プロが教えるわが家の防犯対策術!

ご覧いただきありがとうございます。

汚い話ですが、うつ病や金欠など様々な条件が重なりお風呂に入らない日々が続いていました。
家のガスは止まってしまいお湯が出ません。
しかし、最近体調不良(胃腸が痛い、頭痛、肩こりなど)が続き、要因の一つに「お風呂に入ってない」があると思い、今日、近所の大きい銭湯に行きました。
湯船に十分つかり、サウナに5分くらい入り、海が見える窓から景色を眺めているだけでもかなり癒やされました。
自分は意識的に自分を癒すということを最近は特にすることを忘れていました。(忘れていたというより、そこまで効果ないだろと思っていました)
外で仕事をして、家にこもる日々が続きずっと退屈でマンネリ化していました。
ただ、今日銭湯に行ったことで「自分を楽しませる」「自分を癒す」ということは自分が思っているよりももっと重要なことだと気づきました。

これからは自分をもっと楽しませよう、大切にしようと思います。
最終的には今までの環境をガラリと変えることが目標ですが、お金がかかることも事実です。
今までずっとやりたかったことに手を出したいけれども、継続するにはお金がかかります。
また、科学的には物にお金を使うよりも経験にお金を使う方が幸福度が高くなると言われています。

そこで私自身、遠くに度に出た経験が少ないため、国内でも沖縄や北海道といった観光地、近場の海外にも行きたいと考えています。今のマンネリした生活を変えたいのですが、これをやったことがきっかけで充実するようになったことなどがあれば教えていただきたいです。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

ムリだと思う。


以上 参考になれば
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自分を楽しませるのに必要なのは、『 満足 』 と 『 自信 』 を大事にすることだと思います。



「『モノ』より『経験』のほうが高い幸福感が得られる」というのは正しいように思います。
私が言いたい 『 満足 』 とはその経験からくる幸福感のことで、『 自信 』 を醸成するような経験をすることがその幸福感をより高め、あなたの将来にいい効果をきっと生むと思います。



私は、学校ではある時1年遅れ、その後でまた1年遅れました。
社会に出てしばらくすると大病を患い、免疫力がないことから3ヶ月間無菌隔離病棟に入れられ、退院後も半年間自宅でリハビリと療養生活を強いられました。

全快してから医者から聞かされたのは、この命は地獄から拾い上げられたようなものだから大事にしろという言葉でした。
かかった病気は、死亡率が6割以上、仮に死ななくとも、残りの8割は全身麻痺のような重い後遺症になり、そうでなくても何らかの肢体不自由はあるものだったんだそうです。
軽い後遺症がないわけではないのですが、本人が少し感じる程度で外からはわかりません。

ずっと看病と生活を支えてくれたカミさんのことを考えると、さぞかし心細い思いをさせてしまったとも思い、感謝の気持ちしかありませんでした。

そんな経験から、社会復帰をしてからは生き方が変わりました。
『死ぬ思いの大病や怪我をすると生き方が変わる』と聞いたことがありますが、まさにそれでした。

どう変えたかと言うと、人に合わせるのをやめることにしました。
『他のみんながやるように』と言うのを止めたんです。
それと、『自分がしたいこと』をよく考え、それを優先させることにしました。

それまでの私は、なんとなく皆と同じようにすることが生きることだと思ってたと思います。
それを止めることにしたんです。

では何をすることにしたか。

趣味で培ってきた経験を生かして、「『こんなものが欲しい』と言われるものを実現して見せる」 ことを仕事にすることにしたんです。
いわゆる 『製品開発』 ですね。

「そんなもの、別にみんながやってるじゃん」 とおっしゃるかもしれません。

それはその通りですが、見方を変えるんです。
私は今で言う IT 系のエンジニアです。
だから、IT 企業に行けば私のような人ばかりで、『他のみんながやるように』 になってしまうでしょう。

でも、違う業界だったらどうでしょう。
今時、IT 技術は IT 業界でなくても不可欠です。
その業界の製品に使う IT 技術部分の開発の仕事なら、私が 『お山の大将』 になって働ける、と考えたんです。

そんなことから、私は IT 系ではない業界に身を転じました。
そこには、私が好きな 『 乗り物 』 を製造する業界を選びました。
仕事を、好きなものを作る業界で、欲しいと言われるものを作り出す、というものに変えたんです。

それと、もうひとつ 『自分がしたいこと』 をやりました。

『移住』 でした。

私が 『自分がしたいこと』 を考える中で、こんなことを考えていました。

  ・もっと勉強したい
  ・勉強したことを使ってみたい
  ・頑張りを正当に評価してもらいたい
  ・文化的でゆとりのある環境で暮らしたい

特に最初の3つについては、次のような 『 チエ・ウデ・ワザ・カン 』 を磨きたいなぁ、と考えてました。

  ・他の人がやらない 『 有益なこと 』 ができる
  ・他の人ができない 『 有益なこと 』 ができる
  ・『 有益なこと 』 で他の人より良い成果が出せる
  ・そんなことを証明できる実績を作れる

そこで考えたのが、アメリカに行きたいということでした。

そのためにはどうすればいいかは、いろいろ調べました。
それで分かったことは、それを自分でやるのは大変だ、ということでした。

なので、他の力を使うことにしました。
会社からアメリカに派遣してもらうのです。
仕事でアメリカに社員を派遣するような事業をしている 『乗り物メーカー』 を探し、その派遣の可能性のある仕事に就けるように、いろいろと調べ、探しました。
そうして苦節5年、その間に転職もし、なんとかアメリカに派遣してもらえるようになりました。

アメリカへの派遣は、当時働いていた日本の会社が、アメリカのある機関と新技術の研究開発を共同事業として始めるためというものでした。

その仕事は、それはそれで面白く、いろいろ勉強になることもありました。
しかし、そこでは別のハプニングがありました。

私とペアを組んだ現地の仲間が、私達との仕事以外にも業務を持っていて、それで大きな壁にぶち当たっているというものでした。
結論から先に言うと、その壁は私が独学で勉強していたことを利用すると克服できるというもので、趣味の世界で試したこともあったことから、私が彼に代わってその開発をやってやりました。
手間と時間がかかるものなので決して簡単なものではなかったのですが、何とかやり切り、彼にはそれなりの成果を出させてあげる事が出来ました。
私にとっては本来の仕事ではなかったので、自分の時間を使った趣味のボランティア仕事でやってあげました。

ただ、そのことは後々に大きなものになって返ってきました。
そんなことがあったのもすっかり忘れたころのある日、彼のずっと上の偉い方から呼ばれました。
行ってみると、彼の開発案件は期待を大きく超える成果を生んだそうで、その礼を言われると同時に、『好きなだけアメリカに居られるようにしてあげる』というご褒美をいただきました。

申し遅れましたが、私はプロファイルに記したような在米の隠居爺です。
今の私があるのは上記の結果です。

学校の学年が遅れ、大病でまた年を無駄にし、命拾いしたなどという経験から行きついたのは、このように 『頼れるのは自分だけ』 という考え方です。
それは自暴自棄でも我儘でもなく、自分に合った 『他の人と比べる必要はない』 世界を探し、そこで 『自分自身を大事に使う』 ということを、落ち着いて、マイペースでやればいいと私は思ってやってきました。

多分それで間違ってないと思います。
金持ちにはなれませんでしたけど、幸せそうな家族を眺めながら、文化的でゆったりした環境でのんびり暮らせるようにはなりました。
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本を読む。



たくさん本を読んでいると、そのうち良い本にであう。
良い本に出合うと人生変わるよ。
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図書館を有効活用すると良いと思います。

お金をかけずに本と音楽をたくさん聞けます。
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20分以上散歩をする。

音楽を聞きながら歩く。

最初は足を動かさないと行けないというプレッシャーが掛かりますが、意識が飛んで「いつの間にか長距離を歩いているという」状態に成ると可成り癒されています。相当効果があると思います。歌を歌う。またお風呂に入るというのも効果あります。

以下は長いのでゆっくりとお読みください。

私もうつ病がきつい時に同じように成りましたね。私の場合は真夏にシャワーが壊れてしまいお湯が出なくなりました。銭湯を探したんですが近所の古い銭湯はみな廃業していて焦りました。

健康ランドがあると知って急いでそこまで行きました。最初はイライラとしていたんですが、途中からさっぱりとしました。その後でオイルマッサージと言うのを受けてみたんです。これが凄く良かったですね。頭の芯から楽に成りました。セルフケアするための方法が動画でも出ていますね。割と値段が張るようなので気が向いたら程度でしょうか。

後は姿勢について気を付けています。

「他の何よりあなたを大切に思っています」

と体に言い続けることがうつ病を治すコツに思えます。

質問者さんが仰っていた様に「体を癒すことをしていなかった」と言うのが結構ありますよね。それを一歩進めると「貴方に仕えている事を忘れていました」となります。つまり体を奴隷の様に扱っていた事に気づいていないという事です。

「体様と言って自意識よりも体の方が主人であり、そこ
 に仕えるのが自分であると考える発想もある」

社会の中で充実した人生を送りたい場合は「体を主人と思う」ことをお勧めします。私はそうしています。例えば人間関係で悩んだとします。しかし、体が過労で悲鳴を上げていたら人間関係などどうでも良いはずです。体が自分の奴隷であるなら「体を酷使して社会における悩みを改善しよう」とするでしょう。酷い場合は肉体を傷つけて自殺すると脅すはずです。これは体をどう思っているのか本人の在り方を示していますよね。

「実は体の方が偉くて、俺たち自意識は彼らから愛情と
 信頼を受けて、肉体を守るための作戦立案や方針決定
 を委ねられているだけではないだろうか?」

この様に考えを変えると、全てが符合しますよ。肉体は「今命の危険がある」と思わされているのに、実際は「嫌いな相手がそばにいる」程度のものかもしれません。これは体を騙していますよね。

「私たちは常に体を騙している。本当は死にもしないし、
 餌を取るわけでもないのに、体には大事なことが起き
 ているのだとして指示を出しているのだ」

これが段々とバレてしまうわけです。

すると「僕は辛い目にあったんです」と言っても、

「何を言っている。本当に辛い目にあったのは私たち体
 の方だろう? 君は君が遊んでいる外界でポイントを
 稼ぎたいだけだ。私たちは戦争でも起きているのかと
 思って不眠不休で君に尽くしたんだ。実際は君が他の
 人から尊敬されたいとか、そういう話だった。
 私たちは何度も君に騙された。その度に、信じてみよ
 うと皆で話しあった。しかし、君は私たち体の辛さよ
 りも、自分が外界で認められない辛さばかりを訴えた。
 挙句の果てに私たちを殺すと宣言して、外界からの妥
 協を引き出そうとした。君はもう私たちの事を愛して
 いないのだと良く分かった。今後は君が何か考えられ
 ないように脳にカロリーを与えない。不快感が続くよ
 うにする。それで私たちが一緒に死ぬことになっても、
 仕方ない。どんなに愛して尽くしても、それが通用し
 無いのだと思って哀しみが続くよりマシだと皆が言う。
 生きていて何の意味があると私たち体は思った」

という事で、体に人格があるとして見ると、気が付かずに暴君ぶりを発揮している可能性があるわけです。うつ病の方が最後に言い出すことは「体が自分と言う自意識に訴えている」内容そのものじゃないでしょうか。

体に無理をさせたのは自分であるのに、自分が辛い思いをしていると自分だけを可愛がり、体は奴隷の様に従うべき存在であると思って心配もしない。その上で体が不調に成ると「早く治れ」みたいに不満を持つ。そういう人はいませんかね。私はそうでしたよ。この暴君ぶりに気が付いて体に心から謝罪をしました。

「いつから君を軽視するようになったんだろう。
 君には人格も意識も無いと決めつけたのはいつから
 だろうか? 物心がつく前には君と話していたのを
 私は覚えている。始めて全力疾走をした幼いとき。
 心臓がドキドキして怖いと思った。そろそろマズイ
 と思った時。君はいった『大丈夫。まだいける』と。
 あの声はまだ覚えている」

自分だけに体があるのだと思って嬉しかった時がありました。しかし他の人も同じものを持っており、自分の武器であると思ったものが、他の人より劣ると思った時がありました。その時、私は体を「意思のない何か」として同格と認めようとしなくなったんです。八つ当たりですね。

「他の人に自慢できないと思った瞬間に自分の体に対
 する興味と尊敬の思いを捨てた」

誰にもこういう瞬間が物心つく前にあったんじゃないかと私は想像しています。それ以来「独りで戦っていた」んじゃないでしょうかね。

今の私は「体を統制する脳があり、その活動においても人格がある」と言う説を信じています。人の意識は多重人格で構成されているようなので(今表に出るべき人格が交代を繰り返している。その上で自分は一つであると感じる機構がある)体を統制する人格があると考えているのです。この人格も思考を共有しており、私たち(自意識)が体についてどういう態度でいるのか気にしています。

「体を軽視し、働いて当然だと思って馬鹿にしている
 人は、人間社会においても自分が阻害され軽視され
 ていると錯覚し、承認欲求が強く成る」

つまり、体の人格が感じている事が脳全体に波及し、社会において自分がどう扱われているのか(実は体を統制する人格が感じているだけであり、外界とは全く関係ない錯覚である)と言う認知へ影響してしまう訳です。

「体を尊敬し、友と考え、裏切らずに尽くすと誓う。
 体がもう一度自分を信用しようと考えを変えてくれ
 るあたりで、自分は社会に受けいれられているとい
 う感覚が戻り、疎外感や承認欲求が消える」

という事です。

なのでうつ病の治療をしても「こいつは俺たち体を同格だと認めない」と体から思われているうちは何度も再発します。「何をしても無理だ。無駄だ。どうせ失敗する」という気分が消えないと思います。また苦労をして何かをしても無駄だ。生きている意味が無い。誰にも感謝されない。という気分が続くと思います。それは体が貴方(私も)に対して思っている事です。外にあるのではなく、自分の中でスポイルされて「ネグレクトされている体」が貴方に感じている事なんです。

「全ての人間関係より体を優先し、もっとも大事な友
 (または主人)として考えを改める。人間関係を維
 持するのは友(または主人)のためであり、恋人や
 パートナー、両親や親戚より大事であると考える。
 他の人についても『相手の心』よりも『相手の体』
 を大事にする姿勢を示し、自分の体に『体の方が上』
 と信じている事をアピールする」

結局、心(プライドや承認欲求、愛を求める気持ち)よりも体を大事にする発想で語り掛けると相手の人の心が救われたりします。つまり何を話してもダメだという事は絶対になく「貴方の体の方が心配だ」と真剣に訴えることで誰とでも通じ合えてしまいます。

「心よりも体の方を上とする」

これが自分と他人の心を救うコツとなります。

体を騙して無理をさせていないと証明するためには「体を少しつかったら」心の中で体に向けて「ありがとう」と言い、お礼として体をなでたり、コリをほぐしたりしてあげましょう。また怒ったり、一生懸命に何かをした後は、甘いものを取って「餌を取ったわけじゃないけど、報酬が無いといけないよね」としてただ働きをさせない事です。

足が攣りそうになったり、痙攣がとまらなくなったり、トイレへ駆け込むのが間に合いそうにない(笑)ときは、「何時も助かっている。貴方の仕事は私を助けている。だからごめんなさい。もう少し待ってほしい」と一生懸命語り掛けると収まることが多いです。

そういう「返事」が来ますと凄い感動しますね。ちゃんと自分の中にもう一人居る事が分かります。これを感じてからどこへ行っても自分は一人では無いと思えまして、生きていて幸せですよ。

それからうつ病が治りました。また、今の考え方を続けていましたら、どんどん頭が軽くなり、色んな物事を考えられる様になりました。うつ病になる前よりも頭が良く成りましたね。そして年を取るごとに頭が良くなっていくと感じています。

「脳が回転する時のパワーや脳に隠された潜在的な
 力も体が管理しているのだから当たり前の話だ」

まあ当たり前の話なんです。

体を奴隷の様に酷使して当たり前と思っている人は、頭が悪く成り、仕事でも失敗しますし、周囲の人に馬鹿にされていると感じてしまいますし、最後は死にたいと思う様になるという訳です。

その逆はウハウハです。

私がうつ病を脱出する時にやった秘訣です。うつ病が治った後も普通の人より、どんどん頭が良くなりますよ。際限が無いからです。

良ければどうぞ。

以上、ご参考になれば。
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仕事。


充実した人生を送るための資金源。
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たくさんの人とコミュニケーションを取るようにしている。



あともう一つ。
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