A 回答 (21件中1~10件)
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No.23
- 回答日時:
会話のみの説得力という点では人間以上の神が上。
信じると歩むべき道が見えてきて、安心したり勇気が湧いたりしますね。
ただ、実行に移す時
協力してくれたりお金を貸してくれたりするのは
人、それも、文句いわれつつも身内のことが多いです。
ご回答をありがとうございます。
★ 会話のみの説得力という点では人間以上の神が上。
信じると歩むべき道が見えてきて、安心したり勇気が湧いたりしますね。
☆ だと思います。
★ ただ、実行に移す時
協力してくれたりお金を貸してくれたりするのは
人、それも、文句いわれつつも身内のことが多いです。
☆ ふたつの見方が 想像されます。
① そのとおり。人間世界については 《現金なこと》がまかりとおる。
② とは言うものの そのような《お金の威力》も じつはそれが誰に持たれているかについては ひそかに神が根回ししている・・・かも知れない。
No.22
- 回答日時:
貴殿は釈尊をどう思われますか。
ニルヴァーナの境地(涅槃の境地)
勿論、現代風に釈尊像も修正されている訳ですけれど。
ゴーtマ・ブッダは 人びとが特には強固な身分制のもとで自由をうばわれ 生活に苦労している姿を見て 人間は 生まれ(すなわち 身分)で決まるものではなく みづからの自由意志によるおこない(カルマ)によって形成されるものだと考えた。
それゆえ 身分制の秩序の根拠とされた神にひとしいアートマン(霊我)を 否定した。アン‐アートマン(無霊我・無我)つまり 無神論 を説いた。
そうして 人びとには ゆめを――これは 《大化城》なる観念の世界として――あたえた。
《この上なくとうとい智慧のさとりを得た》と宣言していたが ついぞこのさとりについては――そこに到る道筋ないし修行形式(四諦八正道)をあきらかにしたけれど―― けっきょく説明しえずじまいとなった。(法華経・方便品でシャーリプトラとのやり取り)。
・・・
なお後世の人びとは ゴータマの言わなかった《ブッダター(仏性)》を――けっきょくブラフマニズムの《アートマン》と同じものとして――立てた。
ブラフマンの位置には アミタ―バ・ブッダないしはマハーワイロ―チャナ・タターガタを据えた。
・・・
親鸞が 《義無きを以て義とす》で 《信じる》を理論化するところまで行った。
No.20
- 回答日時:
刺さった矢は抜けないように思われます。
----
瑕後は残存すると思われます。
私が作成した動画の紹介ですけれど。
牛の回心
宜しかったら、どうぞ☆彡
☆☆ 〔いまの科学指向や社会のニ階建て構造のままの政策だけでは〕刺さった矢は抜けないように思われます。
★ 瑕後は残存すると思われます。
☆ もっとも 自然治癒ということが考えられます。それが すでにじゅうぶんなほどおこなわれている場合もあるかと思います。
治癒したとき 瑕は ほくろやしみ・そばかすのような母斑のごとくのこるかも知れません。
No.19
- 回答日時:
フリッツくんは 《神》について何も知らない。
あたまの中だけで言いたいことを言っている。----
ニーチェは牧師の息子だったのですがね。聖書に精通していない筈がないのですが。
聖書は 《信じる》を推し出したのです。
▲ (ヨハネ福音 1:17 )
律法はモーセをとおして与えられ、
めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。
▲ (パウロ:コリント後書 3:6 )
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
☆ 《律法(人間の言葉・文字で書かれた倫理規範) つまり文字》は 旧約聖書です。
《霊(聖霊) また めぐみ(信じるによってあたえられる)・まこと(真理)》が 新約です。
新旧の違いは パウロのへブル書 8 章が くわしい。そこでは エレミヤ書 31:31 以下の《あたらしい契約》についての説明文が引かれています。
★ 聖書に精通していない筈がないのですが。
☆ いま思い浮かぶニーチェのチョンボを示します。
フリッツくんは 敬虔なクリスチャンは 天国を目指すといった趣旨のことを 聖書にもとづく内容だとして議論しています。
ところが:
▲ (ルカ福音 20:38 )
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである。
☆ ということです。《天国を目ざす》のは そうであっても 二の次です。
No.18
- 回答日時:
復讐肯定論
これはですね。キリスト教の宗派にも依るのですが。
「復讐するは我にあり」とは日本では、大久保清元死刑囚を題材として映画を作成し、その映画の題名が以上だったのですが。
元々、キリスト教の宗派の一派が「神が復讐代行するから、人が人を殺めてはいけません。目には目を歯には歯を は神が代行します」という意味が込められていたか、と思われます。
そういった、社会的弱者が社会的成功者に対して、憎悪、嫉妬、怨恨等を以て、信仰の道に入っている、クリスチャンとか、一般大衆の心理をニーチェは「ルサンチマン」としたのですね。
★ 「復讐するは我にあり」
☆ その《我》は 神(ヤハヱ―)のことですよ。
あぁ その意でした。
★ 元々、キリスト教の宗派の一派が「神が復讐代行するから、人が人を殺めてはいけません。目には目を歯には歯を は神が代行します」という意味が込められていたか、と思われます。
☆ 念のため:
▲ (パウロ:ローマ書 12:19 ) ~~~
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、
「主が言われる。復讐はわたしのすることである。
わたし自身が報復する」
(申命記 32:35 )
と書いてあるからである。
~~~
★ そういった、社会的弱者が社会的成功者に対して、憎悪、嫉妬、怨恨等を以て、信仰の道に入っている、クリスチャンとか、一般大衆の心理をニーチェは「ルサンチマン」としたのですね。
☆ 《信じない》なら うらやみ(裏=心 ‐ 病み)がのこります。
そのような場合を ニーチェは 全部がそうだと決めつけてしまったのでしょう。
信じた人は あえて言うならすでに《超人》になっているのです。
フリッツくんは 《神》について何も知らない。あたまの中だけで言いたいことを言っている。
ルサンチマンは 何度も内に起こる感情や思念についてかえりみるといった意味にとるとよい。つまりは 類型として言えば 永劫回帰なんです。
その回帰したときに しっかりと自己還帰しえたか。これに尽きます。
フリッツくんは 限界にまではたどり着いたのかも知れない。〔あたまによるのだから〕そこまで。なのに うわついてしまった。そのまま逝った。
No.17
- 回答日時:
<神> と言っても、究極的には霊的・霊感で捉えるより他ないので、主に若い頃は、お願い事、学業成就・恋愛成就等が多いのでしょうけれど。
年を取ると、どうしても、自分の力量に及ばない、「不条理」に人生が遭遇することが多く、自分自身が瑕持ちになりがちです・・・。不条理を解決するためには何を使っても、いいですし、宗教学・哲学を学んでも良い訳ですけれど、最終的には自己判断しかないのですね。他者が思うほど、自己の事は思わないし、その他者にとっても、自分を思うほど、自分以外の人間は例え、家族と言っても、他人事の事件・事故になりがちです。心に瑕を持つということは、多角的な視野・視点の発達でもあり、自分以外の身になって、物事を判断する、総合力の高さをどうしても、社会は求めがちで、それが不完全だと、自分自身が、非行・犯罪行為に走りがちになってしまいます。---
蜻蛉は昆虫で益虫ですけれど。
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das …
《信じる》によって 傷の部分から言わば矢が抜かれる。
その患部が癒えるのは そのあと確かに時間的な過程をたどります。
人間として 《わたしがわたしである》が――信じるによって――確立します。
感情や情感 また 思考や科学によっては――観念的に治癒されましょうが―― 刺さった矢は抜けないように思われます。
No.16
- 回答日時:
ニーチェは56歳で狂死してしまうのですが、死因は脳梅毒(スピロヘータ)でしたので、ニーチェの個人的世界観としては、死を観念としては捉えていなかったのでしょう。
ルー・ザロメとの悲恋が原因で、恐らく、ニーチェは売春婦を買って、梅毒に冒されたのではないのか、と推測していますけれど。「この人を見よ!」がニーチェの遺作となった筈ですけれど。ニーチェの妹のエリザベトがニーチェの遺稿をニーチェ全集として、後世に問いかける訳ですけれど。
後にナチスの眼にニーチェの遺稿が止まり、ニーチェの哲学をナチスのプロパガンダにされたと噂にはなっていましたが、Wikiではその通説を否定しているみたいですね☆彡
何が 阿呆かと言えば 復讐肯定論です。
『バッコスの信女』では ディオニュソスの神が 信女たちに 復讐でその仇をころしてよいと言っている。
これは オウム真理教が 悪人をポアなる思想において殺してもよいと説くに同じです。
創価学会についても 日蓮が 法華経に反対する者は 殺してもよいと――秋元御書で――言った。
みな 完全にアウトです。
ニーチェは のちに悲劇の誕生でディオニュソスを讃えたことを悔いている。けれども もしその反省があるのならば その本は 絶版にすることで初めて 心が生きる(復活する)。
といったことです。ほかの主題でも 見るべき内容は わたしに言わせれば ありません。
No.15
- 回答日時:
★ 21世紀思想は永劫回帰の世紀で
☆ 永劫回帰をどういう意味で使っているのか 分からない。
----
第三次世界大戦が起きるならば、露西亜は、ナチズムの撲滅って仰っているし、ドイツでは矢張り、ネオナチが危機的だと思えます。
自然本性(身と心とたましい)としての人間性にもとづく人格を成す《わたし》。
そのわたしがわたしである(また わたしがわたしする)という筋道から 人間は――相対性としての知性ゆえ――逸れることがある。へそを曲げる。
このへそ曲がりからの自己への還帰 これをうながす機会が ひとには おとづれる。
じこに到来しえなかった場合には 何度も同じチャンスがおとづれる。
これが――もっとも好意的に見積もった――永劫回帰です。
ほかには 無意味だと思います。フリッツくんについては ただの阿呆だと規定しています。
歴史は繰り返すって言いたいんですか?
No.14
- 回答日時:
>> No.13
私ね。ニーチェ思想の詳細なことは分からないのですが、元々、民主主義社会も古代ギリシャ社会の叡智の結晶でしたし。
永劫回帰で、新ネタの哲学思想も、新体制(資本主義社会体制、社会主義社会体制、共産主義社会体制)も現れず、21世紀思想は永劫回帰の世紀で、21世紀の始まり方からして、「暴力と破壊」の世紀の実情でしたし、最早、クルクル廻っているだけに映るのですが。
ここで、第三次世界大戦(世界恐慌が避けられない、絶望のアルマゲドン)が起きれば、私の人生にも、喜怒哀楽は多かったけれど。
最早・・・・。
★ 私ね。ニーチェ思想の詳細なことは分からないのですが、元々、民主主義社会も古代ギリシャ社会の叡智の結晶でしたし。
☆ たしかに。
それと そもそもニ階建て構造の国家という社会形態は なかったという事態が 土台にあるかと。
社会は 平屋建てだった。言いかえると その屋根の上へのぼろうとする人間がいた。アマアガリ・シンドロームが起きた。市民一般の住む一階の上に空中庭園( the Hanging Garden )をつくりそこに住みたかった種族がいた。
おそらく優秀な人間たちで 人びとを指導したがり社会を統治したがった。・・・
★ 21世紀思想は永劫回帰の世紀で
☆ 永劫回帰をどういう意味で使っているのか 分からない。
★ 21世紀の始まり方からして、「暴力と破壊」の世紀の実情でしたし、最早、クルクル廻っているだけに映るのですが。
☆ 大雑把すぎるように思います。
★ ~~~
ここで、第三次世界大戦(世界恐慌が避けられない、絶望のアルマゲドン)が起きれば、私の人生にも、喜怒哀楽は多かったけれど。
最早・・・・。
~~~
☆ 当たる確率がゼロではない。けどねぇ・・・。
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№5への補足要求です。
では 《〈ダルマ・カーヤ(法身)ないし ダルマ(法)〉を信じる》といった表現は 妥当ですか?
妥当だとして では 《神を信じる》と どう違いますか? それとも 永遠に交わらない議論ですか?