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「好き嫌い」の感情は、私たちの最も身近で、最も影響を受ける感情と言っていいと思います。
子供の頃は「好き嫌いで判断してはいけません」などと教えられていましたが、なかなかそうもゆかず、結局、好き嫌いで動いてきた部分が大きいのかなと思います。

この好き嫌いとは一体何で、どう対処すべきかとか、何が好きで何か嫌いかとか、様々な面から掘り下げてみてください。

A 回答 (16件中1~10件)

私は下記の通りになります


自我としての私
人格としての私
構成としての私 
ここで述べている  
人格としての私が私   
構成としての私がもう一人の私
複数のもう一人の私たちが連携して処理をします
上記の複数のグループが同時に処理をしています。これが並列分散処理です。複数のグループの処理結果の一つを人格としての私に伝えれ其れを人格としての私が自覚する
自覚した処理結果に従うか否かを人格としての私が決めそれで終わりにするか否かを決めます    
それで終らないとの選択をしたらそれをフィードバックしてい再処理指せます
ここで重要なのは人格として私合掌自覚した処理結果に従わない事が出来るのです。つまりそれに囚われないと言う事です。 
人格として私の処理能力(器)が大きければそれに贖う事ができますがそれ(運転)が小さければそれに従わざる負えないのです 
と言う事です
それは感情においても同じ。処理能力(器)が小さければ処理結果に囚われ大きければ囚われずにするのです
複数の人格としての私並び複数の構成としての私たち=グループがある固有の傾向を有した上で調和し統合されたのが自我となります
因みに2歳前後で自我が形成されます
意識について
意識は人格として私は対象との間で働くものこれが健在意識です
構成としての私同士間で働く意識それが潜在意識です
意識は働くもの働かせるものであることからそれは存在でなくて現象です。 
同時に行われている処理数に多少があっても人格として私が自覚出来る処理結果は常に一つであることから同時に行われている処理数の多少=潜在的意識の多少が器の大小に関わっているものでない  
器の大小は人格として私の処理能力の大小に関わっています
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この回答へのお礼

並列分散処理(へいれつぶんさんしょり、英: parallel distributed processing , PDP)とは、認知科学における人間をコンピューターのような記号処理系とみなす指導原理の下、遅くて不正確なハードウェアである「脳」を持つ人間が無意識下で行っているとされる情報処理方式[1]、特にそのモデル(PDPモデル)を言う[2]。

人間の認知を解明する認知科学において、情報の並列分散処理を論ずることが心の働きを理解するに不可欠であるとするコネクショニズムの登場と共に提案された[3]。パーセプトロン、ニューラルネットワークの推論モデルである。
(wiki)

ふむ。

お礼日時:2023/10/21 18:55

「好き嫌い」は主観であって物事の「善悪」「良い悪い」を決める指針と一致するとは限りません。



物事の善悪を主体に考えてその中で個人の主観である「好き嫌い」がどこまで許されるのかを考えたほうが良いのですが、残念ながら個人の主観である「好き嫌い」を優先し過ぎて 好きイコール良い、嫌いイコール悪い になる人が多いようです。

「好き嫌い」を優先させ過ぎた例としてと最近だと 頂き女子リリちゃん が分かりやすいと思います。
 推し(ホスト)に使いたいからオヂから取る。

犯罪行為に当たるか当たらないかの違いだけで似たような行為は沢山あります。
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この回答へのお礼 お礼日時:2023/10/14 20:29

もう一人の私ですか?


私とは自覚している私の事でもう一人の私とは自覚していない無数の私の事です 
誰であれ人は生きる為に多くの事を同時にこなさなければならないす。
そのためには多数のもう一人の私がいるのです。それぞれの役目を果たすためにね
多数のもう一人の私達の調和がとれかっ統合されたのが自我です。 
私とは自我としての私です。
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この回答へのお礼

>自覚していない無数の私の事です

一つ一つのことをするための、潜在意識の中の「我」というものを考えたということのようですね。それぞれ独立した別個のものなのでしょうか?
別個のものが統合されたのか、はじめから統一的なのかの微妙な違いがある気がしています。

私としては「我」は、意識から潜在意識にかけて、いくつかの層をなしていると考えています。意識にあるものは人により違いがあって、意識にあるものの数が多いほどいわゆる「器」が大きい(世界が大きい)ということになるのであろうと思います。

お礼日時:2023/10/14 10:11

深夜の投稿だった(寝ぼけ)ので、一部書き換えてみます。



なぜ好き嫌いに個体差が大きく有るか、と云う事に付いては〖輪廻〗が関与していると思っています。

大昔の人には現代人のような【欲望】は無かったはずで、それが徐々に人間の“進化”と共に増幅されてきたと解釈すれば、個体差も同様に大きく成って、嗜好の範囲も広がってきた、と云えるのではないでしょうか。

※人間の進化は輪廻に因る、ですね。
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この回答へのお礼

>人間の進化は輪廻に因る

ですか。

お礼日時:2023/10/12 22:09

好き嫌いとは何かと問われてみれば、その物その事を受け入れたいか、除きたいかと云う精神的な、また生理的な欲求であると云えます。



規範に反する行為に付いての対処は、理性と“自制心”に拠る事になるでしょう。

なぜ好き嫌いに個体差が大きく有るのかと云う事に付いては、大昔の人間には現代ほどの個体差は無かったと思えば、“成長”してますね。

輪廻、が関わっているのでは?
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この回答へのお礼

「輪廻」ですか。

お礼日時:2023/10/12 22:05

好き嫌いと言う感情は「もう一人の私」の判断。

好きはプラスで嫌いはマイナス判断であること間違いは無い。ですがそれはあくまで「もう一人の私」の判断であって「私」の判断では無い。大事な事はこの事を理解した上で「もう一人の私」を「私」から引き離し「もう一人の私」のその判断に囚われない事。
囚われなければ「もう一人の私」とは真逆の判断を矛盾することなくできるようになる。それはつまり「感情」から自由になるということ
そのために「私」と「もう一人の私」を混在させられるように「器」
を大きくする事です
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この回答へのお礼

「もう一人の私」とは何のことを仰っていますか?

「器」もまた出てきましたね。

お礼日時:2023/10/12 22:04

自分を楽しませるもの=好き


その逆=嫌い

好きなものは大事にし常に接していたい
嫌いなものは遠ざけたい
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この回答へのお礼

自分が楽しいことが最高の価値だという事ですね。

お礼日時:2023/10/11 22:59

登山が好きか嫌いか?


どちらにも、最もな理由があります。

タレントの出川哲郎さん、
昔は、生理的に嫌悪感を抱く男のNO1だったが、今は人気者。

好きな彼の欠点も、深い愛情があれば長所に見える。

「好きと嫌いは紙一重」と誰かが言ったが、そうかもね。
だだ・・だから、子供も大人も、好き嫌いで判断してはいけないのです。
見せかけ、噂、先入観、浅い知識、損得で判断してはいけないのです。
判断の基準が必要なのです。正しい価値基準です。

カントの価値基準----真<善<美 
牧口の価値基準---美<利<善


利は利益・利潤の事です。人間は本能的にも利益を求めます。
生活・仕事等あらゆる分野に得を求めます。
損を求める人は居ないでしょう。
どんなに努力を重ねても損する事ばかり
多くて不幸の方向へ向いてしまうのは反価値になります。
利益を求め追求するのは普遍性が有るのです。


善の行い・行動こそもっとも価値が有ると説きました
牧口は、善が最も価値が有ると説きました


カントは、美が最も価値が有ると説きました

カントの言う真とは真実も事らしい。が、牧口は否定。
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この回答へのお礼

好きなものが一瞬の後に嫌いになることはあることですね。紙一重とは言える。
自分に利益をもたらす人が好きとは限らない。そういう人を奴隷のように扱う人もある。
家族が全員好きであるとも言えない。
尊敬できる人は好き、でも、嫉妬する場合もある。
表裏一体でもあるのかな?

牧口常三郎の価値論。哲学の「価値」はいまだに難しいです。と言うか、勉強が進んでいません。

「真」は認識の対象であって価値ではないという牧口。
カントは「利」を価値としなかった。何故だろう?
カントの最高価値は「美」、牧口は「善」。

カントは個人の主観を主とし、牧口は社会を主としたのだろうか?東洋と西洋の違いとも思えます。

お礼日時:2023/10/11 22:58

端的に云えば、欲する物事=好き、欲しない(取り入れたくない)物事=嫌い、と云う事でしょう。


「好き嫌いで判断してはいけない」と云うのは、社会・倫理という眼(理性)を通しての意見ですね。

欲する、と云う事は“満たしたい・取り入れたい”と云う「私心」です。
その「私心」は大事ですが、理性を以ってコントロールしなければ、自己中と云う事になってしまいます。
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この回答へのお礼

金・食い物・セックス、人間の三大好物。コントロールしないといけませんね。
また、ドラッグやギャンブルや盗撮なんかが好きになってしまう場合もあります。

お礼日時:2023/10/11 22:42

好きだ、嫌いだ、という感情は


生存への最適解への指標だと
思われます。

つまり、好きというのは
それが生存にとって有利故に
発生する感情。

この感情は、
遺伝や生物的要因、
社会的経験や学習
によって培われたものです。

だから、間違いも多くなります。

生存への最適解だと感じたけど
実は違っていた。
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この回答へのお礼

何か、意識の奥の方にある「生命力」から発せられるエネルギーが、脳を通して出てくるもの、という感じ。

お礼日時:2023/10/11 22:38

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