あなたの習慣について教えてください!!

小和田哲郎監修の“戦いの作法”を読んでいます。
戦国のおんな武者について、次のように書いております。
<残念なのは、手柄をほめる「感状」を女性に送る習慣が戦国時代になかったこと。こうした文献があれば、もっと多くの女武者が後世に名を残していたからもしれない。>
なぜ、戦国時代に、手柄をほめる感状を女性に送る習慣がなかった、のでしょうか?

A 回答 (3件)

類推ですが・・



感状は鎌倉時代から存在し、主君クラスの上位者が武勲を立てた功労者に贈るもので、直筆・花押という公文書的性格の強いものであったようです。これが戦国時代のような下剋上の時期になると、感状は「推薦状」としての機能も果たすようになり、戦に敗れて主君が死亡し、浪人になった時などにも「これだけの感状をいただいているので、私を召し抱えると有益でしょう」という売り込みに使えたはずで、というよりそのために感状は発給されたとみるべきでしょう。

今でいえば勲章のようなものであり「その人の実力をそのまま示すもの」だったといえます。

戦国時代は女武者が全体の3割程度居たのではないか、と推測されています。それも有力な武将レベルではなく足軽などにも結構いたようです。

これは農民の生活が「領主と盟約を結ぶ安全保障」だったからです。個人の土地の所有権を領主が保障する代わりに、戦争時には庄屋クラスが地域の農民を連れて参戦する約束をしていて、農民個々人の家から男性を出せない場合には女性が替わりに出ていた、と考えられています。

秀吉の刀狩以降は、農民と武士を分離させ、職業軍人と職業公務員である武士と農業を主体とする農民を分離させ、同じ家系でも武家と農家に分かれて行くのですが、それ以前は武家と農家が未分離で、農家の後継ぎになれない次男以降は「武功を立てて職業軍人になりたい」という人がおおかったのです。

感状はこれらの「跡継ぎになれないのだから、軍人として成り上がりたい」という人々の求めに対して「武功を証明する」ものだったといえます。

女性は武功はたてたとしても「職業軍人」になる道はありません。参加は、あくまでも「男が出せないため」だったわけです。となれば女性に感状を出しても役に立たないので、出さなかったと考えるのが自然だと私は考えます
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
まず<戦国時代は女武者が全体の3割程度>なのですね。多かったのですね(私には)。男性が戦場に出られない場合、証として替わりに出陣することもありうるのですね。
感状は、単なる武功を表しているだけでなく、職業軍人仁なりたい人たちに、
<「武功を証明する」もの>だったのですね。
女性は職業軍人にはなれないのだから、感状は必要がない、のですね。

お礼日時:2018/11/21 14:30

女性は戦場に出なかったから

    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<女性は戦場に出なかった>のですね。

お礼日時:2018/11/21 14:05

多くの女武者が後世に名を残していたからもしれない。

・・クスリ!?
古代神代の昔から、女性には月々生理がきますが、戦国時代はどうしていたと思いますか??パンツなどはもちろんありません!!!

所詮、小説の与太話・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご尤もです。

お礼日時:2018/11/28 19:29

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報