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綺麗事で言えば仲間外れは悪いことだと言われます。
ですが必ずしもそうでしょうか?

一人のためにグループ全体に被害が生じる場合は正当化される。
例えば、犯罪者を牢に拘束する行為は社会全体が犯罪者を仲間外れにしていると言える。

犯罪者の例は極端ではあるが、要は線引きの問題だ。
どこからが良くない仲間外れで、どこからが許される仲間外れか。

そのグループ全体の多数決で線引きされるんだろうか。
皆が嫌ってる人ならば仲間外れにして良いということだろうか。

しかしそういう線引きではイジメは常に正当化されてしまう。
イジメは常に多数派によって少数派に対して行われるものだからだ。

仲間外れが正当化される線引きは、どのような基準でされるべきですか?

A 回答 (40件中11~20件)

「仲間」も「(仲間)外れ」も


ここでいう「グループ」も
「正当化」も「嫌っている」も「基準」も
すべて「個人的価値観」の中での話であると思います。

例に挙げられている「犯罪者を牢に拘束する」のは
「社会」の「仲間はずれ」ではなく
「社会」を「統制するための法律」によって定められたこと。

「仲間」という個人的価値観で作られた「グループ」から
「外す」のですから
まぁ、勝手にすれば?という話ですが、
「正当化」したいなら「外したことに非はない」ことを
証明できればいいのではないかと思います。
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仲間外れ? に改めて線引きが必要なグループが社会にあるとは


思えません。通常は入会、脱会、退会についてルールを明文化し、
参加時に参加者と運営者双方で合意に達しているはずです。

取り合えず長いので気が向いたらお読みください。

仲間外れをやったり、仲間はずれに成ったり、何かがしかのトラ
ブルになりそうな人は初めから参加させません。そのために審査
があるのが普通です。入園、入学、入部、入社、入国、すべての
グループでは参加の敷居が高いものです。退場を即すような羽目
になるのは下の下であって、そうなりそうなら最初からいれなけ
れば良いと言うのが社会の常識でしょう。

学校であっても同様であり、学校内の小グループであるサークル
や部活動でも同様のはずです。グループの運営に関してはメンバ
の安全管理、健康管理、遂行管理(アドバイスや道具の配布)な
どを行う現場の責任者がいるはずです。これは細かく所掌が分か
れており、学校であってもクラス担任、委員会顧問、部活顧問な
ど担当を分担しているはずです。

子供の場合はこうした契約事項に関わる責任能力が無いため、大
人(親と学校の運営者)が契約を行い、双方が履行をするわけで
す。このため退学や転校を即すための校則があり、これらを踏ま
えて運用されているはずです。ですので子供が何を考えて何をし
ようとも全く関係なく、大人同士で決めた契約に関して大人同士
で履行するだけです。

また、学校内の小グループであっても、学校が責任を持たないと
行けませんから、学校が認めた集団だけが真のグループとなりま
す。部活や委員会ですね。顧問を設置し、運営管理する責任があ
ります。

通常の会合ではメンバ間の諍いは歓迎しません。そのためトラブ
ルの原因となる物事は予め禁止事項として定め、現場の管理者が
監視をすることになります。また人を集める会合では安全の管理、
健康の管理が前提となります。勿論法令の遵守も。いじめが問題
となるのは、メンバの安全管理、健康管理を現場の管理者(担任)
が充分に見ておらず、学校側が責任を果たせなかったという点で
す。苛めを行う子供も、苛められる子供も共に責任能力は無いと
して親と学校の間で管理上の問題を問うているわけです。

学校は教育機関であり、子供の学力向上を任務として対価を親に
支払わせているんです。こどもの成績が悪いのは本来は学校側の
責任です。しかし、一般に子供の時期は知能の発達に個体差があ
るため学校側の責任を追及するのが難しいわけです。そのため、
安全管理(子供がけがをした)、健康管理(子供がうつ病になっ
た)など管理上の責任を問える時だけ大人は学校と争います。

子供が子供の考えでどんなに勝手に線を引こうとも、全く関係な
いと言う事です。私が良い事・悪い事は子供の時だけのしつけで
あり、大人に成ったら使えないと(他の回答で新社会人の方には
とくに)良く話しますが、ここが重要だからです。

「道義的な解釈がどうであろうと、責が誰にもなければ、改善も
 補償もされない。責任が正しく配分されていない組織には参加
 してはいけない。それを確認せずに参加した場合は自己責任で
 自分の身を自分で守らなければならない」

と言うのが大人の社会でしょう。

例えば、ハロウェインのイベントで皆が集まったとき、このグル
ープの安全管理・健康管理をする現場責任者が配置されていなけ
れば、非常に危険であると言う事です。人が集まったときの事故
や傷病率は非常に高いです。五分五分の賭けだと思いましょう。
これまで大丈夫だったのは、ライフセーバーが居たり、先生がみ
ていたり、何らかの現場管理者がいて守っていただけです。この
場合の事件発生率は物凄い下がります。地獄と天国くらいの違い
です。自分の力で安全が確保できていたのではないのです。

しかし、
一般の人が自己責任で回避できるトラブルは殆どありません。

仲間外れに関してですが、
仲良くするのは良い事だというのは大人が子供のしつけに使う言
葉です。大人の社会ではグループなどの会合は先ほどの体をとっ
ており、仲間はずれに成りそうな人はそもそも入会できません。
入会審査が殆どない会合ほど危険な会合は無いと言う事です。
(このため公立の学校より私立の学校を選ぶ親も多い)

この参加の審査(面談や面接)を行う人が採用に関して責をもっ
ており、過去の退会者データや問題事象から類推し、長く続かな
いと判断した人はグループへ参加させないんです。そしてこの人
の判断(採用のプロ)を信用する。ここで受かっている以上、現
場で問題が出た時は現場管理者の責任として責を問えるんです。

ただし、
運営側が行うサポートは決まっており、予め定義されたもの以上
を行いません。そのサポートでやっていけない人は退会するよう
なルールになっているのが普通でしょう。

この社会では土地やサービス、グループ(会合)に関して必ず管
理が行われています。管理が行われていない場所は非常に危険で
あり、近寄るべきではありません(SNSサイトも同様であり、
ある種の管理がされている。最近は管理がずさんであると批判が
多く、法が改正されている)

以上の定義から言うと、学校への入学に関しては「うちの子は学
校側には手間をかけさせず、充分に学校生活が出来ます」と学校
側へ保障しているわけです。そのため入学が許可されています。
障害を持っている子供などが入学を拒否されるのはこういったド
ライな話からです。大人は子供を思いやっているんだよね?等と
言う論法で子供が戦っても意味が無いんです。

苛めに関しての問題は他にもあります。
学校側は管理責任を果たしていると主張するからです。
これは事件化したときに検証されます。
つまり手遅れになりやすいんです。

学校は交友関係で生じる不仲に関しては全く関与しません。
「うちの子は大丈夫です」と親が保証している以上は、学校側が
「無理みたいですよ?」とは言いづらいわけです。「違います。
ちょっと落ち込んでいるんです。そう言う時くらいあるでしょ?
大丈夫立ち直りますから」と親が退学や転校を勧められるのを予
感して頑張るわけです。このせいで子供に無理が生じて潰れると
いうことがあります。子供が潰れる前に学校と親は転校または退
学を選択するべきなんです。

「苛めは悪い事だよ。俺には責が無いからなんもせんけどね?」

と言うのが一般の論法であり、どんなに良いか悪いかを議論して
も誰も何もしないんですよ。これは安全管理、健康管理、学力向
上の疎外とならなければ学校も関与しません。責が無いからです。

「勉強するのは良い事ですよね?だから入学させてください」

と頼んで受かる大学があればいいんですけどね。同じ論法で働く
事は良い事ですよね? とやって入社させてくれる会社があれば
儲けものですね。上手くいく戦法には思えません。それと同様に
これは悪い事ですよね? とやって誰かを止めてくれと言っても
無駄なんです。良い悪いではダメです。責任の所在に関して敏感
であることです。

「学校側には学力を向上させる責任がある。しかし、生徒間のも
 めごとが継続的(ここが重要)に行われており、当事者もクラ
 スメートも授業に集中できない状況になっている。管理者であ
 る担任は何故改善しないのか?」

と言う話を親が学校の責任者へ申し入れるというのが筋です。
昔苛めっこと戦っていた時、このルートで決着がついたことがあ
ります。実に強力です。

良い事・悪い事は自分の行動を選択するための道義的な動機でし
かなく、他者を制約するための論法には使えないんです。
いままで大人に悪い事だと言われて制約されてきたため、大人に
なってもそれが他人に使えると思い込んでいるだけです。

「良い事・悪い事というのは大人が未成年を対象にしてのみ
 使用できる指導権限であり、成人に対しては使えない。
 成人に関しては契約の履行しかない」

では友人の様なグループは誰が管理するのか?
友達に関しては(子供が未成年ならば)親が相手の親と相談し、
友人関係を継続するべきかを判断します。親同士で約束をして、
契約の代わりにするのが通例です。友達が出来たら親に紹介する
と言う事後処理もあります。

昔は、いいなずけ(婚約者)、乳兄弟などもありました。

大人が契約していない状況で友人を作るというのは大変危険であ
り、難しいと言う事です。

では子供同士で作った仲間グループとは何なのか?

それはグループではありません。
そこに契約が無いからです。

「え? 俺、仲間外れになってるんじゃなくて、
 仲間になってなかったの? じゃあ、どうして今まで・・・
 え? 迷惑してた? 言いづらかった?
 みんなの方が優しかっただけ・・・酷い。悲しすぎる」

こう言う事が普通に起きると言う事です。

では大人が関与している正式な友人グループは?
これが部活動などです。ちゃんと責任者を配置しているはずです。
そして親と学校(大人同士の)契約の中で大人が管理をしている
わけです。

つまり質問者さんは苦情を言う先が無い内容で困ってしまい、さ
らに責が無い回答者にぶつけているんですよ。良い事、悪い事論
は面白がられるだけであり、誰も責任を取らないんです。
早めに契約と責任論に切り替える事をお勧めします。

社会ではドライなほど綺麗(最初から入会させない)に線が引け
ております。

以上、ご参考になれば。
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仲間はずれは良い、悪いではなく、致し方のないことだと思います。


その線引きは、人の迷惑行為や行き過ぎた行為をどこまで許容できるかの個人個人の懐の広さにもよりますし、優しさにも寄るのだと。

他者に対し、とても厳しい人が居ますし、寛容な人もいます。
だから、あなたがいうように真っ二つになにが何でも分けたいという方が無理なのだと。

やはり、仲間はずれにする側、される側、双方共に仕方がない理由があると思うので、とてもこれは難しい質問だと思いますよ。
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まあ、許される仲間はずれというよりは相容れない棲み分けってことに落ち着いた方がいいと思います。

何かを排除することを肯定的に捉えても結果的にとんでもない事件に結びついた時に仲間はずれをしたことを後悔する人がいたとしたらそもそも線引きって飲んだのかって思いませんか。それにどんな環境で『仲間はずれ』が起こるかでもかなり違いますね。前科者をずっと仲間はずれにするコミュニティもあれば、宗教が違うからと仲間はずれにすることもある。パートの職場で、ほんの些細なことで仲間はずれが起こり職場に不利益を与えた場合に、仲間はずれにしたことが一つの悪事として認定されたりしたときは、その線引き自体がした方の主観でも決まるだろうし、社会的にそれが曝け出された時に、避難されたりもするわけです。私たちが社会で経験する仲間はずれは異質なものを排除するってことが多いのかなって思います。それが良いことって言えるのかなって疑問が残ります。海外でも仲間はずれありますよ。結構すごいですけど。
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個人的な集まりなら線引きは自由。

ただし仲間外れされても気にしない人もいます。個人的な集まりなら線引きは自由だと思いますが、公的な集まり国の行事(学校行事や会社の行事もふくむ)での仲間外れはいけないと思います。そこの線引きがわからない人ほど虐めや無視するのかなと思います。学生の頃、同じクラスでも興味のない人なら、無視されても何ら困りませんでしたが、そうゆう奴が自分都合で話しかけてきても、まともに相手しないですよ。村八分なんて、ど田舎カッペのすることで人口増えて都市化するとそうゆう奴等が淘汰されるのは世の常です。
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線引きはその国によって違います。


それは文化や歴史と密接にかかわっています。
その線は、すなわち「その国の法律」です。

特に刑法です。

刑事罰は、すなわち相手に対する制限であり、当然の権利をうばう仲間外れそのものです。

刑事罰は、原則「禁止事項」から成り立っています。

つまり、その集団で決めた禁止事項に違反した時に仲間外れは正当化されます。ただし、その刑罰そのものには、重さ・軽さという量刑の概念があります。
死刑から執行猶予まで。

われわれ人間はこの地球上にいる限りその存在する場所の規範・法律に準拠を求められます。それは仮想空間でさえも逃げることができません。

民主主義は、その規範を変更する手続きのしくみを構成員が原則持っています。

多数派の意見が採用で少数派は不満を持つでしょう。
その少数派は多様であり、少数派ごとに集まり全体の分断が進んでもその少数のグループ内でのまた多様化が進む。人が誰一人同じ要素で構成されていないため、とどのつまりは実は誰一人同じ考えで生きていない特異点であることの証明に行きつくわけですが。

その特異点たる「個」がグループを形成する意思があるか、それとも個でいつづけると望むか。

いつの世も少数派は存在しどのようなコミュニティからも少数派はきえない動的な形態である。

そしていつのときも少数派は多数派を凌駕する暴力を内在する傾向にある。
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悪い事です

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嫌いな奴は嫌いで、良いんですよ!!



偽善者が昔、イジメられていたからと大人になって権威を持つとイジメを強烈に批判する学者や有識者において、何でもかんでも正義だと言って受け入れててはロシアの偽旗作戦までも受け入れてしまう事になります。 

なので、嫌いな奴は嫌いで、良いんですよ!! 他人が決める事ではないのですよ。
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結論から言うと、仲間外れをする集団は損をします。



犯罪者は貧困、家庭環境など社会的要因で犯罪を犯します。
どんなに刑を厳罰化しても犯罪率は低下しません。
彼らを仲間と捉え、なぜそうなってしまったのか、
そうならない為に何が不足していたのか、共感し、福祉を充実させ、
犯罪に至る原因を取り除く事で犯罪率は低下します。

一般的な集団にしても、同様です。
体力的に劣る者、容姿や学力、性格、貧困、格差、障害、民族、人種…
あらゆる要因で人は人を差別しますが、
それらを容認できない社会は殺人、紛争、テロ、戦争など、
より解決困難な問題を引き起してきました。

彼らを仲間ととらえ、受け入れる心を養う事で人間的にも社会的にも成長する事ができるのです。

>イジメは常に多数派によって少数派に対して行われる

例外は多いです。
インドのカースト制など人種・貧富の差で少数が多数を凌辱する場合
権力者が多数派を指導してターゲットを凌辱する場合
(クラスのいじめでもこういう事が起こりますよね)
しかし、こういった関係は時間の経過で容易に逆転します。
革命や、社会体制の変革、人々の思想の変化など
身近なパターンで言えば、
いじめられていた側が社会人になったら上司やクライアントになった
もしくは、相手が同じ会社の多数派になり、自分が少数派になった等です。

「情けは人の為ならず」(情けは人の為でなく、自分の為である)
と言いますが、まさに人間関係こそこれに尽きます。
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不快にさせるかどうかじゃないですよ。

。。

本人が頭がおかしいこと、精神のおかしいことを
認識しているか?どうかですよ。。。。

言った、言い返されたを理解出来てるか?
どうか?では、大きく異なります。

よは、勉強とかの話とかでもなく、周りが理解出来ていることを理解しない人。
もちろん難しいと言う人もいるでしょうが
それならまだ良いです。理解しようとしているので。。。

けど、難しいも何もなく、説明しているのに
ただただ分からない人は、精神いかれていると
思いますよ。

多数派とかも少し違うかな。。。
合わす合わさないとかでもなく、周りが認識、理解出来る話を理解できないイカれた人ですね。
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この回答へのお礼

精神云々ではなく、理解力が乏しい人、話を共有できない人、頭の弱い人ということですかね。相手がそういう人なら仲間外れにしても良いという回答ですね。

お礼日時:2022/10/31 04:50

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