漢文を初めから勉強しなおしているところです。置き字は読まない、書かないということですが、也 という字は、文末にあって断定や強調の意を添える「置き字」のひとつなのに書き下し文にすると「なり」と書くことがほとんどです。(今までの短い勉強の中では) これはどのように解釈すればよいのでしょうか?見分けるポイントはあるのでしょうか? 初歩的な質問で申し訳ありませんが教えてください、よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

一つ置いた前の質問に、「漢文の勉強の仕方」というのがありますが、学校で2年、3年とかけて勉強する内容を、このようなサイトで簡単に答えることは無理だと言えましょう。

しかし、あなたの場合は「也」という「置き字」にしぼった質問なので、まあいいと思います。
 ところで、「置き字は読まない、書かない」というふうに言っていますが、本当は「訓読する時に読まない」、「書き下し文にするときには書かない」という意味ですね。
 漢文は本来、昔の中国人が漢字を用い、中国語で書いたものです。だから上から順番に「音」で読んでいて、それで当然意味が通じていた訳です。しかし、日本人には外国語ですから(一部の人を除いて)読めない、書けないという状態でした。その時、日本人はその原文を、「日本語に(当時のことですから古文)に訳しながら読む」という方法を発明しました。この方法を漢文の「訓読」法と呼びます。この頃すでに漢字・漢語が日本に入っていて、当時の知識人にはほぼ理解できる状態になっていたことも幸いしました。だから日本でもっとも古い書物(といわれる)「古事記」「日本書紀」は漢文で書かれました。漢文を勉強するのは、(外国語ではなく)この訓読法を用いて「古文に置き換えた漢文」を学ぶことになります。だから国語の時間に勉強します。

 こんなことを書き続けても終わりそうにないから、質問に移りましょう。「也」は確かに置き字ですが、当然意味はあります。(無意味なら使わなかった)置き字の中の「終尾詞」と呼び、「断定・感動など」を表します。
  ナル    ヤ
 賢  哉  回  也。(賢なるかな回や)(論語)

「哉」は「かな」と読ませていますが、「也」は読ませていません。しかし、「回」の送り仮名に「や」が付けてあります。これは「也」の意味をそこへ持って行ったと考えられます。
 子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩。(論語-為政篇)
(子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑はず、五十にして天命を知り、六十にして耳に順ふ、七十にして心の欲する所に従ひて、矩を踰えず。)
 ここから「志学」(十五歳)、而立(三十歳)、不惑(四十歳)、知命(五十歳)、耳順(六十歳)などの語が出てきました。
 この原文(漢文の中ではこのように返り点や送りがなが付いていないものを白文と呼びます。本来はおそらく句読点も付いていなかったと思います)の「而」は「置き字」ですが「接続詞」の働きをします。で、読まない時は「三十ニシテ」のように送りがなを付けてその意味を生かしていますが、場合によって読んだ方がよいという時には、「しかして」「しかうして」「しかれども」などと読みます。

 高校で国語の副教材として「国語便覧」というのを買いませんでしたか。わたしの手元に「中央図書」の「新編国語便覧」があって重宝しています。特に漢文の句法などうまくまとめてあります。そんなのがあれば役に立つと思います。
 また、一つ置いた前の質問に答えられた方が紹介していらっしゃるサイトを下のURL欄に書いておきます。なかなか親切に説明してあります。まだ完成していないところもありますが。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/o-tajima/kanbun/kanfr …
    • good
    • 4
この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありません。 大変丁寧にご回答いただきありがとうございました。 長い歴史のある漢文を短い期間でコツのみをつかみ性急に理解しようとする考えのほうが浅はかであることにも気づきました。参考URLや参考文献を使って理解を深めていきたいと思います。

お礼日時:2005/04/06 21:16

「~です」、「~である」くらいだと思います。

この回答への補足

アドバイス、ありがとうございます。
質問が悪かったかもしれません。 書き下し文にするときに 書かない「也」と なり と書く「也」とどう区別するのか? ということなのです。 もしまたよろしければアドバイスお願いします。

補足日時:2005/04/06 07:26
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q今度は漢文について質問です。

今度は漢文について質問です。
今度、授業で虎の威を借る狐をやります。
本文を書き下し文にする宿題があり、やったのですが、
参考書をみても理解できないところがありました。

「子無敢食我也」

という文を書き下しにするとき、

「子敢えて食らうこと無かれ。」

と書いてありました。
也は読まないのですか?
読まないのであれば、理由を教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

#3です。
>学校指定の文法書には
「無敢~ 否定・禁止」
とかかれていますが、おしえてもらった
「無~也」
は載っていませんでした。
 それは高校の文法書だから載っていないだけで詳しい漢文法の参考書にはちゃんと記述があります。
 否定・禁止命令文で一般には最後に「也」が来ない「無~」の文が多いことは事実ですが、「也」が来ることもときどきあります。その場合には「也」は読みません、まあ、その場合は「置字」と言っていいでしょう。
ただ、「也」というのは「語気の助字」とよく言われますが、文の語気を強めるだけで、それをどう訳すか(どう訓読するか)はすべて前後関係、場合によるのです。
 論語の有名な言葉にこういうのがあります。
苛政猛於虎也。
「苛政は虎よりもひどいのだ」「過酷な政治は虎よりひどいのだ」という意味なのですが、ここで「也」を「なり」と読むこともできるし、置字として読まないこともできます。要するに決まっていないのです。
ひとつの読み方は
「苛政は虎よりも猛(たけ)し」で、「也」を読みません。「猛し」という形容詞に「なり」は不要だからです。
もうひとつの読み方は
「苛政は虎よりも猛(もう)なり」で、「也」を「なり」と読んでいます。
 要するに日本語として「なり」と読んで自然な文章になるなら「なり」と読み、不自然なら読まないというだけです。

#3です。
>学校指定の文法書には
「無敢~ 否定・禁止」
とかかれていますが、おしえてもらった
「無~也」
は載っていませんでした。
 それは高校の文法書だから載っていないだけで詳しい漢文法の参考書にはちゃんと記述があります。
 否定・禁止命令文で一般には最後に「也」が来ない「無~」の文が多いことは事実ですが、「也」が来ることもときどきあります。その場合には「也」は読みません、まあ、その場合は「置字」と言っていいでしょう。
ただ、「也」というのは「語気の助字」とよく言われますが...続きを読む

Q係り結びでもないのに文末が連体形なのはなぜ?

「そこなりける岩に指(および)の血して書きつけける」という文の文末の「ける」は過去の助動詞「けり」の連体形だと思うのですが、係り結びの係助詞もみあたらないのに、なぜ文末ば連体形なんでしょうか?疑問の副詞があるときも、係り結びになるらしいですが、それもみあたりませんし。。よければ、意見きかせてください。ちなみに、出典は伊勢物語です。

Aベストアンサー

当該箇所の場合、「書きつけける」の直後が歌なので、

書き付けた(歌(は以下の通り)):~

みたいなことを言いたいのを省エネしていると考えれば良いと思います。用言が体言的に働く歴とした準体法で、このような場合は、「余韻」とはあまり関係なかろうと思います。

また、既に例が出ていますが、連体形で文を結ぶことによって「余韻を与える」とされる用例もあります。連体形というのは本質的に体言的なもので(だからこそ準体法が可能なのですが)、文を連体形で終えるということは、文末に体言があるのと同様の効果となります。これは現代語で言えば「~の(だ)」に相当します。

 紫たちたる雲の細くたなびきたる(『枕』)
  →紫がかった雲が細くたなびいているの(ウットリ)。
 雀の子を犬君が逃がしつる(『源氏』若紫巻)
  →雀の子を犬君が逃がしちゃったの!(プンプン)

みたいなもんです。意訳ですが。これをただ「余韻」という曖昧極まりない用語で説明して片付けるのは学校文法の怠慢だと思います(室町時代になって、活用語の終止形は連体形に合流してしまうので、仮に連体形=余韻だとすると現代の全ての文が余韻含みになることになってしまう。だいたい「余韻」って何でしょう)が、まあこのように説明される用法もあるということです。

一応この二つを、学校ではあまり説明してくれませんが、気に留めておくと良いでしょう。

当該箇所の場合、「書きつけける」の直後が歌なので、

書き付けた(歌(は以下の通り)):~

みたいなことを言いたいのを省エネしていると考えれば良いと思います。用言が体言的に働く歴とした準体法で、このような場合は、「余韻」とはあまり関係なかろうと思います。

また、既に例が出ていますが、連体形で文を結ぶことによって「余韻を与える」とされる用例もあります。連体形というのは本質的に体言的なもので(だからこそ準体法が可能なのですが)、文を連体形で終えるということは、文末に体言が...続きを読む

Q白文を書き下し文に(漢文)

漢文の白文を書き下し文にするにはどうしたらよいのですか?
訓点や送り仮名が付いていれば簡単にできるのですが、ただ単に漢字だけが並んだ文を直したいのです。
さらに欲を出せば、その文を訳せるようにもなりたいと思っています。
どうすればよいのですか?教えてください。

Aベストアンサー

ごきげんよう。

漢文を白文の状態から書き下し文直しや現代語訳するにはどうしたらよいか?
う~ん、これができないとどう困るのかがよくわかりませんが、
とりあえず、
質問者さんの漢文関係の知識が高校レベルだと仮定して回答します。


漢字の横につけられている返り点や送り仮名というのは、
もともと白文であったものが読みやすくなるように、
後世の人間や研究者によって(勝手に)つけられたものです。
返り点をつけたのは五山の僧たちでしたかしら?

高校までの漢文の授業では習いませんが、
英語や古文と同様に、漢文(古代中国語)にも文法(漢文法)があります。
その文法や単語を理解すれば、
漢文そのものから現代語訳をすることも十分に可能になります。

文構造・語順としてはわりと英語に近くて、
 [主語][述語]
 [主語][動詞][目的語]
 [主語][動詞][目的語1][目的語2]
 [主語][動詞][目的語][前置詞][目的語]
 [主語][否定語(「不」など)][動詞][目的語][前置詞(「於」など)][場所を表わす名詞]

これらは文構造の単純な例ですが、こういう感じで漢字が並んでいて、
この構造がわかっていると返り点がなくても読む語順がわかります。

この構造に加えて、単語(動詞や名詞や副詞などの漢字)の意味がわかり、
固有の文法(高校で「句法」として習うもの+α)を理解すれば、
白文を見ただけでもおおまかな意味はつかめるのです。
それを洗練させていくと、適切な現代語訳ができるようになっていくでしょう。
(ここでは簡単に言ってますが、実際にやろうとするとけっこう手ごわい)


ただ、「書き下し文にする」のは現代語訳よりも厄介ですね。

現代日本語を読み書きしている私達が書き下し文を読めばわかるように、
ほぼ日本の古文調なのです。
これは、古代~近世の人間が漢文を日本語に直す時に、
「漢文の訓読」「自分の文法に沿った送り仮名のつけ足し」
を行なってきたためです。

したがって、
 ○漢字をどのように訓読して送り仮名をつけるか
 ○日本の古文の助動詞・助詞をどう補うか
というのが、私達現代人には非常に難しいレベルかな、と思います。

> どうすればよいのですか?教えてください。
う~ん、書き下し文にする場合、古代から現代までの日本語と中国語の両方に精通してください、としか。他の方の意見待ちかも。

日本における古文や漢文を専門に研究している研究者なら
送り仮名を含めた書き下しに慣れていて可能な人もいるかもしれませんが、
かなり特殊なスキルであることは間違いないでしょう。

漢文 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%96%87
返り点 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%94%E3%82%8A%E7%82%B9

追加や訂正などがありましたら、また。

ごきげんよう。

漢文を白文の状態から書き下し文直しや現代語訳するにはどうしたらよいか?
う~ん、これができないとどう困るのかがよくわかりませんが、
とりあえず、
質問者さんの漢文関係の知識が高校レベルだと仮定して回答します。


漢字の横につけられている返り点や送り仮名というのは、
もともと白文であったものが読みやすくなるように、
後世の人間や研究者によって(勝手に)つけられたものです。
返り点をつけたのは五山の僧たちでしたかしら?

高校までの漢文の授業では習いません...続きを読む

Q漢文 「亦」について

漢文の書下し文をやっていて「亦」という字が出てきました。これは置き字なのでしょうか?それとも読むのでしょうか?
また、「也」という字は訓点がふってなかったら置き字ということなのでしょうか?
教えて下さい。

Aベストアンサー

亦について、
日本語では「また」と読みます
不亦~乎はよく使われています、(論語の「朋、遠方より来る有り」の詩に載っています)
この場合は「また~ずや」と読みます(不亦樂乎、また楽しからずや)、この「また」が「亦」になります。
書き下しでどのような文章が出ているのかわかりませんが、
私が習ったときは、
「而」「於(于・乎)」「焉・矣」「兮」あたりが置き字といわれた記憶があります、ただ、「於」は置き字ではない場合もありました。
昔の記憶なので間違っていたらごめんなさい。
也はわかりません。

Q「長たらしむ」の訳し方を教えてください。

「長たらしむ」の訳し方を教えてください。

「たら」と「しむ」は、完了の助動詞と使役尊敬の助動詞だということはわかったのですが、
そうすると、上の「長」は?
「たら」は連用形に接続すると覚えけど、これは未然形。下にある「しむ」は未然形に接続するからなんだろうけど、長は名詞?
どうやって考えればいいですか?
それから、「しむ」は尊敬で訳せばいいですか?
使役と尊敬の区別方法がわかりません。
教えてください

Aベストアンサー

方向違いならごめんなさい。
これは、
「虎の威を借る狐」<戦国策>ですね。

「長たらしむ」は「ちょうたらしむ」と読み、
「長」は名詞、首領・かしらなどの意。
「たら」は、断定の助動詞「たり」の未然形、資格を表す。
「しむ」は、使役の助動詞「しむ」の終止形。

「天帝使我長百獸。」は使役の構文です。


(天帝は、私を百獣の)長(首領)にした。

Q落窪物語の現代語訳を教えて下さい

落窪物語の現代語訳が知りたいです。

範囲は

『ひき入りて寄するを』~『泣きみ笑ひみしたまふ。』

までです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

  http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt

引き入れて寄するを、からうじてこのをのこ一人出で来て、「あらず。御達の参りたまふぞ」と言ひて、ただ寄せに寄す。御達のとまりたりけるも、皆下におりて、人もなきほどなり。あこき「早うおりたまへ」と言へば、少将おり走りたまふ。部屋には鎖しさしたり。これにぞ籠りけると見るに、胸つぶれて、いみじ。はひ寄りて、鎖ひねり見たまふに、さらに動かねば、帯刀を呼び入れたまひて、うちたてを二人してうち放ちて、遣戸の戸を引き放ちつれば、帯刀は出でぬ。いともらうたげににて居るを、あはれにて、かき抱きて、車に乗りたまひぬ。「あこきも乗れ」と宣ふに、かの典薬が近々しくやありけむと、北の方思ひたまはむ、ねたういみじうて、かのおこせたりし文、ニたびながら、おし巻きて、ふと見つくべく置きて、御櫛の箱ひきさげて乗りぬれば、をかしげにて、飛ぶやうにして出でたまひぬ。誰も誰も、いとうれし。門だに引き出でてければ、をのこども多くて、二条殿におはしぬ。
 人もなければ、いと心安しとて、おろしたてまつりたまひて、臥したまひぬ。日ごろのことども、かたみに聞えたまひて、泣きみ笑ひみしたまふ

  http://attic.neophilia.co.jp/aozora/htmlban/OTIKUBO1.html

車を引き入れて寄せるとやっと男が一人出てきて、「なんの車ですか、皆出て行ったところへ」と、とがめるので、
「何でもありません。女房が参るのです」といって、そのまま寄せる。女房たちの残っている者も、みな自分の部屋に下がって誰もいないときである。阿漕《あこぎ》が、「早くお降りください」というと、少将《しょうしょう》は降りてお走りになる。部屋には鍵がかけられている。ここに閉じこめられていると思うと、胸がつぶれるほど悲しい。走り寄って鍵をひねって見るがまったく動かないので、帯刀《たちはき》を呼び入れて、うちたて【諸説あり不明】を二人でうち壊して遣戸《やりど》を引き開けると帯刀《たちはき》は出て行った。姫君がたいそうかわいらしいようすで座っているのを、愛《いと》しく思って抱き上げて車にお乗りになった。
「阿漕《あこぎ》も乗れ」とおっしゃるので、典薬助《てんやくのすけ》が近づいたと北の方がお思いになることを、たいそうくやしく思ってあのよこした手紙二枚を巻いて、簡単に見つけられるところに置き櫛の箱をもって乗ると車は愉快そうに飛ぶように速く出て行く。みな嬉しい。門さえ出てしまったので護衛の男たちがたいそう多くしたがって、二条の邸《やかた》においでになった。だれもいないのでたいそう気楽だと思って、姫君をお下ろしになって横におなりになった。日ごろのことを語り合って泣いたり笑ったりなさる。

 《注意点》
 質問者が『ひき入りて寄するを』~『泣きみ笑ひみしたまふ。』とおっしゃっても、私たちはそれを見ることはできません。「落窪物語」が二、三ページ程度のものなら、簡単に見つかるでしょう。この場合は結構長いので困ります。わたしはテキストファイルの検索機能を使って探すことはできました。
 もう一つの問題は、質問者のお持ちのテキスト、原文を掲載したサイトの用いているテキスト、現代語訳を載せたサイトのテキスト、この三つに違いがあることがあります。現実に「原文」と「現代語訳」とを比べると<「なんの車ですか、皆出て行ったところへ」と、とがめるので、>と現代語訳にある部分が原文では抜けた形になっています。これはテキストに違いがあるのだろうと思います。(古文の場合こういうことが時々起きます→底本の差)質問者はお持ちのテキストと比較して、処置しください。現代語訳は適切と判断しました。

  http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt

引き入れて寄するを、からうじてこのをのこ一人出で来て、「あらず。御達の参りたまふぞ」と言ひて、ただ寄せに寄す。御達のとまりたりけるも、皆下におりて、人もなきほどなり。あこき「早うおりたまへ」と言へば、少将おり走りたまふ。部屋には鎖しさしたり。これにぞ籠りけると見るに、胸つぶれて、いみじ。はひ寄りて、鎖ひねり見たまふに、さらに動かねば、帯刀を呼び入れたまひて、うちたてを二人してうち放ちて、遣戸の戸を引き放ちつ...続きを読む

Q「絵仏師良秀」は何て読むか?

有名な説話集『宇治拾遺物語』のエピソードとして、「絵仏師良秀」に関する話がありますが、この「絵仏師良秀」は何と読むのでしょうか?
個人的にはずっと「えぶっし・りょうしゅう」だと思っていましたが、「よしひで」と書いてある本を見つけてしまったため、悩んでいます。
また、古典文学の名詞に、読み方のはやり・すたり等があるのでしょうか?

カテゴリーが「文学」で良いのか不安ですが、どなたか教えてください。

Aベストアンサー

良秀(りょうしゅう)というのは法名なんですね。知りませんでした。
そのほか実峰良秀(じつぼうりょうしゅう)というお坊さんがいたそうです。
法名なら音読みしないとね。

参考URL:http://www5.nkansai.ne.jp/shop/rorog/ryakureki.htm

Q古文の活用形が全く理解できない

高校生です、中学から授業は全く身につかず、
今、古文の勉強をしているんですが、国語の先生に「~であるから、下二段の連用形なので~」と言われても一人「?」と理解できてません
四段活用とか、す、さし、す、すれとか何の事か全くわかりません
先生に聞こうにも「このレベルも理解できないなら塾や家庭教師を頼んだ方が・・」といわれる始末です。
独学で学べたらいいのですが・・・活用形っていったいなんですか?四段活用とか・・。教科書に表が掲載してるだけで意味が全く分かりません
また。古文初心者でも理解できるサイトはないのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。僕も高校生です。

これは覚えるしかないとおもいますよ。ほら、英語であるじゃないですか。fast-faster-fastestみたいな。そういう感覚で、たとえばもともと「書く」とあるのが

書か 書き 書く 書く 書け 書け

と変化するものだ!と覚えるんです。

ちなみに上の例では

未然 連用 終止 連体 已然 命令

の順ですが、何でこんな「未然」とか「連体」とか決まるのかというと

未然:あとに「~ズ」がつく。まだ起こってない事柄をあらわす。
   例:書か「ず」
連用:あとに「たり」「て」がつく。
   例:書き「たり」
終止:その言葉でおわる。
   例:書く「。」
連体:あとに名詞が続く。
   例:書く「人」、書く「物」など
已然:あとに「~バ」がつく。
   例:書け「ば」
命令:命令の言葉をあらわす。
   例:書け「!」

とまあ長い説明になってしまいましたが、これは

四段活用  

です。

これも覚えてしまってください。

「書く」の「か」のあとに

か き く く け け

これを四段活用とよぶきまりがなりたっているのでどうしようもありません。

これは教科書にもかいてあるとおもいますので、あとは同様にして下二段とかナ行変格活用などなどおぼえることです。

あと、四段活用と下二段、上一段などなどを見分ける方法は教科書にかいてあるのでそれをよめばいいかとおもいます。僕も古典は得意ではないです。お互いがんばりましょうね!

以上参考までに。 

こんにちは。僕も高校生です。

これは覚えるしかないとおもいますよ。ほら、英語であるじゃないですか。fast-faster-fastestみたいな。そういう感覚で、たとえばもともと「書く」とあるのが

書か 書き 書く 書く 書け 書け

と変化するものだ!と覚えるんです。

ちなみに上の例では

未然 連用 終止 連体 已然 命令

の順ですが、何でこんな「未然」とか「連体」とか決まるのかというと

未然:あとに「~ズ」がつく。まだ起こってない事柄をあらわす。
   例:書か「ず」
連用:...続きを読む

Q漢文「ずんば」と「ざれば」の違い

不憤不啓(不レ憤不レ啓)・・・憤せずんば啓せず
人不学不知道(人不レ学不レ知レ道)・・・人学ばざれば道を知らず。

なぜ「ずんば」と「ざれば」と2つの読み方があるのでしょうか…?
一番上の例文は、「憤せざれば啓せず」とも読めるきがしますが…。

回答お願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
確かに、読み方がいろいろあって、混乱しますよね。
ポイントは、打消の助動詞「ず」の活用にあります。
<表>(崩れて見にくかったらごめんなさい)
 未然 連用 終止 連体 已然 命令
(1)ず  ず  ず  ぬ  ね
(2)ざら ざり ○  ざる ざれ ざれ
上記のように、(1)(2)の二系統あります。

さて、ご質問の件ですが、「ず」に「ば」がつく形は、実は3種類です。
●「ずんば」→「ず」(未然形)+未然形接続の助詞「ば」(仮定条件)
※「ずば」が言いにくいので、「ん」でワンクッション置いて「ずんば」と変化しました。
●「ざらば」→「ざら」(未然形)+未然形接続の助詞「ば」(仮定条件)
●「ざれば」→「ざれ」(未然形)+已然形接続の助詞「ば」(確定条件and仮定条件)

文法の基本としては、仮定の意味をそえるなら「未然形」+「ば」ですが、「已然形」+「ば」でも間違いではありません(現在も両方使いますしね)。
ということで、(1)(2)(3)とも、すべて仮定の意味で使用可能です。
ですから、質問者様のご提示された文はどれで読んでも構いません。
憤せざらば、啓せず。 憤せざれば、啓せず。
人学ばずんば道を知らず。 人学ばざらば道を知らず。
ただ、今回の例文は、とても有名なものなので、皆さんに親しまれている読み方をした方が好まれるかもしれません。
また、受験を意識されているのであれば、「未然形」+「ば」を意識されていた方がよいかと思います。
漢文法の参考書では、
不○不□。「○ずんば□あらず」
で載ってたりしますね。

ちなみに、(2)は「ず」+「あり」の形が変化したもの。
未然形を例にすれば、「ず」+「あら」→「ずあら」が言いにくいので、「ざら」と略されて定着したと言われています。

ダラダラ分かりづらかったかもしれません…。
何かありましたら、またご質問下さいませ。

こんにちは。
確かに、読み方がいろいろあって、混乱しますよね。
ポイントは、打消の助動詞「ず」の活用にあります。
<表>(崩れて見にくかったらごめんなさい)
 未然 連用 終止 連体 已然 命令
(1)ず  ず  ず  ぬ  ね
(2)ざら ざり ○  ざる ざれ ざれ
上記のように、(1)(2)の二系統あります。

さて、ご質問の件ですが、「ず」に「ば」がつく形は、実は3種類です。
●「ずんば」→「ず」(未然形)+未然形接続の助詞「ば」(仮定条件)
※「ずば」が言いにくいので、「ん」で...続きを読む

Q名詞節をつくる際のHow+形容詞+S+VとHow+S+V+形容詞の違い

名詞節をつくる際のHow+形容詞+S+VとHow+S+V+形容詞の違いは何でしょうか?
自分は意味は大体同じで前者の方は強調のニュアンスがあると解釈しているのですが。

Aベストアンサー

how 形容詞 SV という名詞節は
How 形容詞 VS? という疑問文の間接疑問,
How 形容詞 SV! という感嘆文からきている
いずれの解釈も可能です。

上の場合,「どれくらい(形容詞)か」で,程度を聞くわけですが,
日本語で「どれほど(形容詞)か」で「なんと」というニュアンスが出るのと同じで,感嘆文との区別は文脈次第です。

いずれにしても,how +形容詞でひっついて「どれほど~」と一まとまりになります。

how SV 形容詞があるとすれば,how は「どのようにして」とか「どうして→なぜ」の意味で形容詞とは切り離されている場合です。
how he is so busy「どうして彼はそんなに忙しいのか」
how busy he is「彼はどれくらい忙しいのか」「彼はなんと忙しいのか」


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング

おすすめ情報