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戦後、華族の制度は、なぜ廃止されたのですか?貴族院を残すという議論は、なぜ起きなかったのですか?余談ですが、昭和天皇は、「堂上華族だけでも、なんとかならぬか。」と言ったそうです。

A 回答 (2件)

戦後の統治案は、概ねGHQ主導で進んでいたが、米国議会は昭和天皇を戦犯として処刑するのが当然という雰囲気が強い状況だった。



そういう状況下で、民主的選挙を経ない貴族院廃止は当然の方向として、戦後の日本統治を円滑に進めるためには昭和天皇を象徴天皇として存続させることが絶対的に必要なことを本国に納得させることにGHQは苦労していた。
GHQが作成した現行憲法案は、マッカーサー自身が政治力を発揮し、米国政府と議員たちの説得に直接当たってようやく承認にこぎつけたものだ。

そして、象徴天皇制においては民主選挙で選ばれた内閣がすべてを主導することが当然であり、華族は邪魔なだけの存在とみなされた。だから華族制度は廃止され、貴族院も廃止された。

華族制度や貴族院の存続については、当然ながら日本側では大いに議論されたが、昭和天皇が象徴天皇制を拒否しなかった時点で、日本側も華族制度と貴族院の廃止は是非もないということで決着した。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2023/05/03 09:44

日本の華族制度は、第二次世界大戦における日本の敗戦に伴い、連合国軍によって廃止されました。

日本は、敗戦によって占領下に置かれ、アメリカや連合国軍主導のもと、新しい民主主義国家の建設が進められました。その一環として、日本国民の平等と尊厳を重んじる憲法が制定され、華族制度は、その理念に反するものとされ、廃止されたのです。

また、貴族院についても、同様に廃止の声が上がりました。しかし、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導のもと、1946年の憲法制定に際し、貴族院は廃止され、一院制の国会が設置されました。この際、貴族院を残すことに関する議論はほとんどされず、旧来の身分制度と一緒くたに批判され、廃止されたとされています。

その後、昭和天皇の発言にあるように、堂上華族(皇族など特定の華族)だけを残す案があったそうですが、GHQからは反対され、実現しませんでした。

以上のように、日本の華族制度や貴族院は、連合国軍主導のもと、新しい民主主義国家の建設にあたり、廃止されたとされています。
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