プロが教えるわが家の防犯対策術!

ウィーン会議に出席していた人たちは、フランス革命を下らないものだと思っていたんでしょうか?

A 回答 (3件)

周辺国は王侯貴族の国ばかり。


フランス国内で王侯貴族が殺されまくり、逃亡貴族の資産を没収しまくる様子を見ては、自分たち王侯貴族の国にフランス革命と同じ市民革命が波及しては大変だと恐怖せざるを得ない。

だから、何かと口実を付けてはフランス国内の王党派vs市民の内戦に、大劣勢の王党派の味方をしようと軍を送り続けた。

しかし、フランス市民軍は強くて打倒できずにいるところ、突如として軍事的天才ナポレオンが登場して国内の王党派軍だけでなく、周辺国軍も薙ぎ倒しまくり、島国の海洋国家イギリス以外の欧州で覇権を確立してしまった。

しかし、ナポレオンが皇帝になってしまったことで、周辺国の王侯貴族に抑圧されていた市民層を失望させたほか、解放していた黒人奴隷を再び奴隷化してしまったために、国内外の世論から猛烈な非難を浴び、再びフランスは徐々に劣勢に追い込まれ、最終的にはモスクワ遠征の大敗でナポレオンも敗北してしまった。

その後のフランスをどうするかを話し合ったのが、ウィーン会議だ。
フランス革命を下らないなどと思う訳はない。フランス革命とナポレオンには恐怖していた。
しかも、会議中にナポレオンが流罪先のエルバ島を脱出してパリに向かっているとの急報が入る始末だ。

「会議は踊る」と揶揄されていたウィーン会議だが、ナポレオン脱出の急報を受けて、急遽フランスについてはルイ18世を立てて王国に戻すことを決定し、会議に出席していた英国の英雄ウェリントン将軍がナポレオンを迎え撃つべく急ぎ英軍が集結していたブリュッセルに向かっている。

ナポレオンはワーテルローで敗れ、フランスはルイ18世を国王とする王国に復帰したが、結局は30年後に再び市民革命が成功してフランスは再び共和国となっている。

また周辺国も次々と共和国化するか、英国型の立憲君主国となった。ウィーン会議で封建制を維持しようとした各国の王侯貴族たちだったが、結局は彼らが恐れていた方向に世界は動いていったことになる。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2023/12/13 17:56

王様の首をちょん切れられたので、大変な脅威になったので、


フランスを潰そうと開かれたのがウィーン会議です。
オーストリアのハプスブルグ家はマリー・アントワネットを嫁に
出していたので怒り心頭でした。
フランスの危機を救ったのがナポレオンです。
    • good
    • 0

というより、自分達の立場を脅かす危険なものととらえていたでしょう。


だってフランス革命では王権を否定して、国王をギロチンにかけていますからね。
自分の国でそのような革命が起こる恐怖がありました。

そもそも卑しい一般市民が貴族を批判し打倒するなんていうのは、とんでもない、「神の摂理」に反しているととらえていたでしょうね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A