
たまたま実家に帰ったときに過去帳を見つけたのをきっかけに、家系調査をやってみようと思いつきました。戒名から、先ず調べようと思い調べてみたところ疑問が出てきましたので皆様に御質問させてください。
過去帳の情報
宗派は曹洞宗です。過去帳に載っている、最も古い御先祖様は元文5年(1740年)没でした。この御先祖から、30年ごとくらいに10代分載っています。
※庭にある祠?の中にあった木(8角形で20cmくらいの木の棒)には、戒名と宝永3年(1707年)という記載がありました。庶民が家に仏壇を奉り、先祖供養をするようになったのは、元禄時代1688~1704年くらいからだそうで、当時としてはハイカラな家だったのかもしれません。
最初のご先祖様の戒名は位号が耕司(6文字)となっていて不自然です。その次の代は禅定門(6文字)となり、以降2代が居士(6文字)。次に、明治に入って明治12年に「玉實もしくは、玉宝」という軒号がついて9文字居士、明治5年没のご先祖様は院号で9文字居士(記載の順番が逆になっておりこのような書き方です。)以降は9文字院号居士の戒名です。
以上から、ご先祖様についての類推をしています。私は、2代目の禅定門の方以降居士となっているので、2代目が出家か何かして徳を得て以降居士となり、明治に入り、当時恐らく裕福だった御先祖が寺にお布施をして院号をもらったのではないかと考えております。
長々と駄文申し訳ありません。本題の疑問です。
(1)調べたところ文久の時代くらいに、徳川家が法令で農民町民に居士をつけることを禁じたとなっていますが、代々農民と聞いている御先祖に江戸時代中期に居士がついています。これは、田舎だから法令があまり適用されていないということでしょうか。それとも、一応、私の家の苗字の鎌倉武士が近くにかつて存在し、調べたところ江戸時代には帰農していたとの事なので元武士ということで居士をつけていただいたのでしょうか。
(2)明治初期のご先祖様に一人、「玉實もしくは、玉宝」(二つ書いているのは前者が過去帳、後者が仏壇に書いてあったからです)という軒号がついているご先祖様がいるのですがこれは、単に金持ちだと言うことを示しているのでしょうか。
何でもいいので教えていただけないでしょうか。また、過去帳の情報から別の推測があるかたは教えていただけないでしょうか。長文、重ね重ねすみません。
A 回答 (1件)
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No.1
- 回答日時:
>代々農民と聞いている御先祖に江戸時代中期に居士がついています。
これは何ら不思議な事ではありません。
江戸中期以降、一部の豪農、豪商と言われる人々が支配者と同等の墓を建立するようになりました。当然、居士を用いています。
幕末、幕府は墓の規模・戒名等を制限しましたが効果が無かったようですね。
江戸時代、幕府の政策よりも(実際には)各藩の政策が優先していた事実があります。
>軒号がついているご先祖様がいるのですがこれは、単に金持ちだと言うことを示しているのでしょうか。
戒名としては院号につぐ称号とされです。
菩提寺に対して、莫大な援助を行ったのでしようね。
苗字帯刀を許された豪農だったのかも知れません。
「玉實」という軒号から、小田原などの地名が推測できますね。
まぁ、字・大字地名の場合もありますが・・・。
参考になりましたありがとうございます。確かに、私が子供のころには特にお金持ちという感じではなかったのですがのに庭は立派なので、還暦になる父に聞くと、父の子供の頃までは比較的大きな家だったそうなので嘗ては庄屋だったのかもしれません。時間が出来たら菩提寺に改めて過去帳を見せてもらいにいってお話を聴かせていただこうと思います。
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