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>犯罪だけはするなよ!
というような、侮辱的な、つまりこちらをそのような人間だと仮定している時点で明らかです。
というような挑発的な文言に対して
「お心遣いありがとうございます(*'▽')!」
というような返信をする場合、どうなるのでしょうか?
どうなるというのは、そう返された相手はどういう気持ちになるのでしょうか?

A 回答 (7件)

両者の関係によって様々。


「なんだと?」もありえる。
侮辱的、挑発的の条件を示しているので、「お心遣いありがとうございます(*'▽')!」は皮肉に解釈される可能性が大だからです。
慇懃無礼に。
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この回答へのお礼

関係も何もない。一方的な中傷。

お礼日時:2023/02/05 09:13

「ありがとう」は感謝の言葉。


ある意味勉強代として言葉での支払いですよ。

>こちらをそのような人間と仮定して…挑発している

 いえ、自分もそのような人間になれると仮定して
「自己紹介」しているかも。
立場交換すれば相手の気持ちを汲めるようになるからです。

肯定も否定するでも無い時は返信も”疑問文”で返してみては?
「犯罪するとどうなりますか?」とか。

「ありがとう」は気持ち切ない気がしますが、
相手の善意に自分それ以上もう求めないと
納得できた時点でする心遣いになれると。
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この回答へのお礼

さっぱり言いたいことがわかりません。

お礼日時:2023/01/30 00:34

「~~~だけはするなよ」という表現は、一般的には、内容上は「釘を刺す:トラブルに発展しないよう、相手に念を押す」目的で、構成上は「締め括る」という末尾で使用されます。

 多くの場合、目上の者が、目下とみている者に対して、付けたりのような感じで言います。 言いたいことの主題は「~~~」にはナイです。 「~~~のような事態にならないように、○○、□□、△△などを心せよ」という(○○、□□、△△など)に関心を向けるようにという場合です。 ただ、言葉として(○○、□□、△△など)が明言されることは少なくて、言われた者が自分で(○○、□□、△△など)をあれこれ考えていくことを求めていることが多いです。
事件やトラブルを引き起こすように挑発しているではなくて、逆方向、事件やトラブルを引き起こさないように・どうしたら円滑、平穏、共和的にいけるかを考えるようにと挑発しているのです。

「お心遣いありがとうございます(*'▽')!」と返信するのでもイイですが、もう少し意を汲んで、「○□△を心掛けていこうと思います。ありがとうございました」のように書く方がイイでしょう。
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この回答へのお礼

あなたも鈍い人ですね。

お礼日時:2023/01/30 00:35

予想と違うなと思って驚きつつ。

馬鹿にされたのかなと疑うでしょう。そうはいってもギャーギャー騒いで反論する人ではなく、少しは抑制が効く人であったと思うはずです。思い込んで決めつけた部分を恥じるでしょう。

それら対応の本当の効果と言うのは当事者同士の心の動きにありません。それらのやりとりを第三者が見て感じる内容にあります。その後に目撃した人達が態度を変えると言う事です。また善意は強い武器です。これの本当の意味も解説します。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

多くの人は「こうありたい」と言う理想を持ちながら、中々そうできないという悩みを抱えていると思いましょう。そういう中で他人の言動や行動を見て、酷い対応だと感じたり、これは自分でも出来ない立派な行動だと感じて恥じ入るわけです。傍観者は当事者が知らないところで別の人生を歩んでおり、その中で僅かな変化が生じるわけです。つまり、当事者は自分達が一つの舞台で演技をしているという発想が大事です。当事者の利害だけではなく、傍観者の人生にも貢献できると思う事がポイントです。

また善意と言うのは悪意よりも強い武器であり、競争において敵に致命傷を与えるものです。その本質は「これをしないと必ず後で困る」と言う内容を助言したり手助けするものなんです。つまり無視をすると助からないというものでなければ善意とはならないんです。悪意とはその逆です。少しでも興味を持ったら助からないというものが相当します。

「えっと。自分の人生うまくできていないのに。
 そんな究極の助言なんてできるものなの?」

と思うでしょう。その通りなんです。ですので自分の人生や他の方の情報や経験などを総合的に分析し、試して使って確信を持った内容でしか善意を示せません。一朝一夕で善人には成れないと言う事で諦めて良いでしょう。しかし、同時に自分の人生で歯がゆい思いをしてはいけませんからね。その状態で居てはいけないんです。日々の経験からベストな選択が出来るようになるまで真剣に悩み、集中し、試すことを続けないと行けません。

とはいえ手っ取り早く何とかできます。専門分野などでは善意を示せるというわけで、何か自分が専門とする領域を作ることが推奨されています。学校の勉強と言うのは善人に成るための準備と言う訳です。

「悪意ある人にも善意を向けるべきなの?」

相手の状況を思いやり、悪意を発するようになった経緯なども想像する。その上でしっくり来る(自分でもそうしちゃうだろうと感じられる様になったら)まではやはり善意を向ける事が出来ません。反射的に対応する場合は冒頭に述べた「傍観者」を意識して、礼を損なわない様に頑張る程度でしょう。なので相手の情報がないまま善意を返すことは難しいと思います。

しかしもし想像力の産物であっても相手の状態を理解できれば、善意を向ける事は可能です。

ここでは善意が武器として働く仕組みを説明します。

もし相手の方が真に悪意を持っていた場合、こちらの助言を素直に聞くでしょうか? または素直に他人を認めることが出来ない性質の人であったら? 世の中を敵視している人であったら? 

ここで善意を向けられた相手は運命の選択をすることに成ります。

「少しでも善意に心を動かされる状態ならば助言を聞くだろう。
 何が何でも認めないというくらい心が曲がっていたら、
 その助言を無視し、頑なに逆をしようとするだろう。
 向けられた善意が運命を左右する様な必須の対応であったら?
 必ず困った事に成る。そこでも意地を張り続けて破滅するのだ」

つまり悪意ある人であっても余計な善意を向けられなければ助かったかもしれないんです。将来において困り、誰かに助けを求めて心を入れ替えたかもしれないですよね。しかし、今この時、この瞬間に選ばされてしまう。だから武器となるわけです。攻撃されたのと等しいですよね。けっして優しいものじゃありませんよ。もし、どうしても悔しいという気持ちが勝ってしまえば、助言が呪いとなってしまいます。自然に持ち直すという未来を閉ざされてしまいます。その段階で破滅が確定しているのかもしれません。

また第三者は悪意を向けられても善意を返す人を立派だと思って、その行いを咎める事はありません。なるほどその助言の通りだと感心し、自分の人生で活用しようと考え、感謝をするでしょう。しかし、何事にも反発したいと思っている人が見ていたら? その人は当事者ではないのに同じように反感を持ち、同じように助言を実施できず破滅するんです。貰い事故ですね。

「ええとまってね。自分の味方には善意を向けるよね?
 良い助言であればより関係が深まるよね。
 そして自分の敵にも善意を向ける・・・・?
 それで言うとおりにした人はいずれは自分の味方に成るし、
 それで意地を張った人は破滅するって事に成る。
 ってことは、敵か味方か考えずに善意をばらまけってことか」

これが善意が強い武器であるという理由です。自分の味方を強化し、敵に見える人が味方に成る事もありますし、話しても無駄だという真の敵は破滅(未来を閉ざされる)します。更に隠れてこちらを観察していた潜在的な敵も同じように破滅するのです。それらはこちらの選択ではなく、相手の判断で生じます。なので駆引きをするよりも効率が良いわけです。

とはいえ、無視をしたら必ず困るだろうという助言は滅多に出来ません。それでも「○○はどこにありますか?」の様な質問などには答える事ができますし。専門的な話であれば助言も出来ます。これらは出し惜しみをしない方が良いと言う事です。

「結果としてどういう感じに成るの?」

「貴方には効果が感じられません。
 貴方の知らないところで徐々に味方が増える。
 貴方の知らないところで貴方に敵意を持つ人が自動的に減る。
 貴方は単に一般で言う所の親切を繰り返しているだけ。
 そして世の中は平和だなと感じ少し刺激が足りないと不満を持つ。
 友人が増えないとか苛めに出会うという悲惨な話を聞いて、
 身近で起きないので不思議に思う。遠くに感じる。
 ですが実際には凄まじい組み換えが起きており、
 味方が増え敵が減っているのです。
 平凡な人生と思えてもそれは錯覚です。
 労力を必要としないという部分で体感効果を得られていないだけ。
 そのため、一度でも善意の効果を疑い、悪意ある行動をしただけ
 で一瞬で地獄に落ちるという訳です」

体感できない効果。つまり日々の平穏は、何気なく行っている善意で維持されていたわけです。そのため、これを休んだとき一気に転落するわけです。

「これくらい良いじゃないか。
 なんでたったこれだけの事でここまでに成るの?」

と言うのが不幸に成った人が言う事なんです。実は物凄い効率(ありきたりの善意)で自分の平穏が維持されていたわけですね。善意と言うのは楽な気分で継続しなければならず、これを辞めてしまっては大変危険なんです。

究極の武器に仕上げるには意識して研究する必要があると思いますが、自分の平穏を獲得する程度には誰でも一般的な知識を使って行えます。
 
敵が破滅するところを見たいという方には向いておりません。徐々に転落する。そういう方向性の力を高める効果を与える。これが善意だからです。

「面倒なので日々平穏に過ごしたいです。
 私の周りで暗躍する人を減らし、良心的な方々に囲まれたいです。
 しかし私は新参者で今いる場所が安全かわかりません。
 そこで善意の浄化を始めようと思います」

と言う人向けです。何も考えずに善意をバラまき続ける。すると自分の環境が安定してきて平穏に過ごせるようなるという訳です。また同じことを考えている人が他にもいたとします。こうなりますと物凄く強力です。なので人を選ばずに善意をバラまく人の周りは安全であり、自分もそこに参加する事でより安定した環境を得られると言う事に成ります。

こういうメタがあるわけですから、善意や悪意に関わらず礼を返すしかないんです。それによって助言を実施する心理的障壁を下げておきます(本当に困ったときに思い出して試す気分になる)。感謝を返すことで敵ではないとアピールします。その後は少しモヤモヤしたとしても、自分の食事や娯楽に集中できるでしょう。しかし、対応を間違えて失礼を返せば、自分を正当化するためにずっと悩み続け、意地になって方向転換が出来ずに、善意の毒に侵されて弱っていくわけです。しかし助言をした人はすっかり忘れて別の人へ善意を向けている。別の人は感謝を返すでしょう。そういう部分で癒されて前を向きます。これは恐ろしい違いですよね?

相手を選ばず善意をぶつけるというのは生き残りにおいては初歩的なメタです。駆引きなどせずに善意をバラまき、礼で受けて礼で返す。これが定石であり、頓死系のメタにやられないようにする最低限の賢さです。

この定石を知っている人は、さっさと日常を安定させて自分の時間を増やしているでしょう。そして究極の善意(決して無視できない予言のような助言)を作り出すために日々研鑽しているはずです。先に進んでいると言う事ですね。敵味方で悩む今の自分を捨てて、早くそちらへ参加する事が肝要ですよ。2000年以上前に確立したメタ(道徳)を活用せずに現代で不幸を味わうのは物凄い損です。

つまり悪意があると知って反撃していると不幸確定ってことです。
自分の人生で検証するのは非常に勿体ないですよ。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

残念ながら最初の10行で挫折しました。

お礼日時:2023/01/30 00:37

枝雀「茶漬け閻魔」に登場するキリストのようになるかな。


https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=mc …
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この回答へのお礼

関西弁苦手。

お礼日時:2023/01/30 00:37

バカダナーと思うかもしれません。

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この回答へのお礼

『かも』?

お礼日時:2023/01/30 00:38

> どういう気持ちになるのでしょうか?


特に何も感じないと思います。
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この回答へのお礼

では感受性が死んでます。

お礼日時:2023/01/30 00:39

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