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人生ってのはいい事でも悪いことでもいつどうるかわからないって言いますが、この体験した人はどのようなことですか?

A 回答 (10件)

幼い頃に発達障害グレーゾーンって言われてたことを社会人3年目の終わり頃まで隠され続けてました。



いつ気が付くかなだけで生まれつきの脳の問題なので完治するとかは一切ありません。

が、グレーゾーンは周りの対応、育て方次第で良い方向に変わることがあるそう!?で
小学生の頃は色んな習い事やアウトドアを経験させてくれました

小中荒れ校で、こんなやつらとつるむくらいなら10分の休み時間くらい1人で良いわ。ってレベルで居心地がめちゃくちゃ悪かったので、

敢えて同じ中学の子が来ないであろう片道1時間かかる都会の私立女子校に入学し、
高校からは環境を変えて、ちょっと勉強苦手なおっちょこちょいなタイプって認識で生きてきました。
今でも当時の5人グループの子と月1くらいで遊んでいます!笑

そして、短大も出て就職し、その後転職し、今は派遣社員として色んな所で勤務してきましたが、居心地が悪くなってきたら、次更新しません。って言えば良いだけなので、社会人=正社員みたいなのに囚われることなく、尚且つ快適に仕事してます!

グレーゾーンと診断されたことあるで
ってサラッと打ち明けられた時は妙に納得する部分がありましたが、、、笑

質問に沿った答え方をするとしたら
発達障害グレーゾーン って診断は決して良いことではありませんが、(悪いこと)
そのおかげで!?小学生の時は毎日色んな習い事に通わせて貰えたし、今、ちゃんと仕事もして、家でも同居人に迷惑かけない程度には家事もして過ごせてます!(いい事)

体験談まとめ
実は発達障害グレーゾーンの自分でも
一般の短大行って資格取って、転職はしたけど、ちゃんと今も働いて、定期的に友達と遊びつつ、行き来出来る距離ですが、実家を出て同棲してます(現在進行形)

こんな感じで25年間生きてます!
いかがでしょうか?
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いつどうなるかはわかんなかったけど、『こうなって欲しいと思う方向に向かっていたからそうなった』という結末故に喜びがひとしおだった、いうことはありましたね。



私は多趣味で、そのうちのひとつが高じて仕事になりました。
子どもの頃からしてきた趣味なので、実績・経験も多く、勘も働くと思っていましたから、チエ・ウデ・ワザ・ノウハウにはそれなりの自負がありました。

そこそこの大学でさらなる知識・技術を身につけ、社会人になってもいろいろいい経験をさせてもらえました。
しかし、先進的・先端的な仕事をすればするほど、考え・悩むことが生まれました。

  出した実績に対して評価や報酬が見合ってない
  より進んだ・優れた知識や技術を身につけたい

その両方を満足させられる世界がアメリカにはあるだろうなぁ、そこで勉強したり仕事してみたい、と思ったものです。

私はもう隠居した爺で、そんなことを思ったのは40年近くも前の若いころのことでした。

特に本格的にそう思うようになったのは、カミさんと結婚し、一緒に始めた海外への貧乏旅行で欧米を廻ったことからでした。

我々は観光地巡りより他国の人々の日々の暮らしの方に興味があり、私は仕事の面で、カミさんは家などの生活の面でいろいろな人に会うなどして情報を集めては楽しんでいました。

なので、私はアメリカの働き方に、カミさんはアメリカの暮らしにあこがれを持ったのです。

とは言っても個人で移住することなどが出来るわけでもないので、せいぜい考えてできたことと言えば、『アメリカに事業展開する企業に入ってアメリカに派遣してもらえないかなぁ』ぐらいが関の山で、それを目標に転職だの海外転勤募集に手をあげるだのをしたぐらいでした。

まぁ、それでも犬も歩けば棒に当たるもので、あるとき、新たにアメリカに展開する事業の一員に混ぜてもらう事が出来ました。

それは私の専門職が生きるというほどのものでもなく、行く先も超がつくようなド田舎と言うことで、我々が求めるイメージとはずいぶん違うアメリカ行きでした。

その仕事はアメリカのある機関と先端技術分野で共同の研究開発事業を進めるというものでした。
まずは、与えられた仕事を私は粛々とこなしていましたが、そんな中で、現地の仲間のひとりが問題を抱えているという話を聞きつけました。

聞いてみれば、我々と進めている事業とは無関係の仕事の中で、とある部品の開発が出来ないで困っているとのこと。
詳しく聞いてみると、ある特殊な技術が必要な半導体の開発が出来ていないということでした。

ところが、偶然にもその技術は私が趣味で勉強したことがあるもので、機能部そのものは、専用の半導体ではないものの、面白半分に自作で作って試してみたことがあるものでした。

なので、そのことを話すと協力を求められたことから、いわゆるゴーストライターならぬゴーストエンジニアとして手伝うことにしました。

とはいえ、私はそちらの機関の人間ではありませんでしたし、ビザの関係から報酬をもらうことはできません。
なので、私の仕事とは切り離し、仕事を終えた後の自分の時間だけで、純粋にボランティックに、つまり無報酬でのお手伝いでした。
まぁ、それでもそれは向こうにとっては仕事ですから経費は払ってくれるわけなので、『趣味』と考えれば苦ではありません。
私はそう割り切って楽しませてもらいました。

そうは言っても、簡単という訳ではありませんでした。
なにしろ、システム半導体チップを丸々ひとつ開発するんですから。

システムを構築してその部品要素をひとつひとつ設計し、プログラムや図面を書き、信頼性などを解析して必要な対策要素を組み込み、それをワンチップに収め、特殊な半導体上に実装し、テストベッドを作り、評価・デバッグしてリファインサイクルを回す・・・

ひとりでやるので思った以上に時間はかかりましたが、なんとか思ったようなのは出来たと思います。

私の役目はそこまでで、あとは仲間にそれを引き渡しましたが、それはそれなりに目的を達成できたようで喜んではもらえました。

普通ならそれはそれでおしまいになるところでしたが、『いつどうるかわからない』というのがその後にやってきました。

手伝ってやったことなどすっかり忘れたころのある日、その時の仲間が私のところにやってきて『一緒に来てくれ』と言いました。
行ったのは彼らのずっと上の偉そうな人のところで、行くとやおら協力したことに対して礼を言われました。
あれを使った彼らのプロジェクトは期待をはるかに超えた成果を収める事が出来たとのことで、それに応えて『好きなだけアメリカに居られるようにしてあげる』という褒美をいただけることになりました。

プロファイルに記した通りの今の私たちの暮らしはそれであります。

誰がどんな経路でどんな風に伝えたか知りませんが、この話は私が勤めていた日本の会社にも伝わりました。
そして、ウチの会社には何も貢献していないにもかかわらず私の評価が上がり、それ以降、アメリカを足場にやりたいように仕事が選べ、それを結構やりたいようにやらせてもらえるようになりました。

『なんだい、自分では評価できなくてアメちゃんに評価されると盲目的に右へ倣いするんかい』と思ったものでした。

もちろん、ちゃんと『他の人がやらない』『他の人ができない』『他の人より優れた』と自負できる実績は出してきたつもりです。

いずれにせよ、『まぁ満足できる見返り』はもらえてきたつもりですし、当地ならではの勉強もさせてもらえましたし、当地ならではのゆとりの生活環境も手に入れられました。

『いつどうるかわからない』とは言っても、何も無い処からそれが湧いてくるより、『こうなって欲しいと思う方向に向かっていたからそうなった』ということの方が、期待を満たす頃が出来た喜びも味わえたということでよかったと私は感じています。

今は子どもたちがそれぞれの夢に向かっていろいろ励んでるみたいですから、その成就を見るのが楽しみという所ですかね。
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大した体験ではありませんが。



まず無理、と言われた良い大学に
運良く合格。

卒業して大企業に就職し、かなり
高額の給与をもらっていたけど、
魔が差して転職。

以降、底辺の人生を歩む。

そんな落ち込んでいるときに
運悪く、今の嫁さんと出会い
結婚。

それまでは結婚なんか、絶対に
するものか、と固く誓っていた
はずなのに。

結婚しても不幸になるだけと
信じていたが、とんでもない。
天国。

貧乏暮らしが続いたが、ケチケチ
貯めた金で株式投資。

資産が徐々に増え、これで
老後も安泰だ、という時に大病で
死にかかる。

助かったのは奇跡とまで医者に
言われた。

そんなこんなで現在に至る。

人生、先を予想するとか、思い通りに
なる、なんて無理。
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そういうもんですよ人生というのは


僕も死のうとしたけど今生きてて良かった
とよく思います 生きてる方がいいですね
いつ何がどうなるか本当分かりません
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きちんと人生を生きている人間なら誰でも経験するがな

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解っていたら人生面白くも何も


無いではないですか・・・。
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そうですね


振って湧くものと
思うよ。
サンティアさんは
そういう経験ないでしょうか。
金や変事が
天から
降った経験
無いのでしょうか。
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20年ほど前のことですが、


仕事で山林内に軽トラで入っていました。
午後1時30分頃、突然地面が揺れ出して、
慌てて急ブレーキをかけて停車した直後、
左の助手席に直径30センチ程度の岩が崖から落下しました。
当たれば当然即死です。
この地震での死者はゼロでした。
その時点で私の運の全ては使い果たしたと考えました。
でも、禍福はあざなえる縄のごとし、とも言います。
還暦まで大過なく過ごせたのは幸運と呼ぶべき人生かなと思います。
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借金297万あったのにロト6で7400万当たったことかな

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がんなんかまさにそうでしたよ。

年下の先生に、仕事休むのを渋ってたら、「死にたいんですか!!!」って叱られましたから。
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