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合わない人や嫌ってる人と無理して仲良くするより、好意的な人や自分を受け入れてる人と仲良くした方がいいですよね?

A 回答 (6件)

自分の成長を考えなければそれでも良いですが、成長する自分を


好きであるならば努力はすべきです。全ての出会いは練習である
と捉え、途中で諦めたとしても新しい発見(進歩)があればそれ
で良しとする。それまでは頑張ってみるというのが妥協点だと思
います。そうしませんと何時までも子供の頃の自分と変わらない
事になります。また、自分以外の人も努力をして成長しているわ
けですから、どこかで年下の人に子ども扱いされるときが来るで
しょう。そうなりますと生きていて惨めですよ。

以下は長いので興味があればお読みください。

よくある「良いですか?どう判断すればいいのですか?」的な話
の根幹にあるもの。ある種の法則みたいなモノの話をします。

まずはご質問の内容から入っていきます。

「いくらなんでも誰とでも仲良くと言うのは無理に思えます。
 どういった線を引く物なんですか?」

「あなたの努力を見て『これじゃ俺でも駄目だわ』と周囲の人
 も思うはずですよ。その時には周囲の人は仕方ないと判断して
 あなたを労うはずです」

つまり、人付き合いは自分や相手の好き嫌いだけではなく、周囲
の人の判断も含んでいると言う事です。歩み寄りのアピールをせ
ずに自分の権利だけを主張しますと「成長していない」「幼い」
という印象を与えてしまいます。成長をしていないわけですから
、個々人の相性は関係なく、誰が相手になってもダメだと言う結
論になりますよね。そのため誰もが相手にしなくなるんです。

「他の人も自分の振る舞いを見ている」

こういった気付きを得ますと物事を考え易くなりますよ。

「第三者が見てどう感じるか?」

これを想像するのは大変難しいです。若い時は直接質問したくな
ると思います。しかし、聞きたくなるのは自分がやらかした後で
すよね。ですので聞いて何とかなるものじゃありません。感覚と
して手に入れていなければ不自由でしょう。

「どういった点に気を付ければいいですか?
 何を意識していますか?」

と聞くべきでしょう。

スマホゲームなどでメタと言う言葉が出てきます。もっと格調高
い話ではゲーム理論でしょうか。成功の鍵とか勝負の分かれ目と
言う表現でも良いでしょう。オセロでは四隅の角を取ると有利に
なりますよね。そういった知識が無いままゲームに参加をすると
勝負になりません。それと同じように私たちは「第三者が見てど
う感じるか?」と言う部分を常に意識しています。そうしません
と反社会的な方向に感覚が変質する可能性があるからです。

感覚が変質するとどうなるでしょうか?

正常な道(周囲の人に好かれて平穏にいきる)から外れ、正常な
道に戻る事に抵抗感を感じる。それらを同調圧力として捉え、こ
れに反逆する事を正義と感じてしまうんです。正義とは本来の道
に沿って正しい(正常な道=周囲の人に好かれて平穏にいきる)
なわけですから、同調圧力と感じた段階で自分は悪の道に進んで
いると言う事です。悪人とは反社会的な正義を(=反義)持つ人
を指します。正義の心を持ちながら罪を犯し、負い目を感じてい
る人は罪人であり、悪人ではありません。

「この社会には罪を犯していない悪人が多数潜んでいる」

ですので社会として裁くことは無いですが、倫理や道義的な部分、
社会性などを理由に「交友を避ける」という判断は正義として捉
えられます。誰にも相談できない状況ではやはり自分で判断する
事になりますが、その規範として道徳(特に五常=仁義礼智信)
を用いてチェックするのが基本でしょう。

「だけどみんなの感覚が間違っているってことは無いの?
 数の暴力で本当の正義を潰しているってことは無いの?」

「自然な成り行きでそうならない。自分から見て皆と思える集団
 も全体の中の小さなグループであり、それと同等の小さなグル
 ープが多数存在して生存をかけて競っているから。自分達のグ
 ループと同じ主義のグループからは助力や支援が集まる。相反
 する主義のものとは敵対する。しかし、助力や支援は無尽蔵で
 はなく、余力から行われる。グループの内部に不和の問題を抱
 える場合は余力がなくなる。そのため主義の中に不和を招く因
 子が内在している場合は淘汰される仕組みになっている。一時
 期は成立したとしても本来の力を出し切れずに競争に負ける。
 そして責任追及という仲間割れや自然崩壊をすることになる」

つまり正義の感覚から主義が生まれますが、これも万全ではなく、
別の主義と競った時に淘汰される事も在ります。皆が間違ってい
る場合は皆(小さなグループ)がまとめて滅びます。

「だったら自分ではどうにもできないの?
 自分は全然悪くないのに?
 やっぱりそうだ。社会は不条理だ。数の暴力だ」

「全体が正されるまでの間、
 個人が被害を受けるのはよくあります。
 そこで個人を救うために周囲の人で助け合い、凌ぐというのが
 普通です。しかし、誰を助けるべきかが判断されます。
 ここでは共通の概念が用いられます。
 助けるべき相手は以下の通りとなります。

 苦情や意見を言うだけでなく、批判する対象のことすら思いや
 り、最後は許し、労えるような人。

 『今の時代がどうであろうとも、私と縁が出来た貴方を誰より
  も大事にします。不満はありましたが。一緒に苦労しましょ
  う。貴方と一緒であれば気がまぎれますから。
  私は幸せですよ』

 意見の内容よりも自分と接している人の方が大事とするような
 人です。こういう姿勢を持って意見を言う人の話は聞くべき、
 助けるべきとします。そうでない人が真実や正義を語り、それ
 が事実であったとしても無視をし、無かったことにしないとい
 けないんです」

ここも良く誤解されます。
私たちは真実や事実よりも、時として自分の成長や仲間の成長を
重んじると言う事に気づかないと行けません。

「いや・・・だって、次も付き合うとなったらさ・・・
 考えちゃうじゃん。一緒に居て楽だと思う奴を選ぶさ。
 こいつは絶対成長しないと思える奴に付き合ってられないよ」

分かりやすい例を挙げましょう。

数学の勉強をしており、互いに競争をしているシーンがあったと
しましょう。この時、簡単な足し算の問題で間違えた人がいたと
しましょう。その人はたまたまだと言い訳をします。他の人もそ
うだろうと思っていました。しかし、次も間違えます。誰もが可
笑しいと思い始めました。

「こいつ・・・足し算できないんじゃ?」

そんな疑いがある中で彼は意地になり頑張りました。そして、た
またま答えがあってしまいました。勿論、あてずっぽうで当たっ
たんです。それは周囲の人にもわかりました。

「なんで? どうしてそういう目で見るの?
 これ正解なんだろ? 俺は真実を言っていて俺が正解したのは
 事実なんだ。どうして無視する? そんな不当な事をどうして
 するんだ? 許せない。事実は事実のはずだ」

勿論、正解であり事実であることは変わりません。しかし、数学
の力を高め合おうとするグループにとっては、あてずっぽうで足
し算をこなす方がショックであり、問題に感じたのです。

「俺だってたまには正解を言えるんだ。だから俺の主張も聞くべ
 きだ」

「いやなんか、たまにはって辺りでもう君の数学論は聞きたく
 ないんだが。取り合えず、俺のためにはならない」

これと同じです。道徳的な力を高め自分の成長を願う人にとって
は、たまたま正解した人の○○論を聞いても意味を感じないと言
う事です。

「ではどういう人の意見を参考にすれば良いの?」

道徳と言うのは徳を磨く道です。徳と言うのは為政者(上に立つ
もの)に求められる特質であり、要素。簡単に言うと人間的な魅
力(カリスマ)を指します。

自分よりも道徳的な魅力(性的、経済的、社会的な魅力ではない)
を持つ人の意見を参考にし、どういうった(道徳的な)判断によ
るものかも聞きつつ自分の糧とします。そうやってその力を自分
に複製をするわけです。

「あてずっぽうで正解を出そうとする奴につきあうと、自分もそ
 うなってしまうかもしれない」

これは個人個人が受ける被害であり現実的ですよね。

また、最近は推しと言う言葉があります。
一見して個人の自由を謳歌している様に見えます。
そのため自分が素敵に見えていると錯覚するでしょう。
しかし、それは錯覚です。実際の自分は何も変わっておりません。

「結局はさ。人気があって魅力的な人が推すから、推しなんだ。
 普通の人がやると偏屈? それを隠さなければ幼いとか、
 気味が悪いって思われるだけなんだよなあ」

もっとも重要なルールがあります。

「自分の魅力を増す努力をしていないのに、自分の権利を主張す
 ると周囲の人からは幼いと思われ易く、格下扱いされる。
 自分の成長を待って意見するくらいの我慢はすべき。
 それが成長に向かう最初の一方である」

となります。

自分の成長を諦めた人が何を言っても相手にされないのは仕方が
無いと言う事です。そしてそれを当然として麻痺(成長を諦めた
くせに一人前の意見を言おうとする)したとき悪人が誕生すると
言う事です。

悪人は罪を犯していないので自分は悪人でないと安心します。
しかし、悪人は罪人とは別のカテゴリです。
自らの道徳的な成長を諦めた時、悪人となるのです。
自らの道徳的な成長を諦めないでください。
そう思えばご質問の答えは自分で出せるはずです。

以上、ご参考になれば。
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もちろんですよ。


合わない人や嫌な人と一緒にいる必要ないですよ。
楽しめる人と楽しく。
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それはそうですね。


しかし、そう簡単なものじゃないのが世の中です。
自分が好き相手が自分を好いてくれる。
これだけで生活できているひとはいません。
合わないひととも付き合わなければならないかと思います。
好きではない、合わないひとともうまく付き合っていかなければならないのがこの世の中です。
好きな人だけ気が合う人とだけ付き合っていける世の中だったらいいのですが、そう簡単じゃないですからね。
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プライベートなら勿論です。

ですが仕事では合わない人、嫌いな人とも上手くやっていくスキルが必要です
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みんなと仲良くしてみんなに好かれるなど無理の一言

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なんで??

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