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鎌倉仏教はほとんど天台宗から派生しているそうですが、真言宗からは、なぜそれと同じくらい色々な後継ぎ宗派が生まれなかったんでしょうか?

A 回答 (2件)

仏教事典だと、



天台宗(台密では、覚超の系統の川流、皇慶の系統の谷流など十三の流派に、真言宗(東密)では、聖宝の系統の小野流、益信の系統の広沢流など十二の流派に分かれた。

真言宗は現在では各寺院を拠点とした派閥に分かれているが、その教学の違いによって古義真言と新義真言の二つに分けられる。
古義真言は、金剛峯寺・仁和寺・東寺・大覚寺・勧修寺・随心院・醍醐寺・泉涌寺派の八派、新義真言は、京都智積院を本山とする智山派と奈良長谷寺を本山とする豊山派に分かれた。

大正期には、真言宗高野山派に属する木原覚恵が、新後生と呼ばれる秘密念仏集団や修験道の宗教文化に影響を受けた、独特の宗教活動を開始(大正十年〈一九一二〉)した。覚恵の法統は昭和初期より戦後にかけて分派し、中山身語正宗、光明念仏身語聖宗、一切宗などの、身語正系と呼ばれる教団群を形成した。
真如苑は昭和十一年に開教し、真言宗醍醐派に所属するなどしたが、戦後に現在の名称と、『大般涅槃経』をよりどころとし霊能者の指導を行う教義・実践体系を確立してから、首都圏を中心に教勢を急伸させた。

後継ぎ? の意味が気になりますが、天台の叡山は仏教を学び修行するところでもあったので、その志を持った者が、途中で、別の方向性を志して、天台系ではない、思想というか信仰や教説に進んだということもあるでしょう。 それは、もう後継ぎではないでしょう。
「真言宗からは、なぜ天台宗と同じくらい色々」の回答画像2
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、ありがとうございます!お二方とも、ありがとうございました!

お礼日時:2022/12/05 22:09

真言宗は、後の鎌倉仏教の始祖となる人材を育てなかったからです。

広く浅く学ぶ天台宗に比べて真言宗は狭く深く学ぶ性格があったので真言宗を学ぶだけで人生が尽きてしまった。
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