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昔からの日本の不思議ですが、
平民は
「白米は貴重」「白米は食えなかった。」
「肉が高くて食えなかったので
ホルモンだった」
 
米は江戸時代以前からの口癖?
肉もことあることの口癖のようで、

なら誰が白米に肉を普通に食っていたんでしょうか?

A 回答 (3件)

白米は「年貢」として江戸時代なら藩や幕府に納められていたので、大半を武家が握っていました。


徐々に生産能力が上がり、庶民にも普及するようにはなったものの、年貢が続いている間はやはり希少性がありました。
明治以降に年貢が廃止されてからは一気に米食が広まりますが、
千年続いた高級品のイメージはそうそう薄まりません。

肉については、単純に肉食文化が広まったのが明治期であり、
畜産農家が十分に増えるまでは希少性が高かった、ということです。

なので白米にせよ、肉にせよ、消費していたのは上流階級であり金持ちです。
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江戸の庶民は、白米食べてました。

玄米でなく白米を食べることで、ビタミン不足による脚気=江戸わずらいが、流行してました。
丁稚あたりが病気で寝込み、田舎の実家に帰すと治るのが、不思議と思われてました。
牛や馬は表向き禁止。野鳥、猪や海の鯨なんか、口にする機会は多かったはず。マグロやウナギ、庶民の食べ物でした。落語の目黒のサンマのように、偉い人の方が、食べる機会が少なかったようです。
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白米は現金収入を増やすためにできるだけ売却したのです。


江戸中期以降の農民(穀物生産をしていた人々)の年貢は年間総収入の1割程度です。また自分自身の食料は1/3ぐらいです。よって年間総生産の半分程度は売却することができ、衣料品など様々なものを買ったり伊勢参りなどの娯楽に使っていました。
ということは、全国的に見れば穀物生産者は全人口の1/3程度だったということになります。ならば2/3は武士や商人ということになり、多すぎないか? ということになりますが、農民の中には林業や漁業など穀物を生産しない人も多かったので、大雑把には違ってないでしょう。
江戸中期以降の農産物は米、麦、雑穀(芋、豆などを含む)がほぼ1/3ずつと推測しています。前述のように農民の多くはできるだけ現金収入を増やすために米や麦は売り、売れない雑穀やクズ米を中心に食べていました。なので「米を食ってないから貧乏人」というのはやめてね。
麦は意外に多かったようです。水の乏しい地域や傾斜地でも作ることができました。

肉類は仏教の関係から大っぴらには憚られたようですが、なんとかかんとか理由を付けて食べていました。なにせ旨いもので・・。クジラは魚という解釈なら問題なし。イノシシやシカは害獣駆除の副産物ということかな。ウサギは鳥の味に似ているだそうで「1羽」「2羽」と数えるのはその名残らしい。だいたいは豚汁のように煮て食べていたようです。
余談ですが、農民の武装は禁じられていましたが、鉄砲を持っていました。これは武器ではなくイノシシやシカを退治する農具という解釈でした。「ダンナ、年貢が納められません」と言われれば武士も許可せねばならなかったのでしょう。幕末に農兵隊ができるのは鉄砲が撃てるのは農民しかいなかったからです。
ホルモンは戦後の料理です。netに詳しい解説があるはず。
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