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奈良時代には、納税は自分で都まで納めに行っていたと聞いていますが
畿内ならまだ理解できますが、越とか下野・下総等からも下級層の「民」と
云われる人たちが、自分の足で収めに来ていたのですか?

A 回答 (3件)

このような制度を「運脚(うんきゃく)」といいます。

税のうち「庸」「調」は、都まで国司に引率された農民の手で運ばれました(「租」は国衙の費用に充てるために、国衙に蓄えられます)。ただし、全農民ではなく、国司に選ばれた運脚夫(脚夫)と呼ばれた農民だけでしたが、運脚は全ての農民の義務でもありました。また、食料等は自弁ですので、途中で行き倒れになったり、逃亡した運脚夫もあり、農民にとってかなりきつい負担だったようです。
なお、「延喜式」には国別の運脚の日数が記載されています。それから見ても全国から農民が自分の足で運んでいます。

以上、参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
納得しました

お礼日時:2011/03/21 20:44

うろですが


・いったん国司なり郡司なりのところに集める
・そこから農民の代表が都に運ぶ
とか, じゃなかったかなぁ.... さすがに「みんなが運ぶ」ことはしないはず.
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
さすがにそうでしょうねぇ。
でも、運ぶための費用は納税者持ちだったときいてますが、
いつの世も底辺層は大変ですね。

お礼日時:2011/03/04 18:14

>自分の足で収めに来ていたのですか?



普通に考えると、現地に役人がいて、
そこでまとめて運んでいたものと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり、農民の代表とかなんでしょうかね?
手弁当だったという話ですが、「講」のように
みんなで費用を出しあってたんでしょうか?
また質問してしまいました。すみません

お礼日時:2011/03/04 16:27

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