あなたにとってのゴールデンタイムはいつですか?

彼女の声の記憶「は」春の星のように甦る電話口

⇒「は」を「の」に替えて、

彼女の声の記憶「の」春の星のように甦る電話口、

は文法的に間違いありませんか。

 y/nの理由を詳しくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    No2. gootarohanako さんの

    ご回答を参考にすると、例文の動詞、「甦る」は終止形ではなく「電話口」を修飾する連体形、であれば「彼女の~甦る」は「電話口」を修飾する形容詞節であり、文法的に正しいことになると考えます。どうでしょうか?

      補足日時:2023/03/16 18:34

A 回答 (4件)

主格をあらわす「が」の代わりに「の」が使われる場合があります。


たとえば、「わたしが住む家」の代わりに「わたしの住む家」というのは完全にオーケーです。つまり、英文法でいう形容詞節の中で使われる主格の「が」は「の」で置き換えることができる。
彼女の声の記憶「が」春の星のように甦る電話
なら、
彼女の声の記憶「の」春の星のように甦る電話
としても意味は同じです。「彼女・・・甦る」が「電話」にかかる形容詞節ならばという意味です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そのような意味での「の」です。。

お礼日時:2023/04/24 15:46

No2です。

わたしは「が」が形容詞節で使われるときはほとんど問題の場合、問題なく「の」に置き換えられるといいましたが、「は」は別です。「は」や「も」も主格を示すのに使われますが、「は」は格助詞ではなく、強調あるいは区別を示す「副助詞」です。たとえば、「私が住む家」とはいいますが、「私は住む家」とはいいません。
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文法的にはどうか知りませんが表現としてはダメね。


音大大学院トップの成績の声楽家、本場ヨーロッパから来日の先生に聞いてもらった、感想「上手だわー、でも駄目ね」、だったとか、「素晴らしいわー」であれば、「でも駄目ね」はなかったのでしょうね、文法上、他人の真似としては、「上手だわー」、かも知れません。
確かに、我が家→我の家、ですね、でもどんな場合でも・・・というものでもありません。
「記憶」を修飾するのは「春」単独ではなく「春の星のように」の文節ですね。
記憶の春、なんて表現は聞いたことありません。
一つの語が直前の語の修飾語の場合は、いくつでも連ねても不自然ではないのかな。
修飾関係がいったん途切れると、すべて興ざめになります。
秋の日のビオロンのため息のひたぶるに・・・・・。
外国の詩の日本語訳ですね、名訳と言われているらしい。
では、上の詩で「の」を「が」に置き換えるとして、どの部分が適当か判断できますか。
個人的には、秋の日のビオロンがため息のひたぶるに・・・。
冒頭で示した、「我の家(われのいえ)」と「我が家(われがいえ)または(わがや)」、受ける感じが同異なりますか。
我の家→単純な描写、そのまま?
我が家→何かの思い入れ?を感じます、家族が待つ(楽しい我が家)、苦労の末手に入れた・・・その他。
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n


甦る電話口は・・・と続く。
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