プロが教えるわが家の防犯対策術!

朝に起き、散歩をして、仕事に出かけ、日が沈む頃に帰宅し、読書をして、寝る。ただただ心穏やかに過ごしたい。雲を見上げて昼寝をして、のんびりとゆったりと生きたい。

心を乱すのは常に人間だ。それなら人と関わらない生活にすればいい。だが人と関わらない人生を人生と呼べるだろうか。一人で生きて人知れず死ぬ。そんな人生は「生きた」とは言えない。始めからいなかったのと同じだ。

死ぬときに「生きた」と思うために人との関わりは必要なようだ。どうせ関わるなら自分を敬い必要とする人と関わりたい。他人に敬われて必要とされる人になる必要があるということだ。

困難なことを達成し、かつ、他人の生活の助けになる人物。職業で言えば弁護士や医者だろうか。どちらも重責を担う仕事だ。

のんびりとゆったりと心穏やかに過ごしたいだけだったのに、人の命や人生を背負うストレスフルな人生に置き換わってしまった。

このように、人生とは矛盾しかない無理ゲーなのである。どのような選択をしても不満の無い選択にはならないのだ。不満に目を向ける人には不満しか目に映らない。それが人生というものだ。

意識して現状に満足する心を持つようにする。意識して悪い点ではなく良い点を見るようにする。そうすることでしか幸せな人生は歩めない。

つまりは、人生が幸せなのではない。意識して幸せなのだと思う心が幸せな人生にするのである。どのような人生もその人次第で幸せにも不幸にも感じるということだ。

幸せな人生にしたい?
それなら自己洗脳しなさい。
あなたは幸せなのだ。あなたは幸せなのだ。あなたは幸せなのだ。
これだけがあなたを幸せにする術なのだ。

人生は無理ゲー。
洗脳こそが攻略法。
そうですよね?

A 回答 (9件)

自己洗脳ぐらいでは、幸せな人生は送れないです。



幸福な人生を生きるには、多幸感を得るため外部に頼るのが最適です。
例えば、ドラッグ、アルコール、セックス、スリル、などです。
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1. お釈迦さんの二の舞ではないか?



2. 《苦(ドゥッカ:思うようにならない)》

3. 苦からの解脱。生老病死の四苦と言うが 人間の根本的生存欲 これが 煩悩であり無明だと言う(宮元啓一)。

4. 要するに いのちに差し支えのないかぎりで《生きない》。つまり 生存欲を空(シューニャター)とする。ニルワ‐ナ(涅槃)とも言うらしい。

5. ところが その《この上なくとうとい智慧のさとり》とは何か? の問いにゴータマ・ブッダは 答えない。大衆が混乱するからと。

6. けっきょく 《大化城》としてのさとりの状態をその雰囲気としてみなに味わってもらえればよい。と考えたらしい。

7. かくて 二千有余年。ぼんやりとした雰囲気で みながさとったようなまるで無明のままのような。

8. つまり:
★ 人生は無理ゲー。
洗脳こそが攻略法。
そうですよね?
☆ と言うのが ゴータマ・シッダールタ。
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心を乱すのは人間だ



( ̄~ ̄;)

ここにある人間って他人てな意味だと思うけど

他人が、わざわざ心を乱そうとしてるわけでもなく

自分自身が勝手に心を乱してるだけなんじゃないのかな?

他人と接することによって
人は人だと認識はできるけど

そない他人に心を乱されてばかりだとも思えないけどね

人生が無理ゲーだと思ってしまう根底には
自分自身で心を乱してる事実があるんじゃないかなぁ~

人生は適当・適度に楽しんだり
悩んだり!苦しんだり

幸せだけ追い求めるのは
危険だとも思いましたよ

不幸があるから幸福もある

不幸を直視できたら
幸福の感じ方も変わるはずだとも思いましたよ

洗脳ってより、沢山の事柄を知ることが
幸福と不幸とを理解させてくれるんじゃ~ないかなぁ~
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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13229356.html
はどう思いますか。
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朝に起き、散歩をして、仕事に出かけ、日が沈む頃に帰宅し、読書をして、寝る。

ただただ心穏やかに過ごしたい。雲を見上げて昼寝をして、のんびりとゆったりと生きたい。
 ↑
そんな人生、飽きると思いますが。
それに、そんな人生で、納得しますかね。



心を乱すのは常に人間だ。
  ↑
自然災害は、心を乱さないのですか。
山奥で一人生活。
地滑りで家屋倒壊。
それでも、心は乱れませんか。



それなら人と関わらない生活にすればいい。だが人と関わらない人生を人生と呼べるだろうか。一人で生きて人知れず死ぬ。そんな人生は「生きた」とは言えない。始めからいなかったのと同じだ。
死ぬときに「生きた」と思うために人との関わりは必要なようだ。どうせ関わるなら自分を敬い必要とする人と関わりたい。他人に敬われて必要とされる人になる必要があるということだ。
 ↑
金があれば、そういう人になれます。



困難なことを達成し、かつ、他人の生活の助けになる人物。職業で言えば弁護士や医者だろうか。どちらも重責を担う仕事だ。
 ↑
仕事は、必要な人がいるから成り立つのです。
仕事をしていれば、それがどんな仕事であれ、
他人の生活の助けになっています。



のんびりとゆったりと心穏やかに過ごしたいだけだったのに、人の命や人生を背負うストレスフルな人生に置き換わってしまった。
 ↑
人間は社会を作ることにより、自然の脅威から
逃れ、安全で豊かな生活を手に入れることが
できました。
その代償として、人間関係のストレスに悩まされる
ことになりました。



このように、人生とは矛盾しかない無理ゲーなのである。どのような選択をしても不満の無い選択にはならないのだ。不満に目を向ける人には不満しか目に映らない。それが人生というものだ。
 ↑
得るモノがあれば、失うモノがある
ということです。



意識して現状に満足する心を持つようにする。意識して悪い点ではなく良い点を見るようにする。そうすることでしか幸せな人生は歩めない。
つまりは、人生が幸せなのではない。意識して幸せなのだと思う心が幸せな人生にするのである。どのような人生もその人次第で幸せにも不幸にも感じるということだ。
 ↑
幸福は、我が心の中にある、という
やつですか。



幸せな人生にしたい?
それなら自己洗脳しなさい。
あなたは幸せなのだ。あなたは幸せなのだ。あなたは幸せなのだ。
これだけがあなたを幸せにする術なのだ。
人生は無理ゲー。
洗脳こそが攻略法。
そうですよね?
 ↑
極貧で、食うや食わず。
病院にも行けない。
将来性は皆無で、絶望の人生。
それでも、俺は幸せ者だ、と思い込むのは
無理ゲーだと思います。
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読みやすい、良い文章で書かれた質問だと思いました。


現状の人生の良い点を見る、それを洗脳と言うのかどうかはさておき、尤もなことだと思います。

あなたはきっと、悪くない人生を送ると思う。そんな気がしました。
良い点を見るなら、その点を大事にできる。心ある生き方が出来る。

大変参考になりました。ありがとう。
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すみません2回、回答しちゃいましたwww

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人間は思考、知恵という最大の娯楽、そして選択というものを手にしました。

選択の自由です。選択の自由ということは選択肢がある、選択できるということです。でも、その選択肢の中には、あまり満足のいかないものもあります。また、人生には遭遇というものもあります。例えば、ビジネスの選択肢があって、選んだものが良かったとしましょう。本来ならそれで終わりますが、地震、竜巻など、いわゆる自然災害によって会社が壊れたり、社員が大勢なくなったりなどがあります。遭遇というものは選択肢と違って選べません。しかし、遭遇は選択肢を連れてきます。人との出会い、色々な出来事とともに選択肢を連れてきます。嫌なこと、不運なことがあることは嬉しくはないかもしれません。でも、そのような状況を生きることができるのも私達人間に与えられた自由のひとつなのかもしれません。洗脳という単純なことで幸せな人生にはなりません。少なくとも私はそう思います。幸せとはなったり、掴むものでもない、探すのです。何を幸せと思うかが大事だと思います。
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人間は思考、知恵という最大の娯楽、そして選択というものを手にしました。

選択の自由です。選択の自由ということは選択肢がある、選択できるということです。でも、その選択肢の中には、あまり満足のいかないものもあります。また、人生には遭遇というものもあります。例えば、ビジネスの選択肢があって、選んだものが良かったとしましょう。本来ならそれで終わりますが、地震、竜巻など、いわゆる自然災害によって会社が壊れたり、社員が大勢なくなったりなどがあります。遭遇というものは選択肢と違って選べません。しかし、遭遇は選択肢を連れてきます。人との出会い、色々な出来事とともに選択肢を連れてきます。嫌なこと、不運なことがあることは嬉しくはないかもしれません。でも、そのような状況を生きることができるのも私達人間に与えられた自由のひとつなのかもしれません。洗脳という単純なことで幸せな人生にはなりません。少なくとも私はそう思います。幸せとはなったり、掴むものでもない、探すのです。何を幸せと思うかが大事だと思います。
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