dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

私の父親は、小学校中退という学歴の昔気質の頑固な職人でした。母親もあまり知的なタイプではなく、だから私も学問には興味がなかったのですが、父親に「勉強して大学に行け」と言われたので、一応そうしました。

私は子供のころから両親が現実に流されて苦しんでいる姿を見てきました。また、大人になって周囲の人間たち(大抵大学卒)が、観念に流されている愚かさも見てきました。また、私自身も苦しんできました。

現実に流されたくない、同時に観念にも流されたくない。その折り合いをどうつけたらいいでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

自覚がない場合だと


確かに、観るも無惨な無様な姿を!
想像してしまいますね

そもそもの流れとはなんなのか?

ニャンポコリンさんの捉え方はありますか?

水のように、高いところから低いところへ流れるものなか?

風のように気圧の影響で突発的に発生するものなのか?


人との出会いなんかも
流れなんて言われてますもんね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私の言う「現実に流される」とは、実は改革の余地があるのにハナから諦めてそれをしないということで、「観念に流される」とは、現実でなく観念を操作しただけで何かやった気になるということです。

№1のお礼欄に書いたように、そもそも、質問の「流される」には、このような考えがありました。

また、「流れ」ということについては、時間の流れとは変化の流れと言えます。
変化の流れとは、自然界の流れと文明の中の流れの二つがあると思う。自然の流れには必然性があるだろうと考えています。しかし、文明内の流れには、いわば、自然の摂理に基づいた必然性というものが必ずしもないと考えます。

それは、文明というものは庶民の意志よりも、特権者の意志がずっと強く、その意思に基づいた流れがまあ、歴史というものであると思うんですな。そして、文明の中では庶民の意志が、自然の摂理の流れに近いと思うのです。

但し、その流れというものが「正しい」のかと言えば、「運」という大きな因果に従っているのだろうと思いますから、必ずしも正しいとは言えないと考えます。
例えば、地球の運命と火星の運命と、どこかの知的生命体の住む惑星とでは、運に違いがあるでしょう。

お礼日時:2022/09/06 23:18

後悔なんかだと良いけど


後悔を肯定するために
流されたかしょうがない
なんてな自己完結になる場合もありますね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

それは、流されたという自覚がない場合でしょ?

あるいは、愚痴などを言いながらひたすら自己弁護に明け暮れる状態。後悔は後悔で、どう弁護しようが苦しみます。何を言っても跳ね返してきます。

お礼日時:2022/09/05 23:55

自分自身がとった選択や判断でも


回避したくなるのが人間の性なんだと言えそうですね

世の習いとか、他の人ならとかとか

自分自身で背負い込めない場合なんかだと

流されたってな判断になるのかもです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「流された」というのは後悔でしょうね。あのとき自分の思うとおりにやっていたら、とか、あの人を信じていたのに、とか。

だから、自分で納得して判断する癖をつけるべきでしょう。それでも、人生は難しく、失敗することばかりでしょう。失敗しても、自分で納得した上でのことであれば、「もう一度」という心が湧いてくると思います。

お礼日時:2022/09/05 21:54

世間の判断理由に流されてるてのはあるけど、選択や判断を求められる時に決定してるのは自分自身だと考えてると



基本的には思ってますよ

社会に出てからよくある言葉で

いやいや仕事をしてる
とか
我慢して仕事をしてる
とかとかあるけど

結局は仕事をするってな判断や選択は自分自身で行ってますもんね

本当に仕事が嫌なら辞めりゃ良いけど

辞めるってな選択が出来ない人は
流されてるだけなんて思ってるけど、自分自身で続ける選択をしてるだけでもあるもんね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうです、選択は自分でしていますね。

だから、自分の行為は自分の責任になるのですね。ここに、矛盾はないとなる、と。

お礼日時:2022/09/05 12:55

現実に流されてるように見えるけど



結局は自分自身で選択してるのが事実なんじゃないかな?

嫌なら選択しない
嫌なら投げ出す

現実に流されてるなんてな言葉は、責任転嫁の為にあるとも思いますよ

両親が苦労してたとは思うけど
苦労も受け入れてたから

投げ出さなくて、苦労てのを選択したんじゃないかなぁ~

苦労があるからこそ、幸せも享受できるものですもんね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

現実に流されているのか、自分で選択しているのかを考えてみると、結局、最終決定は自分でするものの、全部を自分の判断基準で判断している人は稀で、また、全部世間の判断基準で判断している人も稀で、両方が混ざっているケースがほとんどだと思いますが、自分の判断基準というものはとても少ないのではないかと思います。

お礼日時:2022/09/04 20:09

色々やってみたら良いのではないでしょうか?



私も色々やりました

哲学がしたくて大学を中退し工場とか消毒とか建設やらアンケートやら

そしてパチンコが勝ってしまうので結構打ちました。集中力ですねえ

就職もしたし東京にも行ったし、病気になったり障害者として働いたり

家庭教師業とか作業所とか

観念に流されることはなく 自分で考えました

現実から逃げたこともあります。と言うかただ会社をやめたりとかですが

そういう常識に縛られない色んな視点から見ると

現実は認めつつ、観念に流されることもなく

自分の頭で考える 事が出来ました。

そしてかなり大事な中枢部が分かって来たのです

現実は真理に貫かれており 性質として現れる

わかった時は嬉しかったです。大笑いしていました

しかし現実は厳しいです。それを分かる人が居ないのです。

流石に今の風潮にはついて行けません

哲学なし。お金、就職、年金も危うい、福祉の限界、少子高齢化

生きる意味がわからない、いくら書いても駄目 馬の耳に念仏

残念です。綾小路我麻世です。

全く残念すぎる。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ハルさんは本来、無私の心が強い人なのではないかとも思っています。

その悟ったものですね、何とか表現して欲しいですね。私にもまだ伝わりそうで、伝わってきていませんから。

お礼日時:2022/09/04 19:55

また来ました。



世間に流されない人を友達として探すというのは、
私もそうしてます。
世間に流されない人を見るとワクワクして友達になりたくなります。

あとの世間に流される人は私にとってつまらない人なのですが(笑)

本当に流されない人って社会のハミダシモノが多くて、例えば障害者とか……
会社で変人と言われ、皆から嫌われているやつとか見ると、あ!!こいつ最高に面白い!って思ってしまう。

そういう人を理解してあげると、本当に今まで理解されてこなかった人達なので、本当親友みたいに仲良くなれる。

でも気をつけないといけないのはね、お互いに自分の世界を持っているので、お互いに自分の意見を通そうとしてしまうとぶつかってしまう。

私の世界は私の世界。あなたの世界はあなたの世界とわけないといけない。

あるいみ自分の中に柔軟さがかなり求められる。

あと嫌われる勇気が試される。

でも私はそういう人が好きで、誰と付き合おうが私の勝手だと思っているから。

そういうお友達できたらいいですね!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうでしたか。世間にあっさり流される人は面白くないですね。まあ、だからと言って友達には絶対なりたくないということではないですが…

確かにぶつかりますね。

ただ、本当に個性的な人は今の時代、いじけてしまっていたり、自殺してしまう人も少なくないのではないかと思うと、悲しいですね。

お礼日時:2022/09/04 19:52

大学だけは出たほうがいい。


小学校というのは大昔の義務教育時代ね。

小学校だけだとコンプレックスになるでしょう。

でも肩書に大学は在った方が人の見る目は違う。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

まあ、そうですね。

お礼日時:2022/08/31 13:15

あえて反対の価値観の場所に行きそこの価値観に流されるを繰り返してみたらなんとなく流されにくくなったような気がします。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

色んなことを確認できたということでしょうか?

お礼日時:2022/08/31 13:14

現実に流されるとありますが、それは誰かの意見に流されるという事ですか?



例えば、
事故を起こしたという現実があったら、
事故を起こしたけど命があってよかった
っておもうのと、
もう終わりだ!警察に連絡しなくては!やってしまった!
っておもうのと……

現実をどうやってとらえるかはその人次第ということだと思いましたが。

うちは貧乏で大学もあきらめて、自分でお金を貯めて専門学校に行きましたが、

大学に一応行ったといいますが、うやらましいという考え方もあります。

流されないとは。
自分の考えがしっかりあって、それを他人に言われたところで変えないという事なのじゃないでしょうか。

コレって流されていきてきたここで言う他人の意見を優先して生きてきた人には少し難しいかもしれませんが、

それは難しいと思っている固定観念だと思います。
流されている人たちを見てきたのではなく、流されている人ばかりに目がいってしまっている。

のではないのでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

人の意見にイヤに流される性格というものはありますね。これは、自分に自信がどうしても持てないという悲しい習慣です。

また、世間の流れにイヤに流される生き方というものもあります。これは、保身というあまり美しくない人間性です。前者は改革の余地があると思うのですが、後者は変えることは難しく、こっちを私は問題視しています。

自慢するわけではないですが、私は頑固な性格で、他人や世間に流されることはまずなく、流されない人を友達として探してきたのですが、そういう人はほとんどいなかったです。

お礼日時:2022/08/28 01:24

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す