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No.3
- 回答日時:
孫引きで恐縮ですが(またご質問の投稿からかなり時間が経っているので、今更とも思いますが)、村井淳志著『勘定奉行 荻原重秀の生涯 -新井白石が嫉妬した天才経済官僚』集英社新書によると、太宰春台によるとされる『山王外記』に、「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし。
今、鋳するところの銅銭、悪薄といえどもなお、紙鈔に勝る。これ遂行すべし」と見えるそうです。文言がちょっと異なるようですが、これですか? ご質問の文章が記述された文書が別にあるのかもしれませんが。
村井氏の本を読むと、荻原重秀は、佐渡金山の中興、貨幣改鋳とわりに一貫性があるようで、面白い人物ですね。
No.2
- 回答日時:
この時代、硬貨の発行は幕府の専決で絶対量が不足でした。
このため各藩では独自に藩札という紙幣を発行していました。硬貨用の金属の産出も枯渇状態であらたに発行するには既存の硬貨を原料に金銀などの含有率を下げて硬貨を増やすしか方法がありませんでした。
幕府としては紙幣の発行は避けたかったようです。
従って庶民は手形という制度を考え、いわば私造の紙幣で経済活動を行ったのです。
信用が経済の根幹を支えるとい考えが官民ともに広まった証左といえましょう。
庶民階級では節季払いや年払いなど「ツケ」としてまとめて支払いをする事で通貨不足に対処しました。
どの文献に書いてあるのか?
ありがとうございます。荻原重秀のやったこと、その結果については分かるのですが、「たとえ瓦礫のごときものなりとも……」の言葉がどの文献に出ているかを知りたいのです。例えば『徳川実紀』とか『折りたく柴の記』とか『翁草』とか。でも、これらには出てこないですね。本当にこのように言ったのでしょうか。それとも後の人が脚色したのでしょうか?それを知りたいのです。
No.1
- 回答日時:
(幕府の信用が有れば紙に描いたものでも瓦礫でさえもお金の力を持つものである。
)といっているワケで、逆に官の信用が無ければどんなに頑張っても貨幣価値が無いといゆうことですが、実際はこの貨幣改鋳は失敗だった様です。詳しくはURLをご覧下さい。参考URL:http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/edo/edo7.html
どの文献に書いてあるのか?
ありがとうございます。荻原重秀のやったこと、その結果については分かるのですが、「たとえ瓦礫のごときものなりとも……」の言葉がどの文献に出ているかを知りたいのです。例えば『徳川実紀』とか『折りたく柴の記』とか『翁草』とか。でも、これらには出てこないですね。本当にこのように言ったのでしょうか。それとも後の人が脚色したのでしょうか?それを知りたいのです。
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