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敗戦後からは、自民党と社会党と共産党と民社党などがありましたが、有権者の中で一番多い経営陣以外の労働者は、マルクス思想には共感できないけれど、単に労働者や弱者の味方の政党だと思って社会党や共産党を支持・投票してきた労働者が多いという事で良いでしょうか?

だから社会党政権は短期間だけど1回政権与党になった事もあるという事で。

そして、有権者の中で一番多い経営陣以外の労働者の中でも、マルクス思想は嫌いだし社会党や共産党より国民の為の政治を行ってくれるのは自民党と考えて自民党を支持・投票して来たから、ほぼ自民党政権が続いてきたという事で良いのでしょうか。

自由党と民主党が合併したから、マルクス思想を毛嫌いする有権者は、自民党の一択しかなくなったから自民党を支持・投票し続けたという事になるのでしょうか。

A 回答 (3件)

概ね方向性としては間違っていない。


しかし、マルクス思想は学生と労働者の中でも若者には人気があった。大学はマルクス経済学が大人気で、後にガチガチの保守財界人、マスコミ論客になった人々の多くはマルクス思想にかぶれまくっていた。
当時のマルクス思想は世界最先端思想で若者を中心に大流行していたのだ。

ただ、マルクス思想を奉じる日本共産党が政権を取れるほど国民的大人気だったかと云えば、お説の通り少数派だった。
戦後まもなくは農地改革で自作農となった農民、元々自作農だった農家や開業医や一般の自営業者は依然として保守的であったし、労働者も管理職を中心に保守層は多かった。

戦後まもなく社会党片山政権が成立したのは、改憲後の新憲法に準じた形で日本社会党が天皇制を奉じる社会主義体制を主張して保守層の一部も取り込めたからだ。日本社会党議員も穏健な右派から反共ではある比較的過激な左派まで大同団結して総選挙に臨めたことも大きい。

ご質問者は、日本社会党と日本共産党を同一視しておられるが、日本社会党はマルクス思想を奉じているわけではなく、むしろ天皇制維持と反共では自民党と同じだった。GHQも労働団体の結成に当たっては、共産党を排除し、日本社会党系の人材で労組を結成させていた。

片山内閣は、日本社会党の右派主導の内閣だったが、成立直後に左派が政策の違いに怒って脱党分裂してしまった。形の上では与党分裂が内閣退陣の原因だが、元々は行政経験のない人々ばかりで政権担当能力が無かったことが最大の原因だ。
日本社会党側もそれを知っていて、吉田茂率いる保守党と連立内閣を組もうとしたが吉田に断られてしまった。その時点で片山内閣の崩壊は決まっていたということだろう。

その後の日本社会党は、テロで暗殺された浅沼稲次郎などスター代議士を輩出し若者の人気を博して第二政党の座を長く保ったが、高度経済成長の中で徐々に力を失い、多くの国民にとっての受け皿が自民党しかなくなってしまったのはご指摘の通り。
マルクス思想を嫌う国民が多かったのは事実だが、それは日本共産党が排除された理由であって、他の左派系野党が没落したのはせ行政能力・政権担当能力が弱く信頼を失ったからだろう。それは片山内閣だけでなく、宇宙人と評された鳩山由紀夫などの民主党政権でも証明されている。
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敗戦後からは、自民党と社会党と共産党と民社党などがありましたが、有権者の中で一番多い経営陣以外の労働者は、マルクス思想には共感できないけれど、単に労働者や弱者の味方の政党だと思って社会党や共産党を支持・投票してきた労働者が多いという事で良いでしょうか?


  ↑
ハイ、基本的にはその通りだと思います。
あの頃は、労組が強かったですからね。
その影響もあったと思います。



だから社会党政権は短期間だけど1回政権与党に
なった事もあるという事で。
 ↑
はい、そして無能をさらけ出して
野党に戻った、ということで
民主党とよく似ています。
あれで、やはり、自民でないとダメだ
と考えた国民が多かったのではないですか。



そして、有権者の中で一番多い経営陣以外の労働者の中でも、マルクス思想は嫌いだし社会党や共産党より国民の為の政治を行ってくれるのは自民党と考えて自民党を支持・投票して来たから、ほぼ自民党政権が続いてきたという事で良いのでしょうか。
 ↑
祖父が言っていました。
労組が嫌いだ。
労組の言うことなど信用出来ない。
そもそも、社会主義になれば天国になる
なんて、誰が信じるかよ。
それは労組をみればわかるだろう。



自由党と民主党が合併したから、マルクス思想を毛嫌いする有権者は、自民党の一択しかなくなったから自民党を支持・投票し続けたという事になるのでしょうか。
 ↑
立憲政友会、立憲民政党を起源としており
戦前から連綿と続いている面があります。

長い歴史によって築かれた、根強い支持層
広い支持層が芯となり基本にある
からだと思います。
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>有権者の中で一番多い経営陣以外の労働者


少なくとも、戦後しばらくの間は、コレ違います。
当時の有権者の大部分とは、農家。
農家の場合、自作農は経営陣側で、小作農が労働者側。
戦後(農地解放後)は、基本的に自作農が主。

結論:
戦後しばらくの間、経営者と労働者にカテゴリ分けした場合、経営者が多数派である。
(零細企業の企業主も経営者であって労働者ではないことにも注意。)
よって、
労働者の投票では、そもそも決まらない、という時代がそれなりに続いた。
この間についても労働者の支持で政党が決まる、としていることが問題。
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