広げてた唐に対抗すべく、日本は百済と手を組んでなんとか対応しようとしたけど、百済が唐と新羅の連合軍にぶっ潰されたわけですよ。
で、百済は日本にいた百済の王族を擁立して、日本と共に朝鮮に出兵したわけですよね。
でも白村江で唐と新羅の連合軍にボコボコにされちゃったわけです。
そうなっちゃったから天智天皇は、やべー!このまんまじゃ日本までくるで!ってんで、唐と新羅の連合軍の侵攻に備えるために、大宰府に水城や山城を築いたりして西日本の防衛を強化していったわけです。
大津へ遷都したのも、奴らの襲来に備えたって言う学者もいますよね。
というこれら一連の流れを踏まえると、日本にとって歴史的に重大な事件だと捉えるのが妥当だと思います。
No.4
- 回答日時:
日本といっても記録に残っているのは大和地方くらいです。
今の「日本国」とは違います。
大和地方には朝鮮半島からの移住した人が多く住みついています、
いわゆる帰化人と呼ばれる人達です。
大和朝廷の政治の中心地に帰化人が多くいたのです。
当然百済とは密接な関係があったでしょう。
百済が滅びたことで、さらに多くの百済人が大和に移住してきたはずです。
大和にとって重大事件だったでしょう。
大和以外の地にはいわゆる原日本人というべき人が多く、情報もあまり電波しないので百済滅亡が伝わったかどうかはわかりません。
でも、九州は朝鮮半島との交通路になっていた地域もあるので、そこにも亡命百済人はたくさんいたのではないかと思います。
あまり解明されていません。
早速の御回答ありがとうございます。
<大和朝廷の政治の中心地に帰化人が多くいた>のですね。
おそらくかれらは政治の要職を占めていたのでしょうね。
百済人は本国が滅亡したことには、ショックを受けたのでしょうね。
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