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朝鮮半島の任那日本府はなかったという説が近年有力ですが本当ですか?もしなかったとしたら、大伴金村の任那四県割譲事件もなかったのですか?大伴金村はなぜ失脚したのですか?

A 回答 (4件)

「任那日本府はなかった」というのは韓国側の主張でそれも昔の話。

日本側は「日本府」の性格・位置づけについては緒論様々だが、「なかった」という学者は昔から滅多にいない。
韓国側も、任那があったと思われる地域を中心に日本独特の前方後円墳がボコボコ発見され、その様式が九州地方の前方後円墳にそっくりなことから、任那・加耶地域に多くの日本人が住み、日本府的なものが存在していたことを認めざるを得なくなっている。
また、運営には畿内の大和朝廷から派遣されたと思われる人物が係わっていたとも推定されている。
中国や欧米の学界も「任那日本府」の存在は否定していない。

任那は鉄の産地で、有力な鉄資源がなかった古代日本にとって重要な鉄の供給源だった。日本の方が半島諸国よりも人口がその頃も多かったこともあり、軍事的には優勢だった。だから大和朝廷が鉄資源確保のために力を注ぎ、特に友好国の百済との調整のために日本府を置いていたのではないだろうか。

大伴金村の失脚は、公式な理由は、百済の援軍要請に応える代わりに「任那4県」を割譲してしまったことだ。当時は継体天皇即位を巡る国内の大混乱で朝鮮半島出兵が難しかったようだ。
割譲時点では、金村は朝廷最大の勢力だったので大きな問題は特にはなかった。

しかし、欽明天皇の御代になると、蘇我氏が急速に力を持ち始め、大伴氏と並ぶ勢力を持ち始めた。また、金村は年を取って元気も失ったのだろうか。
そこに、任那が新羅に奪われるという大事件が発生し、その責任を問われるとともに、任那4県割譲時に百済からワイロを受け取ったことを追求され、政界引退を余儀なくされた。
その後の百済などとの外交利権は蘇我氏が掌握し、百済を通じた仏教利権(寺院建築や仏像など仏具製造などの技術・技能利権)で、勢力をさらに拡大していくことになる。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2022/08/20 18:31

古代に日本が加羅と呼ばれる地に置いた。


新羅がせめて
最後は
天智の代に
新羅と唐が組んで
日本は
敗戦で
追い出された。

天智は
本土に攻めてこないかと
防人置いて
本土侵略に備えたが、
新羅と唐は
海を越えて攻めはしなかった。

百済・高麗・加羅は途中、後百済・後高麗なんてできたが、
全部新羅が討ち、

統一新羅になり、さらに北に起きた高麗が吸収。
この高麗は今の北朝鮮の位置にいた民族と
思うが、姓が高で今の北朝鮮の金とは別民族か。

これを嫌がる朝鮮難民は日本に避難逃亡。

日本はこれを受け入れて
国のあちこちに
朝鮮民居住区を
作った。

宮中に仕えた者もいたよね。
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いやありました。


ないというと
うけるから
そう叫びたいだけ

新羅は
確かに
勝って
日本府を
滅ぼしたはず。

加羅のことですよね。
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研究は、進みます。


さて、その根拠は、出どこはどこですか?

根拠なく、ネット情報だけで振り回されるのは、
時間の無駄です。

史実に基づく、任那府の存在を、
覆す説明をしてくださいね。
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