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お世話になっています。

司馬遷の「史記」に「秦始皇帝陵」の「地下宮殿」のことは触れられているのに、「兵馬俑」のことに一切触れられていないことについて、不思議に思い色々調べたりしていたのですが、、、

発掘された「(いわゆる)兵馬俑」は、当然、年代測定も行われたと思うのですが、その結果を探しきれませんでした。

ご存知の方がいらっしゃいましたらお願いします。

(年代測定の結果、始皇帝の没年に対して100年ぐらいの幅が出てきたならば、司馬遷の死後に「兵馬俑」が作られた可能性が出てくるわけで、司馬遷の「史記」に書かれていないことの説明がつく、と思いまして。。。)

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A 回答 (2件)

一昨年の中国のニュースを翻訳にかけました。


読みにくいと思いますがご了承ください。

【要旨:一体の兵士傭に「辛卯(BC210)」と彫ってあるのを見つけた学者が、ついにそれを証明したという記事です。】

人々がこの“世界の第8の大きい奇観”のために舌を鳴らしたり言い立てたり驚嘆する時、かつて元に戻す千年の古い死体ため“学者の神が探る”の中国の刑事警察の学院の趙成文教授だと誉められて大胆に兵馬俑のを解読して燃やして時間と製作の謎をつくる。
新華ネットの瀋陽は4月24日にニュース(記者の範春生)は85件の(グループ)の秦の始皇帝陵兵馬俑の車隊を積載して中国の東北の遼寧省博物館に入って、“秦の兵馬俑全国各地へのリンク”の1は瀋陽まで(へ)すぐ用意して関心を持たれる。
人々がこの“世界の第8の大きい奇観”のために舌を鳴らしたり言い立てたり驚嘆する時、かつて元に戻す千年の古い死体ため“学者の神が探る”の中国の刑事警察の学院の趙成文教授だと誉められて大胆に兵馬俑のを解読して燃やして時間と製作の謎をつくる。
60歳の趙成文は中国の刑事警察の学院の刑事の技術の教授で、専門技術の1級の警監、有名な跡は、形の容貌の専門家を検査する。
2001年から、趙成文は次々と南の盛んな王妃の遺体、長沙の馬王のために女性の死体などの千年の古い死体を積み上げて元に戻して、原状に復して彼女たちの美しい顔かたち、受けて広範に関心を持つ。
今度が遼寧の展示する展示物に来るのは皆秦の始皇帝陵兵馬俑博物館の考古が30年来の逸品を発掘するので、その数量の数、品種の全体は、高さに値して、毎回の兵馬俑の展之最を称することができる。
調査によると、兵馬俑は発掘から、人々はずっと絶えず兵馬俑の神秘を探求して、兵馬俑の時間の謎、空間の謎、造型の技術の謎、構造の謎、色の謎などを探して、国内外の専門家の学者はこのために数百編の関連兵馬俑の実地調査報告を発表してと論文を研究する。
趙成文は秦陵兵馬俑の謎に対してずっとわりに高い興味を維持していた。
趙成文はかつて13回実際に秦始皇兵馬俑を見たことがあった。
一回ごとに、彼はすべて1軒の果実を摘みとる果物農家のようで、熟している果実が取ることを発見する。
あれらの果実、彼は兵馬俑の身長、顔立ち、服装、靴と車馬の痕跡、拇印、足跡、文字、ツールの痕跡、編物の痕跡の行った考察の結果について。
この時に、彼は相前後して大量の陶人をつくる手の指紋、手の紋様印、しびれるわらじ印を発見して、および麻袋、皮ひも、竹のぼうっとしているツールの痕跡。
謎を理解するため、趙成文は1人の小学生のようで、いつも兵馬俑の博物館館長の袁と仲の1および西安半坡博物館の研究者に教えてもらう。
更に多くの時、彼と兵の土偶、馬の土偶はお相手をして、一心不乱に調べて写真を撮って、あとで大量の書籍の資料を閲覧して、成果はすこぶる豊かだ。
趙成文は、一回自分で3番の穴まで(へ)考察して、1つの兵の土偶の袖口のの外で側の意外な思い(事故)は“辛卯”の2つの刻字を発見したと言う。
“辛卯”は1つの紀年だ;別の一回の考察の中で、彼はまた刻んでつきあう“辛卯”の2つの字の兵の土偶の袖口があることを発見して、ひとつのわりに大きい破損があって、しかも痕跡を漕がれることがいる。
彼は判断して、2度の見る“辛卯”の刻字は同一の地方にある。
“‘辛卯’は十干十二支で、旧暦の年代で、ここは紀元前2百10年指すのだ。”
趙成文は記者に対して言うことに自信を持つ。
彼は、これは秦始皇が破裂する年のタグの年代を運転するのだとまた思っている。
そのために秦陵兵馬俑が紀元前に2百10年制を燃やすことを判定する。
土偶が陥れる中に残すしびれるわらじ印によって、その時人は夏秋の季節にやっとわらじを着て、そのためにいっそう予測して、兵馬俑が秦始皇が運転して破裂したはずの後の秋は制のを燃やすことを始めて、燃やすのが兵馬俑をつくる秦始皇が臨終になるのな前の天子の命令。
このと同時に、趙成文はまた兵馬俑のを解析して燃やして技術の謎をつくる。
兵馬俑はその時の真人の真馬をモデルにして、その規模は天然自然の物より勝る造型美術と空前絶後で、しかし困惑させたのは:兵馬俑のあの百キログラムの重いすりつぶしたものが悪いのは結局どのように立ち上がったのです?
泥人形、からあぶり焼くまで(へ)乾かして、輸送して、最後にどのように成型したのです?
趙成文は10数年の考察によって出して、“兵馬俑の腹の中に主体として支える糠の皮内の型の袋がある”、あめの皮はその時最もよく物をふさぐので、1時(点)がまだあるのは2千数年前の兵馬俑が工程を作ってとても科学性を備えるので、それによって兵馬俑に泥人形、からあぶり焼くまで(へ)乾かして、輸送させて、首尾一貫していて、その時の中国人の知恵を明らかに示した。

参考URL:http://www.dzwww.com/xinwen/jhsdxw/200304240765. …
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この回答へのお礼

貴重な記事をご紹介いただきましてありがとうございます。

BC210年とは秦始皇帝が没した年とされる年の刻印ですか!
細かい意味がところどころ分からないのですが、この発見について色々調べてみます。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/27 08:22

講談社現代新書『秦始皇帝陵の謎』に発見からの様子が詳しく書かれていますが、その中には2200年前の遺跡と書かれています。



また、その中には 始皇帝陵地下宮について記録が残る資料として司馬遷の『史記・秦始皇本紀』にその内容が示されていることも書いてあります。

ご参考になれば幸いですが・・・・・・。
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この回答へのお礼

遅くなりまして、ありがとうございます。

ご紹介頂いた新書は、「岳南/著 朱建栄/監訳」でしょうか?
本屋さんに行ってみます。

司馬遷「史記」には「地下宮殿」については記述があるのですが、なぜか「秦始皇帝陵」の東1.5kmの位置する「兵馬俑」の記述がないんですよねぇ。。。

もっと言うと「地下宮殿」は記述があるのに、その上(地上部分)の「墳丘」部分の記述が全くないんですよねぇ。。。

申し訳ございませんが、もう少し締め切らずにいます。

お礼日時:2005/04/17 01:52

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Q兵馬俑について

先日テレビで始皇帝のスペシャル番組を見たのですが
その時、兵馬俑は等身大だと紹介されたのですが古代の人が身長2メートル近くもあるとも思えませんし何故、兵馬俑が等身大だと認められたのか教えて下さい。

よろしくお願いします
 

Aベストアンサー

すみません、#2です。

書き込んだ後で、兵馬俑に関する書籍がどっかにあったはず・・・と、書架をひっくりかえしていて、やっと見つけました。
先ず、兵馬俑は実際の人物よりも一割がた拡張して作成されているのだそうです。そして、秦代遺跡から発掘された人骨を調査したところ、高いもので185cm弱、平均して170cmとの事ですので、兵馬俑の大きさは、然程間違いでも無いのではないと思いますよ。

Q始皇帝陵(地下宮殿)は、なぜ発掘されないのですか?

秦の始皇帝の陵墓ですが、地下宮殿というのが一つの世界史上の謎の一つになっていますが、どうやらソナー検査などでおおよその場所と規模は判明しているそうです。しかし中国政府によるとあと数十年は発掘しないということのようですが、それは何故でしょうか?

1.水銀の海などがあり、有毒ガスが充満していて危険なため。(工事危険説)
2.弓矢が飛び出してきたり等、様々な仕掛けがあり危険なため。(工事危険説)
3.現代の発掘技術では下手に発掘すると、貴重な遺産を破壊してしまう可能性があるため。(遺産保護説)
4.人類史上計り知れない発掘になるので、観光化など受け入れ態勢が進んでからにしたい(政治的理由説)
5.エジプトのピラミッドと同じで、人類が知ってはいけない秘密が隠されているため(トンデモ説)

こちらのページを参考にさせて頂きました。
http://home.ktroad.jp/kazumi-t/xian/shikouteiryo.html

実際のところ、どの説が有力でしょうか?

Aベストアンサー

1 水銀や有毒ガスはトンネル工事などでも普通にあることなので現代の技術ではそれほど危険だとは思えません
2 こちらも2,200年前の弓矢などの仕掛けが動くとは思えないし 落とし穴的な仕掛けはX調査などでわかるので危険はないと思います
3 これはどんな発掘でもありますよね 貴重な遺産を壊さないために温度や湿度を管理してあえて手をつけず後世に残してたりしてますものね
4 これは絶対あると思う発掘には多額の資金がかかり しかも絶対観光化をすれば外貨を稼げる それなりの体制を作って本格的に発掘しようと思うのは自然な考えだと思います
5 ゥ──σ(・´ω・`;)──ン これはないかな?w

http://historia334.web.fc2.com/history/alacarte/shiki.html

兵馬俑だけでも発掘に数十年かかると言われているのに これ以上手を広げられないというのが本当のところじゃないでしょうか?端から順々にやっていくから待っててって感じかな?

Q兵馬俑の製作年代について

お世話になっています。

司馬遷の「史記」に「秦始皇帝陵」の「地下宮殿」のことは触れられているのに、「兵馬俑」のことに一切触れられていないことについて、不思議に思い色々調べたりしていたのですが、、、

発掘された「(いわゆる)兵馬俑」は、当然、年代測定も行われたと思うのですが、その結果を探しきれませんでした。

ご存知の方がいらっしゃいましたらお願いします。

(年代測定の結果、始皇帝の没年に対して100年ぐらいの幅が出てきたならば、司馬遷の死後に「兵馬俑」が作られた可能性が出てくるわけで、司馬遷の「史記」に書かれていないことの説明がつく、と思いまして。。。)

Aベストアンサー

一昨年の中国のニュースを翻訳にかけました。
読みにくいと思いますがご了承ください。

【要旨:一体の兵士傭に「辛卯(BC210)」と彫ってあるのを見つけた学者が、ついにそれを証明したという記事です。】

人々がこの“世界の第8の大きい奇観”のために舌を鳴らしたり言い立てたり驚嘆する時、かつて元に戻す千年の古い死体ため“学者の神が探る”の中国の刑事警察の学院の趙成文教授だと誉められて大胆に兵馬俑のを解読して燃やして時間と製作の謎をつくる。
新華ネットの瀋陽は4月24日にニュース(記者の範春生)は85件の(グループ)の秦の始皇帝陵兵馬俑の車隊を積載して中国の東北の遼寧省博物館に入って、“秦の兵馬俑全国各地へのリンク”の1は瀋陽まで(へ)すぐ用意して関心を持たれる。
人々がこの“世界の第8の大きい奇観”のために舌を鳴らしたり言い立てたり驚嘆する時、かつて元に戻す千年の古い死体ため“学者の神が探る”の中国の刑事警察の学院の趙成文教授だと誉められて大胆に兵馬俑のを解読して燃やして時間と製作の謎をつくる。
60歳の趙成文は中国の刑事警察の学院の刑事の技術の教授で、専門技術の1級の警監、有名な跡は、形の容貌の専門家を検査する。
2001年から、趙成文は次々と南の盛んな王妃の遺体、長沙の馬王のために女性の死体などの千年の古い死体を積み上げて元に戻して、原状に復して彼女たちの美しい顔かたち、受けて広範に関心を持つ。
今度が遼寧の展示する展示物に来るのは皆秦の始皇帝陵兵馬俑博物館の考古が30年来の逸品を発掘するので、その数量の数、品種の全体は、高さに値して、毎回の兵馬俑の展之最を称することができる。
調査によると、兵馬俑は発掘から、人々はずっと絶えず兵馬俑の神秘を探求して、兵馬俑の時間の謎、空間の謎、造型の技術の謎、構造の謎、色の謎などを探して、国内外の専門家の学者はこのために数百編の関連兵馬俑の実地調査報告を発表してと論文を研究する。
趙成文は秦陵兵馬俑の謎に対してずっとわりに高い興味を維持していた。
趙成文はかつて13回実際に秦始皇兵馬俑を見たことがあった。
一回ごとに、彼はすべて1軒の果実を摘みとる果物農家のようで、熟している果実が取ることを発見する。
あれらの果実、彼は兵馬俑の身長、顔立ち、服装、靴と車馬の痕跡、拇印、足跡、文字、ツールの痕跡、編物の痕跡の行った考察の結果について。
この時に、彼は相前後して大量の陶人をつくる手の指紋、手の紋様印、しびれるわらじ印を発見して、および麻袋、皮ひも、竹のぼうっとしているツールの痕跡。
謎を理解するため、趙成文は1人の小学生のようで、いつも兵馬俑の博物館館長の袁と仲の1および西安半坡博物館の研究者に教えてもらう。
更に多くの時、彼と兵の土偶、馬の土偶はお相手をして、一心不乱に調べて写真を撮って、あとで大量の書籍の資料を閲覧して、成果はすこぶる豊かだ。
趙成文は、一回自分で3番の穴まで(へ)考察して、1つの兵の土偶の袖口のの外で側の意外な思い(事故)は“辛卯”の2つの刻字を発見したと言う。
“辛卯”は1つの紀年だ;別の一回の考察の中で、彼はまた刻んでつきあう“辛卯”の2つの字の兵の土偶の袖口があることを発見して、ひとつのわりに大きい破損があって、しかも痕跡を漕がれることがいる。
彼は判断して、2度の見る“辛卯”の刻字は同一の地方にある。
“‘辛卯’は十干十二支で、旧暦の年代で、ここは紀元前2百10年指すのだ。”
趙成文は記者に対して言うことに自信を持つ。
彼は、これは秦始皇が破裂する年のタグの年代を運転するのだとまた思っている。
そのために秦陵兵馬俑が紀元前に2百10年制を燃やすことを判定する。
土偶が陥れる中に残すしびれるわらじ印によって、その時人は夏秋の季節にやっとわらじを着て、そのためにいっそう予測して、兵馬俑が秦始皇が運転して破裂したはずの後の秋は制のを燃やすことを始めて、燃やすのが兵馬俑をつくる秦始皇が臨終になるのな前の天子の命令。
このと同時に、趙成文はまた兵馬俑のを解析して燃やして技術の謎をつくる。
兵馬俑はその時の真人の真馬をモデルにして、その規模は天然自然の物より勝る造型美術と空前絶後で、しかし困惑させたのは:兵馬俑のあの百キログラムの重いすりつぶしたものが悪いのは結局どのように立ち上がったのです?
泥人形、からあぶり焼くまで(へ)乾かして、輸送して、最後にどのように成型したのです?
趙成文は10数年の考察によって出して、“兵馬俑の腹の中に主体として支える糠の皮内の型の袋がある”、あめの皮はその時最もよく物をふさぐので、1時(点)がまだあるのは2千数年前の兵馬俑が工程を作ってとても科学性を備えるので、それによって兵馬俑に泥人形、からあぶり焼くまで(へ)乾かして、輸送させて、首尾一貫していて、その時の中国人の知恵を明らかに示した。

参考URL:http://www.dzwww.com/xinwen/jhsdxw/200304240765.htm

一昨年の中国のニュースを翻訳にかけました。
読みにくいと思いますがご了承ください。

【要旨:一体の兵士傭に「辛卯(BC210)」と彫ってあるのを見つけた学者が、ついにそれを証明したという記事です。】

人々がこの“世界の第8の大きい奇観”のために舌を鳴らしたり言い立てたり驚嘆する時、かつて元に戻す千年の古い死体ため“学者の神が探る”の中国の刑事警察の学院の趙成文教授だと誉められて大胆に兵馬俑のを解読して燃やして時間と製作の謎をつくる。
新華ネットの瀋陽は4月24日にニュース(記者の範...続きを読む

Q始皇帝陵はなぜ発掘作業をしないのですか??

本日、NHKで中国皇帝に関する番組があり、ふと気になりました。
なぜでしょうか??
歴史的に非常に価値のある埋葬品類がたくさん発見できると思うのですが・・・
あまりに大きすぎて、費用がかかりすぎるとかですかね??
どなたかわかる方いらっしゃいますか??

Aベストアンサー

現在、中国皇帝陵で、発掘らしきことを、中国国家がしたのは、1カ所だけと聞いております。そのときの発掘経験から、当面、他の陵の発掘は、する予定が無いと聞いております。世界遺産というべき、一三陵も、観光できるのは、多分1カ所のみでしょう。発掘時に、すばらしい色彩だったものが、みるみる茶褐色に変色し、彩色が、保存できないそうです。また、水銀を多用して、彩色をしているところは、一瞬で、黒く変色するようです。
現状、発掘に、適応する保存方法が、具体的に、見つかっていない以上、当面の発掘は、しないと思われます。

費用の面だけですと、オリンピックバブルですし、チベットガス田、東シナ海ガス田など、充分まかなえますが、発掘したものを、安定保存し、分析、解明する技術の不足が、主な原因と推測します。大陸なので、土中は、何世代もの、重複して、埋蔵され、遺産、遺物が、複雑に、埋まっており、事前に、保存方法も含め、充分なケアが出来る発掘体制でないと、無理だと、思われますね。

今しばらく、お待ち願うより、仕方ないと思われます。

一応、現地には、数回行きましたが、同じような、通訳の説明でした。

現在、中国皇帝陵で、発掘らしきことを、中国国家がしたのは、1カ所だけと聞いております。そのときの発掘経験から、当面、他の陵の発掘は、する予定が無いと聞いております。世界遺産というべき、一三陵も、観光できるのは、多分1カ所のみでしょう。発掘時に、すばらしい色彩だったものが、みるみる茶褐色に変色し、彩色が、保存できないそうです。また、水銀を多用して、彩色をしているところは、一瞬で、黒く変色するようです。
現状、発掘に、適応する保存方法が、具体的に、見つかっていない以上、当面の...続きを読む

Q東向きマンションの結露などについて

こんにちは。
東京都内の、駅に近くて、部屋も広くて、専有部の設備も充実した(僕にとっては満足できる)のですが、ただ東向きなのが気になる、
そんなマンションの購入を考えています。

東向きについては既に質問が立っていたりするのですが、
こちらを見る限り、
・ 朝日が入る(洗濯物が午前中に乾く)
・ 昼(昼前?)から暗くなる
・ 月が寝ながら見れる

などのポイントがあるようですが、
結露については南向きに比べてひどいのでしょうか。
そもそもマンションなので気密性が高く、結露はしやすいとは思うのですが、
それは24時間換気で対処するのでしょうが、
東向きが理由で換気で対応できないほどひどくなるものでしょうか?

その他東向きの「ここがいい!」というポイントがありましたら、
併せてご教示ください。

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

No.1の方が回答されているように、結露はどの方位向きでも生じると思います。

東向きが理由で、結露が24時間換気で対応できないほどひどくなる、という事はないです。

私が東向きで良かったと特に思うポイントは、
(1)朝日が十分に入るので、自然にスッキリと目覚められる・・・生活のリズム上、とても大切です。
(2)西日を気にしなくて良いので、カーテンも好きな色や柄を選べる・・・西日が強いと色々とカーテンの選択にも規制が生じます。

夕方から暗くなりますが、昼間の明るさは全く問題ないですよ。

夕方から夜は、間接照明を使ってインテリア空間を楽しまれたら、朝~昼とは違う素敵な雰囲気が出せると思います。
東京都内・駅近・部屋も広く質問者様が満足できる物件は貴重です。

経験上、東向きで困ったことはありませんのでご安心下さい。

Q天皇陵と考古学

水戸光圀以来の歩みをふまえた日本考古学における
天皇陵問題についての考えを教えてほしいです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

レポート・課題系の質問に思えますのでヒントだけ。
・皇国史観
・蒲生君平
・文久の修陵
・天皇陵の治定
・天皇陵と文化財保護法

Qレプリカとは

車などで、レプリカということばをよく聞きますが、このレプリカってどういう意味があるのですか?
車のほかにもレプリカということばを使うことがありますか?
教えてください。

Aベストアンサー

「レプリカ」は、模造品とか複製とかの意味を持つ言葉です。

車以外でも、時計や人形など、本物が高価だったり、品薄で手に入りにくいような
ものには、レプリカの需要があります。

他に思いつくところだと、

・サッカーや野球チームのユニフォーム
・化石、土器
・バイオリン

などなど

Q天皇陵にある鳥居

 畿内に行ったことのある人ならご存じのことと思いますが、天皇陵の方墳側に鳥居がたっていますよね。あれって いつ、何のためにつくられたのでしょうか・・・?

Aベストアンサー

tama606さんの言うとおりですねえ、学術調査許可して欲しいですよ。
徹底的に調査しない限り「伝○○天皇陵古墳」の段階を突破できないですねえ。

まず天皇陵とは・・・宮内庁管理。天皇家の所有物。
正式には「陵墓」のことを指します。
  陵(みささぎ)=天皇、皇后のお墓。
  墓     =親王、内親王らのお墓。
  ↑の総称なんですね。
ちなみに全国1都2府30県、1089箇所あるそうです。

 平安後期頃からはどんどん累積する天皇陵を維持するのは財政的に無理になってきて、十陵四墓とか十陵五墓の制とかで、管理するのは現天皇からさかのぼって何人までとかになってきます。
もうそこからは荒れる一方で、戦国時代には天皇即位に必要な金銭もなかったと言いますから、おそらく・・・忘れ去られていたかと・・(笑
 江戸に入り、将軍家と天皇家の関係(婚姻も含め)から綱吉の時に天皇陵の修理がされたといいます。
また19世紀初頭には蒲生君平が「山稜志」で記したようにある程度は注目されるようになっていたのではないでしょうか。
 
 明治維新後しだいに整備が進んで行き、一段と進んだのは1889年(憲法発布)頃からだそうです。
なぜ整備されたか理由がよくわかるのは
「大日本帝国憲法」「皇室典範」中の「万世一系」という言葉です。
国家神道に基づいた当時の政治体制の確立のためには天皇家の正当性を示す必要がありました。
そのために江戸期にはたかだか20mほどの丘のようなものだったのが、
この頃には前方後円墳の姿に変わってる・・・という事例も多くあります。
(もともと何も無いのも多いですが 笑)
そういう流れで天皇陵は整備されていったそうです。

天皇陵の入り口には立て札がありますよね。
「○○天皇陵。立ち入り禁止。鳥・魚とるな。etc」っていうあれ。
中には詰所があるところまでありますよね。
おそらく、理由は神道としてのシンボルだと思います。
時期は立て札やなんかと同時期ではないでしょうか・・・

あまり天皇陵に行ったことないんですが、
方墳側に鳥居がたってる・・・というのは前方後円墳の場合、
前方(方墳)部分は儀礼用、後円部分は埋葬用に使われたと考えられています。
そういう意味で儀礼側に向かって設置されてるんじゃないでしょうか。

(って・・ほとんど陵墓の解説じゃんw)

tama606さんの言うとおりですねえ、学術調査許可して欲しいですよ。
徹底的に調査しない限り「伝○○天皇陵古墳」の段階を突破できないですねえ。

まず天皇陵とは・・・宮内庁管理。天皇家の所有物。
正式には「陵墓」のことを指します。
  陵(みささぎ)=天皇、皇后のお墓。
  墓     =親王、内親王らのお墓。
  ↑の総称なんですね。
ちなみに全国1都2府30県、1089箇所あるそうです。

 平安後期頃からはどんどん累積する天皇陵を維持するのは財政的に無理になってきて、十陵四墓...続きを読む

Q龍の置物が欲しい

和室の床の間なんかに、よく鷹の置物(松に留まって羽ばたきそうな鉄製?のような置物)がありますが、ほぼ同じぐらいの大きさで龍の置物(出来れば同質の素材で出来た置物)を探しています。骨董屋で見かけた事があるのですが、とても手の届かない値段でした。予算は2万以内なんですが・・・・。
どなたか教えて下さい。

Aベストアンサー

横浜の中華街では、売ってるの見たことありますよ。
値段までは見ませんでしたが、とりあえず、骨董屋よりは安いのではないでしょうか?
龍の置物って、中国っぽいですよねー。

とりあえず下記URLへどうぞ!

参考URL:http://www.chinatown.or.jp/1index.html

Q大仙古墳(仁徳天皇陵)の等高線

何度か古墳の模型作成について質問させて頂き
たくさんの方から良い方法を教えていただきました。
しかし、自身での検索は上手くいかず等高線の資料を探すことが出来ませんでした。
大仙古墳の模型を作りたいのですが、何か参考に
出来るものは、ないでしょうか?
どうぞ宜しくお願いします。

Aベストアンサー

これかな。一般人が見て理解するのは困難かもしれませんが。
http://www.geocities.jp/take8dg/ak01_fig001.htm
http://www.geocities.jp/take8dg/hils02_fig001.htm


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