痔になりやすい生活習慣とは?

たまたま実家に帰ったときに過去帳を見つけたのをきっかけに、家系調査をやってみようと思いつきました。戒名から、先ず調べようと思い調べてみたところ疑問が出てきましたので皆様に御質問させてください。

過去帳の情報

 宗派は曹洞宗です。過去帳に載っている、最も古い御先祖様は元文5年(1740年)没でした。この御先祖から、30年ごとくらいに10代分載っています。
※庭にある祠?の中にあった木(8角形で20cmくらいの木の棒)には、戒名と宝永3年(1707年)という記載がありました。庶民が家に仏壇を奉り、先祖供養をするようになったのは、元禄時代1688~1704年くらいからだそうで、当時としてはハイカラな家だったのかもしれません。

最初のご先祖様の戒名は位号が耕司(6文字)となっていて不自然です。その次の代は禅定門(6文字)となり、以降2代が居士(6文字)。次に、明治に入って明治12年に「玉實もしくは、玉宝」という軒号がついて9文字居士、明治5年没のご先祖様は院号で9文字居士(記載の順番が逆になっておりこのような書き方です。)以降は9文字院号居士の戒名です。

以上から、ご先祖様についての類推をしています。私は、2代目の禅定門の方以降居士となっているので、2代目が出家か何かして徳を得て以降居士となり、明治に入り、当時恐らく裕福だった御先祖が寺にお布施をして院号をもらったのではないかと考えております。

長々と駄文申し訳ありません。本題の疑問です。

(1)調べたところ文久の時代くらいに、徳川家が法令で農民町民に居士をつけることを禁じたとなっていますが、代々農民と聞いている御先祖に江戸時代中期に居士がついています。これは、田舎だから法令があまり適用されていないということでしょうか。それとも、一応、私の家の苗字の鎌倉武士が近くにかつて存在し、調べたところ江戸時代には帰農していたとの事なので元武士ということで居士をつけていただいたのでしょうか。

(2)明治初期のご先祖様に一人、「玉實もしくは、玉宝」(二つ書いているのは前者が過去帳、後者が仏壇に書いてあったからです)という軒号がついているご先祖様がいるのですがこれは、単に金持ちだと言うことを示しているのでしょうか。

何でもいいので教えていただけないでしょうか。また、過去帳の情報から別の推測があるかたは教えていただけないでしょうか。長文、重ね重ねすみません。

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A 回答 (1件)

>代々農民と聞いている御先祖に江戸時代中期に居士がついています。



これは何ら不思議な事ではありません。
江戸中期以降、一部の豪農、豪商と言われる人々が支配者と同等の墓を建立するようになりました。当然、居士を用いています。
幕末、幕府は墓の規模・戒名等を制限しましたが効果が無かったようですね。
江戸時代、幕府の政策よりも(実際には)各藩の政策が優先していた事実があります。

>軒号がついているご先祖様がいるのですがこれは、単に金持ちだと言うことを示しているのでしょうか。

戒名としては院号につぐ称号とされです。
菩提寺に対して、莫大な援助を行ったのでしようね。
苗字帯刀を許された豪農だったのかも知れません。

「玉實」という軒号から、小田原などの地名が推測できますね。
まぁ、字・大字地名の場合もありますが・・・。
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この回答へのお礼

参考になりましたありがとうございます。確かに、私が子供のころには特にお金持ちという感じではなかったのですがのに庭は立派なので、還暦になる父に聞くと、父の子供の頃までは比較的大きな家だったそうなので嘗ては庄屋だったのかもしれません。時間が出来たら菩提寺に改めて過去帳を見せてもらいにいってお話を聴かせていただこうと思います。

お礼日時:2007/10/26 07:41

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Qご先祖様の暮らしを知りたいです。

先祖の調査をしようと本家に行きました。
お墓と位牌を見てきましたが、わからない事だらけです。

以下の調査結果から農民だっと思うのですが、どんな暮し(身分の)農民だったのでしょうか。

1.位牌は沢山出てきましたが、一番古いのは寛文三年 戒名は 禅定門と禅定尼
2.正徳まで禅定門の位牌が多いです。
3.墓で一番古いのは(判明できるのは)正徳です。
4.場所は栃木県です。
5.菩提寺はもともと城で、戦国時代後期に落城。その後死者を弔うために建立されました。

まったくの素人なのである程度詳しい方の意見や実際に調べている方の意見など頂けると幸いです。

上記と直接関係があるかわかりませんが、以下についても記します。

5.実は上記の位牌以外に一つだけ古そうなのがあり、そこには貞和四年とある。しかし状態が悪く、ほとんど書いてあることが読めない。

6.上記位牌は菩提寺の住職が読める範囲で書き直したらしい。

7.古い掟では、正月飾りをしてはならぬ、節分や節句、祝い事、祭りごとなど目立つことはしてはならぬ。とあったそうです。 とにかく目立つことはしてはいけないと。

8.昔は蔵があったが、火事で燃えてしまった。蔵には長持ちがいくつもあったらしい。他の位牌も燃えたとか?

よろしくお願いします。

先祖の調査をしようと本家に行きました。
お墓と位牌を見てきましたが、わからない事だらけです。

以下の調査結果から農民だっと思うのですが、どんな暮し(身分の)農民だったのでしょうか。

1.位牌は沢山出てきましたが、一番古いのは寛文三年 戒名は 禅定門と禅定尼
2.正徳まで禅定門の位牌が多いです。
3.墓で一番古いのは(判明できるのは)正徳です。
4.場所は栃木県です。
5.菩提寺はもともと城で、戦国時代後期に落城。その後死者を弔うために建立されました。

まったくの素人なのである程度詳し...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

中々の銘家と推察いたします。

>>2.正徳まで禅定門の位牌が多いです。

「禅定門」「禅定尼」は基本的には、禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)寺院での戒名と考えて良いかと思います。
もし、現在禅宗寺院を菩提寺としていない場合は、先祖の誰かが改宗したものと考えます。

また、武士階級や商人でも藩に関わる仕事をしていた方に「禅定門」「禅定尼」の戒名が付けられることが多く見受けられます。

従って、昔、城があった・・・と言うことですので、武士・・・それも徴兵された百姓などのように「にわか武士」ではなく、城主に仕える身分だったのかもしれません。
ただ、蔵があった・・・と言うことから考えると、城への出入りを許された商人のような気もします。こちらの方が強いかな?


>>4.場所は栃木県です。
>>5.実は上記の位牌以外に一つだけ古そうなのがあり、そこには貞和四年とある。

栃木県には足利氏の荘園が幾つも存在し、貞和四年(1348)と言うことは、足利尊氏が征夷大将軍を務めていた時代ですから、栃木県は足利氏の影響力が非常に強かった時代です。
その頃、あなたのご先祖さまは足利氏に直接、または、その家臣たちに取り立てられて、次第に大商人となり、活躍していた可能性が考えられます。

>>7.古い掟では、正月飾りをしてはならぬ、節分や節句、祝い事、祭りごとなど目立つことはしてはならぬ。とあったそうです。 とにかく目立つことはしてはいけないと。

これには2つの考え方ができます。

1.大商人であったから、他人にみせびらかすような派手な行為を慎むと同時に「節約を旨とすべし」のような家訓があった。

2.何かの失態があって、他人(ひと)さまに顔向けができない。そこで、全ての行事は内々に内輪だけで執り行うようになった。

>>8.昔は蔵があったが、火事で燃えてしまった。蔵には長持ちがいくつもあったらしい。他の位牌も燃えたとか?

昔は、現代のように「恋愛結婚」などは、特に、大商人や地主、武士などもそうですが、絶対的にありませんでした。
全て、親が、相手の家格や財力などを基に嫁などは決めていましたので、あなたのご先祖さまも大商人で、当然、それに見合った嫁選びをしたことと思います。
従って、長持ちの中には代々のお嫁さんが実家で用意してくれた衣装などが入っていたと考えられます。

また、他の位牌については、なぜ蔵にあったのか疑問ですが、或いは、母屋も焼失してしまったのかも含めて、貞和四年(1348)から、いきなり、寛文三年(1663)まで、約300年間が飛んでしまっていますので、その間の位牌ではないかと考えます。

総合的に判断すると、城へ出入りを許された「大商人」の家系のように思われます。

余談になりますが、
私の実家は本家は古くは、やはり、平安時代にまで遡ることができますが、江戸時代の宝暦年間(1751~)に、佐渡奉行所が財政難になった時、当時、庄屋であった夘兵衛という者が近隣の庄屋四人に声をかけて資金集めをし、佐渡奉行所へ300両(約3,000~4,500万円)を寄付したことから、佐渡奉行より「○○家を名乗るように」と姓を授かりました。
そして、その夘兵衛の四男が分家をし「△△家」」を起こしたのが私の家です。
ただし、あくまでも農家でした。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

中々の銘家と推察いたします。

>>2.正徳まで禅定門の位牌が多いです。

「禅定門」「禅定尼」は基本的には、禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)寺院での戒名と考えて良いかと思います。
もし、現在禅宗寺院を菩提寺としていない場合は、先祖の誰かが改宗したものと考えます。

また、武士階級や商人でも藩に関わる仕事をしていた方に「禅定門」「禅定尼」の戒名が付けられることが多く見受けられます。

従って、昔、城があった・・・と言うこと...続きを読む

Q江戸時代の墓について

数年前に江戸時代後半の先祖墓が見つかりとてもびっくりしています。墓石は70個くらいでしょうか。
凄い田舎で百姓をやってたと思うのですが、墓のひとつひとつが貧農ではまずこのような墓を作るのは困難と思われるようなものばかりなのです。
しっかりとした石を使っているためか、かなりの墓石の文字がはっきりわかります。
中には墓石に仏像が彫られ、着物に赤い色が塗られているのも数体あります。女性の墓石ではないかと推察しています。
写真を添付しますので、見ていただければ幸いです。
ネットで同様の墓石を探しても見当たりません。
なぜこのような墓を作ることができたのか?どのような推察でも構わないので教えてください。
また、昔の墓の研究をしているところがあればそれはどのようなところなのか、どうすれば調べられるのかわかれば
それも教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

江戸時代は土葬が基本です。
同時にお墓は個人単位が基本です。
たくさんの墓石が集団で見つかるのはこのためです。
ただ上質の石材を追加って丁寧に彫られていますことから、相当の名家であったのではないかと思います。
お墓を管理している菩提寺に過去帳は残されていませんでしょうか。
彫られている享年で推定はできます。

生前墓といって死ぬ前から用意することがあります。(長生きができるとされています)
この際に戒名などに朱を入れます。
この朱を入れる習慣の延長かどうかはわかりません。
男女は掘られている戒名等で判別は可能か思います。

いずれにせよ、お近くの博物館などの学芸員の方に一度みてもらってください。
市町村の役場で問い合わせ先を教えてもらえるのと、依頼ができるかと思います。
市町村の図書館で郷土史家の方を教えてもらえますので、その方とも一度話をしてみて下さい。
お住いの地区でどのようなことがあったのかは大よそ見当がつくかと思います。

Q壬申戸籍の謄本を入手する方法は?

  我が家の家系図を作成しています。祖先の(戒名ではなく)俗名が必要なため、市役所で戸籍謄本(除籍謄本、原戸籍謄本を含む)を取って世代を遡って調べたのですが、明治19年に編成された戸籍まで遡りました。しかし、明治5年に編成された戸籍(通称、壬申戸籍)は期限切れのため保管していないと言い方でした。
  壬申戸籍はどこで保管しているのか、インターネットで調べたところ、法務省の法務局らしいことが分かりました。で、法務局に問い合せたところ、「期限切れなので・・」という回答なのです。決して「破棄した」とは言わないので、現在もどこかで(法務省管轄下で)保管されているように思えます。昭和43年頃、旧身分制度に関する事柄が社会問題化して(→同和問題?)壬申戸籍が封印されてしまったというのが真相の様です。
  他人の祖先の名前を知りたいのではなく、自分の祖先の俗名を知りたいのです。壬申戸籍の謄本を発行しても身分に関する情報を知るのは子孫である私なのであって他人ではないのだから問題ないのではないでしょうか。壬申戸籍の謄本を入手する方法はないものでしょうか。

Aベストアンサー

入手方法は、現在ではありません。
壬申戸籍は、確かに法務局で保管はされています。それは遠い将来に「歴史資料となりうる」という観点で保管されているようです。
従って「旧身分」が記載されている戸籍を子孫であるとはいえ閲覧させることは現在はできません。

◎ 他人ではないのだから問題ないのではないでしょうか。
これを認めてしまうと「子供の結婚相手であり、身内となる可能性があるのだから(あるいは身内となったのだから)問題ない」と言い出す人もでてくるでしょう。結果として「同和問題」に行き着くことになります。
また子孫は複数・多数にわたりますから....結果的に「広く公開する」ことに繋がっていきます。
現段階ではあきらめるしかありません。

Q農民の家紋使用はいつから?

家紋が必要なのは主に紋付きを作るときかと思います。
ならば、紋付きなど着なかった江戸時代の農民には家紋がなかったのでしょうか?

それとも、苗字と同じように、使わなくても我が家の家紋はコレ!と決まったものがあったのでしょうか?

江戸時代に農民が家紋を使っていた証拠となる文献をおご存じでしたら教えてください。

建造物や墓石に家紋がある、というのでも結構です。

または、明治以降になってこうして家紋を決めた、という資料でも結構です。

Aベストアンサー

日本における紋章は、苗字と共に受け継がれた「家」との関係を表わすもので、称して「家紋」と呼んでいます。
また衣服に紋章を付ける用い方は、日本独自のもので、他の国には見られないようです。
家紋には、自然物からの描写である雲・波・草花、扇面・亀甲や文字を意匠化したものまであり、現在では5000種類、一説によれば2万種類もあるといわれています。
家紋をつける風習は、平安時代の中頃、公家が自分の牛車や調度品に本人や家の好みの文様を付けたことから始まったといわれています。実際着物に家紋を付け出したのは、足利時代以後のようです。その頃の紋は男性のもので、女性が紋を付けるようになったのは、江戸時代中頃になってからのことのようです。そのころから「女紋」が作られ、男性の紋と区別するようになりました。
身分に関係なく、どの家でも自家の紋を持つようになるのは明治になって、一般庶民にも苗字が許されるようになってからのことです。
ただ、それ以前でも苗字帯刀を許された一部の豪農は武家を真似て家紋を使用していたようです。また商人は、所謂「屋号」としての紋章は使用されていました。

日本における紋章は、苗字と共に受け継がれた「家」との関係を表わすもので、称して「家紋」と呼んでいます。
また衣服に紋章を付ける用い方は、日本独自のもので、他の国には見られないようです。
家紋には、自然物からの描写である雲・波・草花、扇面・亀甲や文字を意匠化したものまであり、現在では5000種類、一説によれば2万種類もあるといわれています。
家紋をつける風習は、平安時代の中頃、公家が自分の牛車や調度品に本人や家の好みの文様を付けたことから始まったといわれています。実際着物に家紋を...続きを読む

Q過去帳を写してくれたお寺へのお礼の額について

家系図を作ろうと思っています。お寺のご住職に「過去帳を見せていただきたい」と申しましたら、「私が作ります」とのお話でした。いろいろな事情があって檀家にも見せないようになってきていると聞いたことがありますのでやむおえないと思っています。この場合ご住職が書き写したものをいただけるものと思いますが、そのお礼の額は一般的な範囲でどのくらいお渡ししたらよいものでしょうか。多いほど良いことは承知していますが、決して裕福でもないのでご住職の労力を勘案して失礼の無い程度のお礼をしたいと考えています。ちなみに宗派は曹洞宗で地域では古刹です。

Aベストアンサー

こんにちは。。

 仏式の祭式に関する仕事をしています。私自身はお坊さんではありませんが、お寺さんと接する機会が少なからずあります。

 昨今、お寺の過去帳を元にご先祖様や家系を調べようとされる方が増えているそうです。
 確かに個人情報の塊みたいな過去帳は、簡単には見せていただけないでしょう。たいていのお寺さんはそういう対応のようですね。
 
 さて、お礼ですが、どれぐらいの手間がかかるかによって異なるでしょうね。だいたい以下の点にご留意いただければ、と思います。
 お寺さんからご説明があったかもしれませんが、ご質問の文面から、質問者さんの依頼の詳細がわかりにくいので、少し長くなりますがいろいろなケースを記してみます。(補足いただければ、数日かかるかと思いますが、自分が知る限りのことは再度アドバイスできると思います。)

 まず、お寺さん側の事情ですが、お寺の過去帳の記述形式によって、お寺さんの手間がかなり変わります。家単位で故人を振り分けた過去帳が昔から作成されているなら、ご質問者さんの家の分を書き写せばそれで済みますが、江戸時代は一般人に姓はありませんでしたから、お武家さんか、苗字帯刀を許された家などでないと、それほど古くから家単位に分けたものはないでしょう。その場合、膨大な過去帳の中から一人づつ探していかないといけなくなり、かなり手間がかかります。
 そうなると、お願いする側がどれぐらいの人数を調べようとするのか、どれぐらいの情報を提供できるのかで、調べやすさは変わってきます。年代順に檀家さんが亡くなった順番で記述してある過去帳の場合、没年月日がわかると格段に調べやすくなります。反対に、戒名しかわからないとか、とにかくウチに関係ありそうな人を調べてとかいう依頼は、とたんに調べにくくなります。
 江戸時代の俗名の表記は職業や地名の次に名前が書いてある(○○の何衛門)という形式で書かれていることが多いと思うので、かつて自分の先祖がどのように呼ばれていたかがわかれば、より正確な調べができると思います。

 調べやすいケースの場合、そのお寺で法事を依頼された場合の御布施程度、数名調べていただいただけならそれ以下でも構わないかな、と思いました。
 調べにくい場合は、ケースバイケースですね。情報が少ない上に人数が多いとなると、お寺さんは相当難渋されると思います。ご法事のお布施の2倍程度は必要かな、と思いました。(お寺さんにお聞きになると、たぶん遠慮されて、あんまり高くはおっしゃらないと思いますけど。それでも古い過去帳を調べるのは結構たいへんそうですよ。古文書を読むみたいに文字を判読していかないといけない場合もあるそうです。)

 それと、蛇足ですが、お寺でも案外古い年代までわからないことがあります。お住まいの地域での葬祭が、昔どのように行われていたか、あるいはお寺に荒れた時期があったり、火事にみまわれたことがあったりする場合等によって、お寺に残っている記録の古さはかなり異なります。(お寺自体の歴史の古さと記録の古さは関係ない場合もあります。)
 ご参考になればよいのですが。では。

こんにちは。。

 仏式の祭式に関する仕事をしています。私自身はお坊さんではありませんが、お寺さんと接する機会が少なからずあります。

 昨今、お寺の過去帳を元にご先祖様や家系を調べようとされる方が増えているそうです。
 確かに個人情報の塊みたいな過去帳は、簡単には見せていただけないでしょう。たいていのお寺さんはそういう対応のようですね。
 
 さて、お礼ですが、どれぐらいの手間がかかるかによって異なるでしょうね。だいたい以下の点にご留意いただければ、と思います。
 お寺...続きを読む

Q江戸時代以前の先祖を調べたい

こんにちは。
先祖調査にめざめ、江戸末期生まれの曾祖父まで調査することができました。
この曾祖父が戸主だった戸籍までは手にはいったのですが、それ以前のものは役所にはないそうです。
本籍住所は載っているのですが、この先はどのようにして調べればいいのでしょうか?
特にご経験者の方、アドバイスをお願い致します。

Aベストアンサー

こんばんは。

除籍謄本をお取りに成ったのですか?

前の方がおしゃられるように、図書館で、祖父の本籍地の家系、郷土史等の書籍を参考にする事は有意義だと思います。また、お寺の過去帳も有力ではないかと思いますが、両方調べて見てはいかがでしょうか?

○曾祖父の本籍住所に最寄の宗派の同じお寺に出向き、自分の苗字と同じ氏を探し、死亡年月日、位牌の戒名、享年を照らし合わせる事もできます。そのお寺が明治以前からあることが前提で、しかも過去帳が現存している事が必要です。たまに紛失(天災、戦火等の為)している場合もあります。

○過去帳が現存しない場合は、お寺の墓所で、江戸時代以前の墓石をさがし、戒名、または名前でお墓を探します。戒名等がない場合は、「○○村光衛門(架空)」と何処かに記載されている場合も有ります。

○尚、明治3年に平民苗字許可令が発布され、誰もが苗字を持てるようになりました。
注意しなければないのは、自分のご先祖さんが「氏姓」を持っていなかった場合、地域の識者・聖職者の方に、自分の好きな苗字をつけてもらって居る事になります。家紋も任意の物になります。明治以後の氏は江戸時代以前の氏と区別しなければなりません。過去帳と照らし合わせる必要があります。

◎『屋号』がわかれば、屋号で辿れば作業が一段と早くなります。お寺で「○○(屋号)」の家系を過去帳から探せばよい事になります。しかし、明治初頭から士族でも、商家や一般人のように屋号をもち、「○○屋の光衛門さん」とふうに呼ぶようになった地方も多いです。つまり屋号を辿れば、苗字帯刀を許されていても居なくても、先祖を辿る事ができる場合も有ります。墓石、石碑で遡る場合も、墓石に屋号が彫られている場合があり、先祖の墓石を辿るのに一役買います

○地方自治体刊行の郷土史の本の場合は、「○○家(屋)は○○藩○○付近から移住した家系である」と載っている場合が多いです。

参考になれば良いのですが。

こんばんは。

除籍謄本をお取りに成ったのですか?

前の方がおしゃられるように、図書館で、祖父の本籍地の家系、郷土史等の書籍を参考にする事は有意義だと思います。また、お寺の過去帳も有力ではないかと思いますが、両方調べて見てはいかがでしょうか?

○曾祖父の本籍住所に最寄の宗派の同じお寺に出向き、自分の苗字と同じ氏を探し、死亡年月日、位牌の戒名、享年を照らし合わせる事もできます。そのお寺が明治以前からあることが前提で、しかも過去帳が現存している事が必要です。たまに紛失(天災...続きを読む

Q家系図を見たら先祖の親と子の名前が一緒です

先日我が家から戸籍謄本が見つかりました。
そこに天保生まれの先祖の名前があるのですが、その親もその方と同じ名前です。
つまり父親と息子が同じ名前なのです。
こういうことは江戸時代あたりはよくあったことなのでしょうか?
家族に聞いてもそこまで前の先祖のことはわからないらしく気になっております。
詳しい方がいらしたらぜひ教えて頂きたいです。
ちなみに家は山形県で、明治19年式の戸籍謄本だと思われます。
何卒よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

こんにちは。

私は戸籍には詳しくないのですが一通りの戸籍を取寄せてみまして50通以上入手でき
そのいくつかは明治19年式の戸籍です。

質問者さんと同じように戸主の父が戸主と同じ名前だったものもいくつかあります。
表現が正しくないかもしれませんがいわゆる屋号といったものではないでしょうか。
家督襲名ということなのかもしれません。
古い家系図をみますと名前(俗名でしょうか)のほか幼名、改名、家督など
一人一人にもたくさんの名前が書かれています。

明治3年に平民苗字許可令、明治8年に平民苗字必称義務令がありますのでこれの影響でしょうか。
表向き江戸時代は苗字が貴族及び武士、そして庄屋や名主などの一部有力庶民に限られていた
ということですが実際にはあった方もいるみたいですよね。
私の持っている戸籍で前戸主(父)と同じ名前なのも明治19年式のもののみでした。
戸籍への記載もその土地その土地の習慣などもかかわってくるのかもしれません。

ちなみに私の先祖の同じ名前の父子ですがお寺の位牌から実際の名前は別にあったことがわかりました。
ですので、質問者さんの戸籍もややこしい親子関係ではなく単純に屋号的な名前を
受け継いだと考えるのが一般的だと思います。
もし気になるのでしたら菩提寺でご住職に尋ねるか過去帳を見せてもらってください。

余談ですが現在では同一の戸籍内(両親が同じ場合)で同じ字の名前はつけられませんので
父の名前を子供につけること(旧字を含めて同じ漢字)は不可能です。
(出生前に父が亡くなるなど除籍されていれば可能かもしれません)
法律で規制されておりますのでお間違いなく。

こんにちは。

私は戸籍には詳しくないのですが一通りの戸籍を取寄せてみまして50通以上入手でき
そのいくつかは明治19年式の戸籍です。

質問者さんと同じように戸主の父が戸主と同じ名前だったものもいくつかあります。
表現が正しくないかもしれませんがいわゆる屋号といったものではないでしょうか。
家督襲名ということなのかもしれません。
古い家系図をみますと名前(俗名でしょうか)のほか幼名、改名、家督など
一人一人にもたくさんの名前が書かれています。

明治3年に平民苗字許可令、明治8年に平民苗...続きを読む

Q江戸時代に名字(姓)を持っていた農民、商人はいましたか?

江戸時代まで名字(姓)が許されたのは、貴族、武士だけだと学校では習いました。一般庶民が名字を持つようになったのは、明治時代からだと思いますが、本当に江戸時代に名字を持っていた農民、商人はいなかったのでしょうか?

一部の有力な農民、商人の中に名字を持つ者はいなかったのでしょうか?もしいたら、それはどういう理由から持つことを許されたのでしょうか?

ご教授願えませんか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「誰でも苗字は持っていたけれど公的には使えなかった」というのが私の見解です。(全く持ってなかった人もいたとは思いますが)
その証拠のひとつに江戸時代の墓を見てください。俗名は苗字付きで書いてあるはずです。その他、手紙など私的な文書には使用は可能だったでしょうが、売買証文など公的なものはだめでした。
藩に多額の献金をするなどの功績があると苗字が御免になることがあります。庄屋や大商人にも許されていますが、庄屋とか大商人という理由だけで許されたわけではないようです。古文書を見ると苗字なしで署名している庄屋もいます。
その許され方も「一代限り」とか「永代」といった区別がありました。
商人は一般に「屋号」を使いますが、苗字が使えないのでその代わりに屋号で呼びあったという研究者もいます。
教科書に書いてあるような江戸時代の「常識」はいい加減なものですね。私もあきれています。

Q江戸時代の戸籍謄本を入手する方法は?

私の家の家系図を作成する計画です。その為の参考資料として戸籍謄本を利用したいと思います。

私を起点として、私の祖先(配偶者含む)の名前と生年月日、没年月日、結婚又は離婚の年月、養子縁組の年月、祖先の親の氏名などを世代を遡って把握します。また父母、祖父母、曽祖父母に関する事項だけでなく、彼らの兄弟姉妹に関する情報も必要になります。そこで質問です。

質問(1)今の役所で保存されている戸籍の原本では、祖先の系譜をどの頃まで遡ることができるのでしょうか。明治の初めまででしょうか。

質問(2)(この質問の方が重要ですが)仮に遡る限界が明治初期の場合、それ以前、つまり幕藩体制時代の戸籍についての記録は、どこで保存されているのでしょうか。(ちなみに私の祖先は愛知県知多郡におりましたので、「尾張藩」です。)菩提寺の過去帳では戒名は分かりますが俗名が分からないのです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

質問の答が分からなくても、質問の答を見つける方法をご存知でしたら教えて下さい。(どの役所に聞いてみる、とか、どこの歴史資料館で捜す、とか、ホームページとか。)

私の家の家系図を作成する計画です。その為の参考資料として戸籍謄本を利用したいと思います。

私を起点として、私の祖先(配偶者含む)の名前と生年月日、没年月日、結婚又は離婚の年月、養子縁組の年月、祖先の親の氏名などを世代を遡って把握します。また父母、祖父母、曽祖父母に関する事項だけでなく、彼らの兄弟姉妹に関する情報も必要になります。そこで質問です。

質問(1)今の役所で保存されている戸籍の原本では、祖先の系譜をどの頃まで遡ることができるのでしょうか。明治の初めまででしょうか。...続きを読む

Aベストアンサー

ご自身が含まれる戸籍は自由に入手は可能ですが、いくら親兄弟であっても戸籍が別となっていれば、正当な理由や権利が無ければ入手できません。
相続や先祖を祀るなどの理由があれば直系であれば入手は可能でしょう。
それぞれから委任状などを得る必要があると思います。

1については、戸籍によって保存期間があり、既に処分されているものもあるようです。自治体によって法律上の保存期間を超えても処分していない役所も多いと思いますので、それぞれの役所へ確認しましょう。私の地元の役所では江戸時代ぐらいのものはまだあるようです。

2については、役所の戸籍でわからず、寺などの過去帳でわからなければ難しいでしょう。

戸籍謄本は自分との関係を証明しながら取る必要性がありますので、ご自分や親の戸籍から遡って、わかる範囲で戸主の名前で請求するようになるでしょう。縁故者の協力状況によっては、遡るにも限度があると思います。
行政書士などは職権で戸籍謄本などの入手が可能な為、一部の行政書士などが家系図作成を請け負っている場合などもあります。

私自身、家督相続時代を含めた相続手続き(登記)を行った際、遡るのに結構大変でした。

頑張ってください。

ご自身が含まれる戸籍は自由に入手は可能ですが、いくら親兄弟であっても戸籍が別となっていれば、正当な理由や権利が無ければ入手できません。
相続や先祖を祀るなどの理由があれば直系であれば入手は可能でしょう。
それぞれから委任状などを得る必要があると思います。

1については、戸籍によって保存期間があり、既に処分されているものもあるようです。自治体によって法律上の保存期間を超えても処分していない役所も多いと思いますので、それぞれの役所へ確認しましょう。私の地元の役所では江戸時代...続きを読む

Q父の戒名について

お世話になります。
6年前に亡くなった実家の父の戒名について、どうしても解らないことがあります。
父の両親(祖父母)の戒名は院居士(9文字)を頂きました。父は祖父母と同じく院居士を頂いたのですが、11文字あります。
これには何か意味合いがあるのでしょうか?9文字でも11文字でも院居士なら同じなのでしょうか?
(戒名を頂く前に、「何かお父様がお好きだった漢字などはありませんか?」と訊いて下さいましたので、好きだった漢字は伝え、入れていただきました。)
親戚には「すごい、11文字の戒名なんてなかなかつくもんじゃない」と言われました。(言われてみれば、私も見たことがないです)
そして、もう一つ、非常に下世話な疑問で申し訳ないのですが、祖父母が亡くなり、院居士を頂いた時は、結構な額のお布施を包んだ・・・と言うような話を両親から後々聞いたことがありました。しかし、父の時は、正直、「えっ?そんな額で付けていただいて良いのでしょうか?」と聞きそうになるほど(実家も、決して裕福ではないので助かりましたが)の額だったのですが、基準があるのでしょうか?
因みに代は代わっていますが、同じお寺さん(代々お世話になっている菩提寺)です。
以上宜しくお願いいたします。

お世話になります。
6年前に亡くなった実家の父の戒名について、どうしても解らないことがあります。
父の両親(祖父母)の戒名は院居士(9文字)を頂きました。父は祖父母と同じく院居士を頂いたのですが、11文字あります。
これには何か意味合いがあるのでしょうか?9文字でも11文字でも院居士なら同じなのでしょうか?
(戒名を頂く前に、「何かお父様がお好きだった漢字などはありませんか?」と訊いて下さいましたので、好きだった漢字は伝え、入れていただきました。)
親戚には「すごい、11...続きを読む

Aベストアンサー

天台宗の僧です。さて、そもそも仏教とは現実と論理に立脚したを宗教ですから「下世話な疑問」こそ、その本質に触れるものと考えられます。ご質問ありがとうございます。

ご質問の骨子である「戒名料」の基準についてですが、これには地域性により多寡があります。一般的に都市部のほうが高額相場です。また葬儀の「お布施」を一括でみている寺院と、戒名料と法要への布施とを別にしている寺院もあるようです。ついでながら「寺格」なんてものもありますね。
私は葬儀のお布施については「いわゆる戒名料、枕行・通夜・葬儀・荼毘・初七日のコミコミで100万円」と率直に申し上げます。ただ、あくまでも基準額であって檀家さんの葬儀をするのは住職の義務ですから、その多寡に関わらずきちんと務めます。また院号居士・院号信士の場合、基準額よりも割増でお話しますので私一人ではなく、二人もしくは三人で法要を行ないます。(一緒に法要をしていただく僧侶の方には、お礼をお支払いします)
なお、檀家総代・世話人の許可がなくては、いかな高額の戒名料を申し出されても院号や居士号大姉号はつけない、という地域もあると聞いています。

寺院ごとの基準があるとすれば、先祖代々の院号格の家だからとか、総代・世話人だったからとか、年回法要のお布施が多めだったとか、どちらかといえば主観的なものでしょう。毎朝掃除をしてくださって、それを檀家さんたちが知っているなどというのはわかりやすいですね。
興味深い実例として、たとえば「寄付・布施の金額5万円につき1点」と基準を設け「100点以上で院号」などという客観的基準を設けておられる寺院も存在します。……基準を設けるにあたって、檀家さんたちと数年にわたり協議をなさったそうです。

なお院号が普及したのは、明治以降に戦死者(英霊)に院号をつけるようになったことといわれています。国家に貢献したということですね。また高度成長期からバブル期の社葬において「立派」な戒名を求めるようになり「戒名料」という概念がでてきたともいわれています。この場合は、#4さんが「没後において、寺院に対して一定の金銭的な貢献を行った者」と表現なさったとおりでしょう。

余談ながら、当山は首都圏都市部にある檀家300軒規模の寺院ですが、院号居士格と院号信士格の檀家さんは合計で30軒前後でしょう。さまざまな類推の参考になさってください。

天台宗の僧です。さて、そもそも仏教とは現実と論理に立脚したを宗教ですから「下世話な疑問」こそ、その本質に触れるものと考えられます。ご質問ありがとうございます。

ご質問の骨子である「戒名料」の基準についてですが、これには地域性により多寡があります。一般的に都市部のほうが高額相場です。また葬儀の「お布施」を一括でみている寺院と、戒名料と法要への布施とを別にしている寺院もあるようです。ついでながら「寺格」なんてものもありますね。
私は葬儀のお布施については「いわゆる戒名料、枕...続きを読む


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