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初めまして。私は創価学会員の2世(両親は幹部)です。今回は折伏と選挙依頼をお願いする際、どのような態度で接すれば、不愉快に感じないか教えて下さい。学会に関しては良い面・悪い面を知っているので、誤解されることが多いです。確かに学会員は相手の幸せを考えての上記2つの事を行います。しかし、一部社会常識が外れた行為に走る方も多く、現在内部でも問題になっております。今回のポイントは会員全員が好きでこれらのことをやっているわけではない、と知っていただきたいことです。つらくてつらくてたまらない人達もいます。その上でのご回答、よろしくお願い申し上げます。

A 回答 (14件中1~10件)

一般人です。



質問者さんに逆にお伺いしたいことがあります。

(1)「折伏」とは具体的に何をするのでしょうか?
これは読み方は「しゃくぶく」でよろしいのでしょうか?
布教活動という意味でしょうか?

(2)選挙依頼とはどの政党を応援しているのでしょうか?
日本は政教分離の原則があるので“特定の政党”と“特定の宗教”が結びつくのは憲法違反なのではないでしょうか?
貴方の言う選挙のお願いとは、自民党ですか?民主党ですか?ひょっとして共産党ですか?
それとも、もしかして学会として公明党を応援しているのでしょうか?

質問に対する質問になってしまい恐縮ですが、質問の内容が解らない為、以上の件を教えて下さい。
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この回答へのお礼

mn214様
ご質問にお答えします。

(1)創価学会のHPをご参考になさって下さい。
(入会させるという意味をありますが)

(2)公明党が出馬するところは公明党、出ないところは自民党、また自由投票と言って特に選挙活動しなく良い時もあるそうです。(衆参・都道府県・市区町村で選挙の戦い方が微妙に違います。

こんな感じで良いですか?

お礼日時:2005/04/17 08:12

まず第一に、「相手の幸せを考えて」行う場合でも、相手の承諾がなければすべて迷惑行為であると考えてください。

「相手の幸せを考えて」というのは非常に便利な台詞で、それが通るなら「イラク国民の幸せを考えてイラクを攻撃した」とか「日本国民の幸せを考えて原爆を落とした」とか、あらゆることを正当化できてしまいます。

さて「折伏」とは一般に、相手を論破し、有無を言わせぬ状態にして自分の思うがままにすることで、そのため「折」り「伏」せるという穏やかでない言い方になっています。創価学会では入信の勧誘を「折伏」と言うようですが、相手の意思を確認せず、何が何でも入信させようとする態度があるとすれば当然、反感を買うことになります。したがって、
1. 入信の勧誘をしていいかどうかあらかじめ対象者に確認し、断られたら勧誘を開始しない
2. 対象者がすぐに納得してくれない場合、勧誘を継続していいかこまめに確認し、拒否されたらそこでやめる
以上の条件を満たせば不愉快でないであろうと思われます。「入信の勧誘ではなく、教義の説明をしたいだけ」とおっしゃる方も多いと思われますが、その場合も同様の要件を満たしてください。

投票の依頼については、誰であっても自分がいいと思う候補者を他人に推薦してかまわないので、その点は問題ありません。しかし、しつこくしすぎれば迷惑行為になるのは当然です。以前、学会員の大家さんの部屋を借りたことがありますが、顔を合わせたときに「お願いしますね」と言われる程度で、それ以上しつこくされませんでしたので、特に迷惑とは思いませんでした。

また、言うまでもありませんが、自分の思う通りにしないと相手に不利益なことが生じると示唆してはいけません。
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1)折伏はどうやっても、相手は不快ですし、迷惑です・・。

折伏の意味は、創価さんでしたらご存じだと思いますが、激しく相手をとがめて宗教的誤りを正すことですよね? 誤りをとがめることが前提になっていて来られて、いい気のする人はいません。他の宗教の布教より、もともと折伏の持っている意味が、独善的な感じがありあります。「摂受(しょうじゅ、優しく教える。日蓮聖人に末法の時代には合わないとされましたね。もっとも素直に聞く人にはそのままということでしょうけれども)」という、方法が世間的には歓迎されますが、何が何でも信仰してもらうことが善であるということになると、折伏になってしまいますね。信じない自由を、認めないとどうしても折伏になってしまいます。相手の自尊心をくじきますので、これは難しいです。相手から見たら、最初から自分が上だという態度で来てるわけですから・・。常識はずれの行為は、もっと話にはなりません・・・。

2)選挙以来を宗教団体がすることに関しては、やはりちょっと違和感はあります。それに、自衛隊の海外派遣をめぐる動きを見ても、政策で動いているのではなくて、公明党支持という結論は動かないように、少なくても外からは見えるので、これも良い印象ではありません。自民党の悪口や自衛隊の海外派遣をものすごく悪く言っていた学会員さんがコロッと変わって、支持しているのを見ると、変わり身の速さに唖然としたこともあります。しかし、選挙に関しては道理が聞こえればそれは別に不快ではありません。冷静にきちんと説明できるようにしてくださればいいです。入れてね、入れてねの連呼しかしない人がおりますが、あれは愛想笑いしか返せません。数をこなそうとして、質が落ちているようですが、かえって私などは不信をまします。公明党の政策転換など、質問されたときに答えられるくらいであれば、私的には、聞く耳はありますし、場合によっては入れることもあるかもしれません。ただ、宗教団体が政治団体の下部組織になっているというのは、世間的には+には働きにくいというのはあるかもしれません。あくまでも政策と候補者の人で勝負していただければ、悪いイメージはないのですけどね・・・。
失礼しました。
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会員です。

しかも親が幹部。
無理をして、しかも人が嫌がるくらいの勢いでやることはおかしい。
功徳になるような気がして、人のため・・・なんて虫がよすぎるし、そういうところが私が創価学会において直したいことの一つです。
折伏っていうのは、日頃の生活において自分を律しながら人のために働くことだと私は思っています。
「創価学会は嫌いだけど、あなたは好き」
それでいいと思ってます。仏法を体現して生きていく。信頼される。それが折伏だと。

選挙に関しては、あまり信仰と結びつけるものではないと思いますよ。
結局は働いて働いて、人のために動くのは議員たちです。
公明党は学会が作った、理念ある政党のはずですが、絶対ではないのです。
候補を各々がよくよく吟味し、会員が先頭に立って鍛え、議会に送り出すのです。社会全体のために働いてもらうのです。
そこには信仰とは別次元の、厳しい社会があるわけですから、自分の「思い」などを人に押し付けても無駄なのです。
いい議員かどうか見定めて、人に協力を仰ぐ。
当選したらその友人にも議員を充分に使ってもらう。
会員として党を監視していく。
ある意味大変な仕事ですが、会員でもないのに投票してくれる方のことを考えたら当然のことですし、それでなければ公明党はよくなっていきません。

学会で行われているシュプレヒコール的なものは、あくまでも団体におけるノリであって、日々の生活や仏道修行は、平静に、自分のペースで定めていくべきだと思います。
信仰を保ちながら、あるコミュニティーに参加しながら、自分を見失わないというのも重要なことなのです。
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僕は、仏教徒として意見を言わせて頂きます。


申し訳ないですが、信仰の押しつけは良くないと思います。

相手の幸せを考えるのであれば、「折伏」という行為は他の信仰している方から見れば、行き過ぎかと思いますが。
「これを信仰しないと地獄に堕ちる。」というような事を平気で言うのは、いかがかと思います。

それに、選挙については相手の信条信念の上に自己の判断で、投票するものであって、
あなたが投票を依頼する権利はありません。

どのような立場にあっても、自分の信ずる政党・思想信条に従って、その意見を選挙・投票という形で表明したのです。

相手の意見を尊重した上で、この社会が成り立っているのですから、このような質問はどのようなものかと考えます。
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アメリカ大統領も特定のキリスト教団体とリンクしているのですね 創価学会は公明党という形で米国よりも政策に直接関係していますので責任が重大でしょう 日本が悪くなれば批判もありえます ここで冷静に考えますと本来の仏教活動だけにして、どろどろした政界などに


参加しないほうがリスクもすくないし 宗教らしいと私は考えます 政権党に必ずくっつく党は世界にありますがその方向なのかも知れません 
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<現在内部でも問題になっております。


今回のポイントは会員全員が好きでこれらのことをやっているわけではない、
と知っていただきたいことです。
つらくてつらくてたまらない人達もいます。>
とのこと、学会のなかにもこのように考えてくれるようになっている
事は良いことです。
元々は、日蓮の教えですよね。
あの時代、日蓮の周りには、何かの教えというか
教育というか、必要であった人々が多かったと思います。
現代もある意味、悪い行いや考えを持っている人には
正しきはコレなり、と教える必要がありますが、
大半の人は、誠実に生き、そこそこ教育も受け
知識もあり、必要だと思えば自ら
いくらでも学べる環境にあります。
なのに、学会の皆さんが、自分が「コレがNO1」だと
信じたから、「あなたもコレを信じなさい」とは
独りよがり意外の何者でも無いと思います。
つまり
言葉で説得するのでは無く
自分たちの行いや、人への思いやり、自分自身がどうあるべきかを真剣に考え、実践することであり。
人にどうあるべきかを説明することでは無いです。
今の状況は、幹部(上の人)の顔色や、成績を上げる為みたいなきがしてなりませんが、
冷静に今一度、学会の皆さんが考えてくれることを望む一人です。「今、日蓮だったらどうするか?」
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知人に学会員がいて、集会を見に行ったことがある者です。


その時、支部長とかいう人に随分不愉快なことを言われたのですが、あれが「折伏」というものだったのなら、苦情も含むいくつかが思いつきますねぇ。

1 相手の信仰を「邪教」と呼ぶのは止めた方がいい
あなたが他の信仰を持っている人から「邪教の徒」呼ばわりされたら不愉快なように、他の信仰を持っている人も不愉快なのです。まして相手の信仰がどういうものか知ろうとする前にこう言われたら、その後の話は聞く耳を持たないでしょう。その状態の相手にわかってもらおうと必死になると、勧誘の手段が少々暴力的になりやすいのはわかりますね。

2 大人数で一人を囲んで、(重箱の隅を突くように)話をするのは止めた方がいい
結果として話をしているのが一対一だから良いではないかと思うかもしれませんが、人は大人数に囲まれると無意識に焦るものです。焦ると大抵の人は冷静な判断が出来なくなり、ちょっと間違ったことを口走ることがあります。その間違いを突いて「だからあなたの信仰は間違っている。学会員になりなさい」的なことを言うのを繰り返していれば、どんどん頭がパニックを起こして、「もういいや」という状態になってしまいます。こういうやり方は洗脳やマインドコントロールといった技術の一つです。こういうやり方をされると、対処法を知らない人は簡単に引っかかってしまいますが、創価学会がやりたいのは洗脳ではないでしょう? あと、囲まれていると途中で席を立ちづらいというのもあります。

3 常にダブルスタンダードで話をするのは止めた方がいい
自分たちの都合のいい例だけを相手にしゃべって、「だから学会員になりなさい」的なことを言う。その例と同じような例を他の宗派宗教から引いて反論すると、「そんなことがあるとは信じられない」「あれは呪術だから」と言う。私が「あなたが言っていることも信じられないとか呪術だと言ったらどうなの?」とたずねると「創価学会は特別」と言い出す(正直な話、相手がこう言い出したときには、「何で私はこんなバカ話に長時間付き合っていたんだ?」と思いました)。元々日蓮系仏教は原理主義的な性質があるので仕方がない(しかし非常に問題)のでしょうが、こんなことを言い出す人の言葉に感動して入会する理性的な人はほとんどいないと思います。

4 他の宗教について無知なのに、間違っていると言うのは人間としてどうよ
プロテスタントとカソリックの違いもわからないし、神道がどういう信仰の形態を持っているのか知らないけど、創価学会以外の信仰だから「間違っている」と主張する。根拠は「日蓮聖人が言っているから」というのは、創価学会の中では通るかもしれません。しかし外側にいる人にすると、かなり奇妙です(他の宗派の人が同じようなことを言っていたら、あなたもそう思うでしょう?)。それだけのことを言うのなら、語ろうとする対象について最低限の知識は持つようにしてください。さもないと馬鹿扱いされます。

5 相手の信仰を出来る限り尊重する
例えば原理主義的なキリスト教徒になってから人生がうまく行くようになった人が、「折伏」と同じ手法で強引に信仰を勧めてきたらどう思います? それもあなたの「幸せを考えて」。自分がそれをやって良かったからといって、他の人がそれ以外でうまくいかないとは限らないのです。それを無視して相手に自分が良いと思っている信仰の形態だけが正しいと説得するのは、相手を見下していると見られても仕方が無い行為ではないでしょうか。

6 組織内部でしか使えない理論武装はやめよう
どう考えてもアレな話を広報紙に堂々とのせるのは、かえって偏見を助長させる元です(実際私は予備知識無しで聖教新聞を読んで創価学会を嫌いになりました)。本気で他人や創価学会のことを考えるのなら、創価学会内部のアレな人を先に何とかしてください。

こうやって見ると、教義そのものに食い込んでいる問題がいくつかあるのではないかとも思います。
だから創価学会を解体せよというのではなく、そういうものも含めて改革していけばもっと良い面が出せるのではと思っています。
悪い所ばかり書きましたが、いくつか良い所も私知ってます(念のため)

選挙だけの理由で電話をかけてくるなと知人に言っているため、どのような選挙活動をしているのか私は知りません。でも、イラク関係の法律を通した当時現役の国会議員の支持を組織として行ったのなら、一連の出来事を創価学会という団体が支持したと見られても仕方の無いことだと思います。(末端の学会員がどれだけ反対運動をしていてもです)

以下余談
これは素朴な疑問なのですが、聖教新聞などに載っている池田大作氏のスピーチにはキリスト教徒の立派な人を称えるものがあるようですが、これを末端の学会員はどう思っているのでしょうか? キリスト教は間違っているから良くないというのと矛盾していないの?
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はじめまして。

私は学会三世です。いわゆる活動家です。
折伏を「相手の考えを説き伏せて、この信心が正しいと思わせる」と考える方が多く、そのために誤解が多い事は事実です。だから、ただの他宗批判に終わってしまう、またそう思われてしまう。非常に残念な事です。
折伏といっても、支援活動といっても、一般社会の常識で話す・依頼するのは当然です。
しかしそこに「祈り」がなければなにをやっても空回りだと思います。
相手の幸せを本気で「祈っている」かどうか。考えているではなくて、実際に祈っているのか。そこがなく、いわゆる「策」だけでは折伏も支援依頼も出来ません。やらされているならやらない方がいい。

根本に祈りがなくて、成果主義で折伏や支援活動をしている人もいるでしょう。それは、先生の言われている「人間主義」ではありません。それは宗教屋だし、選挙屋でしょう。それでは法を貶めるだけで、何の功徳もありません。もし、内部で問題になっている人がいるのであれば、どんどん上の幹部に話して対応して頂いて下さい。それが学会を守ることにもなります。

何のために折伏するのか。支援活動をするのか。まず自分でしっかり確認する事です。そこに一本芯がないと「やらされている」となり、全てが苦痛になります。そして、不満を信心に学会に先生に向けてしまうのです。

信仰は権利です。御本尊様は「祈ってくれ」と言ってません。私たちが、自身の根本として尊敬して、自分で祈っているのです。やるのも権利。やらないのも権利。どこに投票しようがそれは相手の自由。それは当たり前です。相手の気持ちを無視してはいけません。
相手が信心しなかろうが、投票しなかろうが、それは相手の考えであって、それが悪い事ではないのです。
別の方が答えていたように、押し付けはダメなんです。
相手がどうであろうと、自分が語ったという結果はしっかりと残ります。それでいいんです。

でも、人を幸せにしたい、と本気で思うのであれば、必死にその人の幸せを「祈る」。その中から智慧が湧きます。その真剣な祈りから全てが開けていくんです。策ではありません。ご両親や先輩は折伏・支援活動の先輩です。相談してみてください。
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この回答へのお礼

お忙しい中、
ご返信下さいましてありがとうございます。
だいぶ心が楽になりました。
これで胃痛が治まり、
ゆっくり眠れそうです。
早め早めに相談してみます。

お礼日時:2005/05/03 05:06

創価学会の二世以後の方に自覚してもらいたいのは、すでにご両親が強い信者であって、仏教全体の知識のない子供の頃からいろんなお坊さんのなかでたまたま日蓮さんだけがすべての頂点であるとマインドコントロールされているのだと言うことは忘れないでほしいです。



日蓮だけがすばらしいのか、これを決めるのは宗教の知識人や広く一般の人であるはずです

問題を起こしたカルト集団・・これを誰もが批判します
・・でもセミナーと称して活動してますね・・彼らはなんの疑いも持ちません・・人間ってこんなところがありますよね 
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